「都合の悪いことは無かったことに」 消防で相次ぐパワハラ、命懸けの告発でも変わらないのか

松永拓也さんの遺書

 「上の者は、都合の悪いことは無かったことにしている。隠蔽して表には出さない」  2019年1月、山口県宇部市の宇部中央消防署副士長、松永拓也さん=当時(27)=は、上司のパワハラや組織の悪弊を告発する遺書を残して自殺した。問題は表面化し、当時の上司が懲戒処分になったが、それでも同僚たちは「上司が暴言を吐いたり、無視したりということが今も続いている」と明かす。  消防の職場ではパワハラは珍しくないという。その背景に、縦社会や閉鎖的な環境といった体質が指摘されている。(共同通信=田島里紗、石黒真彩)

 ▽初めて漏らした不満

 19年1月22日、拓也さんは勤務後、宇部市にある実家に顔を見せた。両親と一緒に食卓を囲み、ビールを口にした拓也さんがぼそっと言った。「職場がおかしい」

 パワハラがはびこり仕事を辞めた人がいる、金銭の貸し借りや窃盗などの問題が頻繁にある…。拓也さんは淡々と続ける。父親の哲也さん(64)が職場への不満を聞いたのは初めてだった。「愚痴を言わず、きついことがあっても弱音を吐かない子だった」

 2日後の24日、1人暮らしをしていた自宅アパートの台所で、拓也さんは遺体で発見された。この日は非番で、消防署でレクリエーションがあった。事前準備の担当だったのに現れないため、様子を見に来た職員2人が見つけた。台所にはレクリエーション用に買っていたカップ麺や飲み物が100個近くあった。

 

 

 

 

松永拓也さん

拓也さんは中学2年の職場体験で宇部中央消防署を訪れたことをきっかけに消防士を目指した。祖父も元消防士。地元のために役に立ちたいという思いが強く、ランニングなど、体力づくりを欠かさなかった。

 正義感が強く「とにかく消防の仕事が大好きだった」(哲也さん)という息子がなぜ死を選んだのか。警察から手渡された手書きの遺書には「市民の方々の命を守る以前に、仲間を守ることができていない。僕の行動がむだにならないことをねがっています」とつづられていた。

 ▽直前の叱責

 19年8月、弁護士3人による外部調査委員会が報告書をまとめた。自殺の原因は、職場に抗議の意を示すためと結論付けられていた。

 報告書では、宇部・山陽小野田消防局の管内で起きた過去の不祥事が明かされている。16年、後輩8人から計141万円を借金した職員が、パワハラ行為として文書訓告を受けた。拓也さんも50万円を貸していた。18年には職場の9人から計588万円を借りていた職員や、同僚らの人格を否定する発言をした職員が文書訓告になっていた。

 自殺直前の状況も記載されている。実家に立ち寄った日は、消防車のコンセントのカバーを損傷させた件で副署長から口頭での報告を求められていた。重大な事故ではないため、口頭報告は不要な事案だったにもかかわらず、損傷させたのが拓也さんと知った副署長が要求。翌23日、拓也さんが謝罪すると「謝罪じゃないだろう。報告が先じゃろ」と、ドスの利いた声で叱責された。遺体は翌日に見つかった。

 遺書には「副署長の発言には納得がいかない」「組織全体が変わらなければ、今後も嫌な思いしてやっていく人、出てくると思う」とも書かれている。

宇部・山陽小野田消防局が入る建物

 ▽またも遺族を「置き去り」に

 この報告書はしかし、非公表とされた。19年11月になり、共同通信が報道して明るみに。

 複数の宇部市議には内容が説明されていたが、ある市議は取材に「消防側から『公表しないでほしいと遺族が要望している』と伝えられた」と証言した。だが、哲也さんは「そんなことは要望していない」と否定する。

 職場で消防幹部が拓也さんの自殺を伝えた場では、哲也さんが「息子がさらし者のようになる」と言っているため公表を控えると述べていたことも分かった。この点も、哲也さんは「息子をさらし者と表現することはあり得ない」と憤りを隠さない。取材に対し消防側はこの発言を認めた上で「悪意はなかった」と釈明した。

 約4カ月たっても公表されないため、哲也さんは記者会見を開き、こう訴えた。「長い間じっと我慢していた。怒りしかない」。報告書は結局、19年12月に公表された。

 ただ、この報告書は肝心のパワハラの存在を認めていなかった。このため哲也さんらは市長に再調査を要望。これを受け、宇部・山陽小野田消防局は事実確認実施委員会と懲戒審査委員会を設置する。今年1月、当時の副署長によるパワハラをようやく認定し、減給10分の1(3カ月)の懲戒処分とした。

 哲也さんは「息子が命を懸けて訴えてきたのに、軽すぎる」と語る。さらに、発表直前の消防幹部の動きにも不信感を抱いたという。

 発表直前、幹部らは哲也さんらに面会し、内容を説明していた。しかし、パワハラを認定したことは明かされなかった。遺族が知ったのは夕方のニュース。「大事なことをなぜ言わないのか。遺族をまたも置き去りにした」

山口県消防学校の救急科を修了した際の拓也さん(右)と哲也さん

 ▽相談件数ゼロ、「犯人捜し」の不安

 拓也さんの命を懸けた訴えに、消防局はどう変わったのか。同僚らは取材に、上司の問題行動はその後も続いていると証言した。例えば、抜き打ちで訓練を実施した上司が、失敗した職員に「違う」「なんでそんなこともできないのか」と、多くの人の目の前で声を上げたという。10年以上の勤務歴がある職員は「指導が厳しくなるのは当然だが、その後のフォローはない。若手は萎縮するばかり」と嘆く。

 宇部・山陽小野田消防局は昨年4月、臨床心理士や保健師ら外部の相談窓口を設けた。ところが、契約期限の今年3月末までに寄せられた相談はゼロ。なぜか。ある職員は「外部であっても、相談すれば『犯人捜し』が始まる不安がある。自分の身は自分で守れとしか言えないのが悲しい」と打ち明ける。「相談しても、それがどう扱われるのかプロセスが分からない。リスクを負ってまで利用できない」

 消防局は「職場の風通しをよくするため」として、採用10~15年程度の職員同士による意見交換の場も設けた。しかし、ある職員は「意見交換の内容を聞いた上司が『我慢が足りない。幼稚だ』とちゃかしていた」と明かす。「対外的に改善策をアピールしているだけ。上層部を一新するなど、思い切った対策に踏み切らなければ組織は変わらない」と訴える。

 ▽消防庁の対策後も不祥事次々

 ハラスメントが一向になくならないのは、この消防局だけの問題だけではない。総務省消防庁が17年に実施したアンケートでは、回答した男性職員の17・5%、女性職員の12・8%が「最近1年くらいの間にパワハラを受けた」と答えた。回答した職員らはその原因として「気の強い人間が多く縦社会」「外部の目が届かない閉鎖的な空間」を挙げている。

 消防庁は同年、処分の厳罰化などを盛り込んだ対策を示したが、それでもハラスメントはなくならない。

 19年には、熊本県御船町の上益城消防組合の男性職員=当時(46)=が上司のパワハラを訴える遺書を残して自殺した。大阪府茨木市消防本部は、血圧計で後輩の首を強く圧迫したり消防車に逆さづりにしたりしたとして、男性救急救命士3人を懲戒処分とした。

 20年には熊本県の菊池広域連合消防本部に勤務する男性係長=当時(47)=が上司のパワハラを訴え自殺。今年も島根県の隠岐広域連合の消防長が、他の職員の前で3~4人の部下に「おまえの勤務評価はマイナスだ」などと発言し、懲戒処分となっている。

 ▽拓也さんの消防局でも

 宇部・山陽小野田消防局でも、拓也さんの自殺後の調査で部下への暴力など職員2人のパワハラが判明した。うち1人は16年、部下に個人的な怒りの感情を含むメールを送り、一方的にLINEも送信。さらに帽子のつばやヘルメット越しに頭頂部をたたいた。もう1人は18年、結婚披露宴会場で部下に暴力を振るい、負傷させた。

 人事院の指針に基づく消防側の基準では、パワハラ行為で著しい精神的苦痛などを与えたら懲戒処分とされている。しかし、この2人は懲戒ではなく、いずれも厳重注意。理由について、消防側が開示した文書では「結果が重大と認めがたく」「行為が直ちに職場の秩序を乱すものであるとまではいえない」とされていた。

 ▽抑止には厳罰こそ必要

 「職場のハラスメント研究所」の金子雅臣代表理事は、パワハラ抑止には重い処分が不可欠と指摘する。「隠蔽体質をなくすためにも、上層部の責任を厳しく追及する必要がある。消防庁が第三者の調査チームをつくるなど、トップダウンで画一的に厳しく処分する体制をつくるべきだ」

 金子さんは一方で、消防特有の問題点も指摘する。消防には厳格な指揮系統が求められ、警察などと同様、団結権が認められていない。労働組合もない。「同僚同士が連携し、声を上げられる環境づくりが必要だ」と話した。

仏壇に手を合わせる松永哲也さん

 拓也さんは生前、同僚に「自分たちで組織を変えていこう」と呼び掛けていたという。だが、幹部の姿勢に絶望し、組織を信用できなくなったために命を絶った、と両親は考えている。今年3月、自殺は上司のパワハラなどが原因として、両親は宇部・山陽小野田消防組合に損害賠償を求める訴訟を山口地裁宇部支部に起こした。

 哲也さんは毎朝、仏壇に線香を上げ、拓也さんに「おはよう」と声を掛けている。既に退職し、家で時間を過ごす日々。1日中、拓也さんのことを思い続けているという。「組織が変わらなければ、拓也は浮かばれない」

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