元気があれば鼓膜だって破る! アントニオ猪木会長のNY闘魂ビンタ秘話公開

ケンゾーは今夏、退院直後の猪木氏と再会した(ケンゾー提供)

【鈴木ひろ子の「レスラー妻放浪記 明るい未来」8】闘病中の“燃える闘魂”アントニオ猪木氏(78)を特集したドキュメンタリー番組「燃える闘魂ラストスタンド~病床からのメッセージ~(仮)」が27日(午後8時30分~9時59分)にNHK・BSプレミアムで放送される。番組を手掛けたのは共同テレビジョンのプロデューサーを務める弟子のKENSO(ケンゾー=47)だ。ケンゾー&鈴木ひろ子氏(46)夫妻による連載「レスラー妻放浪記 明るい未来」第8回は撮影を通じ再会を果たした猪木氏との秘話を公開。元気があれば何でもできる――。

ケンゾーの人生には事あるごとに猪木会長がひょっこり顔を出します。ちょこっと現れただけで強烈な印象を残すのが猪木流。日本マット界の、昭和の大スターの存在感は普通ではありません。

さまざまな大勝負に挑んできた猪木会長ですが、目下戦っているのが病魔。昭和のスーパースターもこの戦いには苦戦を強いられていますが、この一世一代の大試合を、プロデューサーとして密着取材しているのがケンゾーです。

「久しぶり。ニューヨークで会ったよね」

初日に、猪木会長から言われたひと言です。猪木会長は随分とやせていましたが、ケンゾーをしっかり認識していました。ドキュメンタリー番組の特集だと説明し、撮影が始まった途端にみるみる元気を取り戻します。

ケンゾーと猪木会長といえば「猪木問答」。彼自身もあのリング上のやりとりが最後だと思っていましたが、ニューヨークでの再会を会長は覚えていました。「いい音したんだよ、あのビンタ」

それはWWEの契約直後。毎週の生放送のレギュラー出演で、初プロレス、初巡業に私も高熱でダウン。マンハッタンの病院のベッドで点滴を打たれていました。

ベッドの傍らのケンゾーが時間を持て余していた時でした。

「俺、トイレ行ってくる」

カーテンで仕切られただけのベッドからは、その向こう側の音がよく聞こえ、しばらくするとトイレから戻る大きな足音が近づいてきました。

「会長! お疲れさまでございますっ!」

足音が止まり、ケンゾーの声の後に「おーっ」と独特な声が聞こえました。

「巡業は?」

「自分は今日戻りました」

会話の相手は日本人。聞き覚えのある声です。ケンゾーの声色で慌てているのがわかりました。2人の会話に耳をそばだてていると、点滴を交換しに現れた顔なじみのナースがささやきました。「猪木さんよ、来てるのよ」

声の主は同じくニューヨークに住む猪木会長でした。私は立ち上がれないほどの絶不調でしたが、それが猪木会長だと聞くと一気に起き上がりました。すると妙な成り行きが聞こえてきました。

「週、何試合だ?」

「…4、5試合くらいしてます」

「そうですか、いいことだな。頑張れよ」

パンッ!と突拍子もない破裂音が響きました。そして部屋を仕切るカーテン越しからケンゾーが現れ、私に駆け寄ります。「ビンタされたっ」。大きな手で頬を押さえて立ち尽くす大男に、私は笑いがこみあげて仕方がありません。「いきなりすぎるだろ…」

私たちはあっけに取られて立ち尽くしました。ケンゾーは翌日も「耳が変だ…」と繰り返し、いつまでガタガタ言ってるんだと私は一喝しました。さらに試合会場でも耳の不調を訴え、しつこいと私に叱られながらいじけて病院に行きました。「鼓膜、破れてた」。もう笑うしかありません。

「会長、点滴してたのに…」

先日、入退院を繰り返している猪木会長が一時帰宅されました。一時的に起き上がることもできないほど衰弱していた猪木会長ですが、出入り口に現れた会長は車いすに乗りながらもノリの効いたワイシャツに赤いマフラー姿で「アントニオ猪木」そのものでした。

見られれば見られるほど力が湧く、根っからのエンターテイナーです。密着取材での久方ぶりの再会。

「ニューヨークで会ったよね~」。これは何よりうれしいひと言。

「ケンゾー、何チャンだ?」

「NHK、BSプレミアムです」

会長は、ケンゾーにいろんな話をします。プロレスも、仕事も、私の次の選挙のことまで何でもわかっていて、あのころと体調が違っていても、変わらないことをしたがるから、やっぱり猪木会長だと、ケンゾーはうれしくなるのです。

「ドキュメンタリー?」

「もちろん」

ケンゾーが会長の期待に応えます。「90分。会長だけの、特集です」

最後までアントニオ猪木会長はアントニオ猪木。ケンゾーはその姿を傍らでカメラに収めながら、昭和の時代を破天荒に駆け抜けたスーパースターの、あの強くて豪快な姿でもう一度僕を困らせてほしいと、心の中でひっそりと願うのです。

☆すずき・ひろこ 1975年2月14日生まれ。千葉・船橋市出身。明大卒業後に福島中央テレビにアナウンサーとして入社。2003年にケンゾーと結婚し翌年に渡米。WWE入りした夫とともに、自身は日本人初のディーバ「ゲイシャガール」として大活躍。ハッスルやメキシコマットでも暴れ回った。現在は政界に転身し、千葉県議会議員を務める。一児の母。

☆ケンゾー 本名・鈴木健三。1974年7月25日生まれ。愛知・碧南市出身。明大ラグビー部を経て一度は就職するが、99年に新日本プロレス入り。2002年2月にアントニオ猪木から当時混乱していた新日本の現状を問われてリング上で「僕には自分の明るい未来が見えません」と発言したのは語り草だ。その後は米WWE、ハッスル、全日本プロレスなどで活躍。現在は共同テレビジョン勤務。191センチ、118キロ。

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