【怪奇覆面大集合】血の匂いを求め東洋へ…歴史に残る正統派!「赤覆面の怪人」ミスター・アトミック

力道山の空手チョップに耐えるミスター・アトミック(東スポWeb)

トホホな覆面が続いて脱力しそうなので、今回は歴史に残る正統派マスクマンを取り上げたい。力道山の全盛期に大人気を呼び覆面ブームの立役者となった“赤覆面の怪人”ことミスター・アトミックだ。

アトミックは本紙創刊前年の1959年に初来日。第1回ワールド大リーグ戦で決勝トーナメントまで進み、準決勝で力道山に反則勝ちするも決勝戦を負傷棄権。結局、代役出場の力道山がジェス・オルテガを撃破して初優勝を果たす。リーグ戦の爆発的な人気でプロレス人気も再興。同年には3度も来日して覆面に凶器を隠してのヘッドバットで覆面ブームを呼んだ。

62年の第4回ワールド大リーグ戦では3年ぶりに待望の再来日。直前には本紙に実にイカしたメッセージを寄せている。

「どこから来たかと聞かれれば空から来たと答えよう。私は世界中を放浪し、再び血のにおいを求めて東洋にやってきた。もちろん狙っているのはリキドザンのインターナショナルタイトルだ。だが彼は強い。1959年、私はタイトルに挑みカラテに敗れた。私は3年間、血の海で自分を鍛えてきた。世界中を放浪してきたことがムダでないことを証明してリキを倒す」

劇画的なメッセージは実に昭和30年代的だ。しかしアトミックには厳しい状況が待ち受けていた。第1回と違い、力道山はリーグ戦に不参加。シード扱いでリーグ戦覇者が力道山と優勝決定戦を行うという超法規的ルールが採用されたからだ。

しかも参加外国人は元NWA世界ヘビー級王者の“鉄人”ルー・テーズ、同じく同元王者のディック・ハットン、日本プロレス創成期の功労者マイク・シャープ、“銀髪鬼”フレッド・ブラッシーら豪華メンバーがズラリと揃っていた。やや力が衰え始めていた赤覆面には分が悪かった。

やはりリーグ戦では振るわず3勝5敗3分けと低迷。結局はテーズが優勝戦へ進出し、力道山が2―1で勝利して4連覇を達成した。

決勝戦進出こそならなかったが、アトミックは公式戦以外のタッグマッチで力道山と連日激闘を展開。会場人気は健在だった。その後、4度の来日を果たすも、赤覆面にとってはこの年のリーグ戦が最後の“大舞台”となった。今でもビールの王冠を見ると額に貼り付けてしまうご年配の方には、忘れられない名覆面選手だった。 (敬称略)

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