蓮池薫さんが市立北条小学校(新潟県柏崎市)で拉致問題に関する講演会

北朝鮮での生活について講演する蓮池薫さん

新潟県は16日、PTA対象拉致問題啓発セミナー事業の一環として、北朝鮮による拉致被害者の蓮池薫さん(新潟産業大学准教授)の講演会を柏崎市立北条小学校で開いた。

この日は北条小学校の小学校5、6年生25人と保護者、教員が同小の体育館で、同小と隣接し、渡り廊下で繋がっている柏崎市立北条中学校生徒と中学校教員はオンラインで蓮池さんの話を聞いた。

県では以前から大学生などを対象とした拉致問題セミナーを行っているが、今回は家庭などで拉致問題に関心を持ってもらおうと、保護者などを対象にセミナーを実施。小学校での講演は、10月の上越市で開催されたもの(講師は曽我ひとみさん)に次いで、今回が2回目となった。

板書しながら講演する蓮池薫さん

蓮池さんは拉致された当時を振り返り、「1978年7月31日に柏崎市の海で、現在の妻と2人で座って、煙草を吸っていたら、男性が日本語で『煙草の火を貸して下さい』と言ってきた。次の瞬間、体の大きな男に頭を殴られて抑え込まれた。手足を縛られたうえに、寝袋みたいな大きな袋に入れられ、船に担ぎ込まれた。船の中で酔い止め薬や睡眠薬など注射されたため、ほとんど記憶がない」と話した。

また、北朝鮮での生活について、「山の中の家で、最初はスパイになるための教育を受けさせられた。嫌でしょうがなかったが、北朝鮮の人に『勉強すればいいことがある』と言われ、私も頑張って勉強した。しかし、1年経って状況が変わった。私が22歳の時、一緒に拉致された恋人との結婚が許された。北朝鮮も結婚させれば逃げることはないだろうと思ったのも知れない。妻と一緒に暮らすことになった。同時に、スパイの教育から解放され、北朝鮮のスパイになる人たちに日本語を教える教育係になった。これが数年間続いた」と語った。

さらに、1987年に2つ目の変化が訪れる。「『日本の新聞などを朝鮮語に翻訳しろ』と言われた。私は日本の新聞が読めると思い、嬉しくなったが、北朝鮮に都合の悪い部分は黒く塗りつぶされていた。しかし、おそらく見落としたのか、日本で私の救出活動をしているという記事が塗りつぶされずに載っていたのを見た。10数年ぶりに父と母の顔を写真で見て、こんなに歳をとったのかと思った」と話した。

蓮池氏は「北朝鮮は残りの日本人の拉致被害者は死亡したと嘘をついている。韓国は日本の植民地時代の賠償金をもらっているが、北朝鮮は国交がないため、もらっていない。北朝鮮はお金が欲しい。国交を結んで、いい関係をつくるために早く返してもらいたい。北朝鮮のトップの判断ですぐにできるもので、3日あれば帰って来られる。みなさんには何かしてくれとは言わないが、拉致問題解決のために日本がどうすればいいかを考えてもらいたい」と締めくくった。

北条小児童や保護者が蓮池薫氏の話に耳を傾けた

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(文・梅川康輝)

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