自由契約からの“出戻り”は大減俸必至…日本ハムの過去3例、オリックス時代の吉井も

日本ハム・秋吉亮、大田泰示、西川遥輝(左から)【写真:石川加奈子】

他球団では2004年オフのオリックス・吉井理人の例

日本ハムは16日、西川遥輝外野手、秋吉亮投手、大田泰示外野手を「ノンテンダー」として保留手続きを行わないと発表した。12月に発表される契約保留選手名簿から外れて自由契約となり、国内外の球団と自由に交渉することが可能になる。稲葉篤紀GMが「ファイターズとの再契約の可能性を閉ざすものではありません」としているように、日本ハムと再契約する可能性も残っている。ただ、過去の同じような事例を見れば、大減俸は避けられない。

2006年のオフ、坪井智哉外野手は25試合で打率.191に終わると、日本ハムから戦力外通告を受けた。12球団合同トライアウトを受験したものの移籍先は見つからず、日本ハムが新たな契約を提示。9000万円から2000万円(推定)という減俸を経て再契約した。2007年には100試合で.283と復活、その後は代打に活路を求め2010年まで日本ハム、2011年にオリックスで引退した。

多田野数人投手は2008年にドラフト1巡目で日本ハム入りしたものの、3年目の2010年を2試合登板にとどまると戦力外通告を受けた。トライアウトを受けるなど移籍を模索し、NPBに興味を示す球団もあったものの、最終的に日本ハムとの再契約を選んだ。年俸は3500万円から800万円(推定)になったものの、2011年には19試合に登板、2012年には6勝をあげパ・リーグ優勝に貢献した。

昨オフの村田透投手も同じ道をたどった。21試合で1勝1敗、防御率3.55という成績を残したものの、12月になって自由契約公示された。その後4000万円から1600万円(推定)への減俸を経て再契約。ただ今季は8試合で防御率9.31に終わり、戦力外通告を受けている。

他球団では、2004年オフの吉井理人投手(当時オリックス)の例がある。2003年にエクスポズから日本球界復帰したものの、2004年は3試合で防御率17.18に終わり戦力外となった。ただこのオフ、オリックスは近鉄との合併を経て、吉井の近鉄時代の恩師にあたる故・仰木彬氏が監督就任。キャンプでのテストを経て“古巣”に出戻った。年俸は5000万円から500万円(推定)になったものの、2005年には先発ローテーションに入り6勝5敗。選手生活はさらに2007年まで伸びた。(Full-Count編集部)

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