愛知県知事リコール署名の大量偽造 暴いたのは地域と会社の枠を超えた前例なき“地方紙連携” 西日本新聞、中日新聞(2021年) [ 調査報道アーカイブス No.45 ]

愛知県庁

◆リコール署名の8割が不正 バイト動員して九州で署名偽造

愛知県の大村秀章知事のリコール(解職請求)運動について、アルバイトを大量動員してリコール署名が大量に偽造されていたー。そんな衝撃的な事件が発覚したのは、2021年2月のことだ。活動団体の事務局長らはその後、地方自治法違反(署名偽造)罪で起訴され、公判が続いている。リコール署名を組織的に偽造するという、前代未聞の事件を明らかにしたのは、中日新聞(本社・名古屋市)と西日本新聞(同・福岡市)による調査報道だった。カバーエリアを全く異にする新聞が取材連携するという、かつてない取り組み。調査報道の新たな可能性を感じさせる展開だった。

事件の第一報は2月16日、西日本と中日のいずれも1面に大きく掲載された。

<西日本新聞>
「愛知県知事リコール問題 佐賀で大量動員 署名偽造 名古屋の企業が関与」
「時給950円「書き写すだけ」 久留米の男性証言 バイト 知らずに加担」
「選管が告発状」

<中日新聞>
「署名偽造 バイト動員か 愛知知事リコール 名古屋の会社が求人 佐賀で昨年10月 書き写し」
「名簿の束「書き写して」 署名偽造 バイト男性語る 会議室に数十人 作業中、携帯はポリ袋に」

内容はほぼ同一である 。両紙は共に「合同取材」であると明記。そのうえで中日新聞は、取材の端緒情報は西日本新聞に寄せられたものだったと明らかにし、西日本新聞は1面記事の末尾には「中日新聞」というクレジットを付す丁寧さだった。不正に真正面から切り込んでいく権力監視型調査報道において、系列関係でもない地方紙が連携して生ニュースとして報じた例は、ほとんどないはずだ。そうした点でも、画期的な調査報道だった。

アルバイトによるリコール署名偽造を報じる紙面(西日本新聞)

◆メールフォームから届いた告発情報

取材はどう進んだのだろうか。筆者(高田)の取材に対し、西日本新聞と中日新聞のデスクが語ったところによると、端緒となる情報は2月2日、西日本新聞の「あなたの特命取材班」に寄せられた。「あな特」は「個人・地域の困り事から行政や企業の不正告発まで、読者の情報提供や調査依頼に応える」として、2018年から同紙が着手した取り組みだ。読者の取材依頼に応じる形で、企画紙面をつくったり、キャンペーン記事を載せたりしている。

リコールに絡んだ端緒情報が届く前日、愛知県選挙管理委員会はリコール署名をチェックした結果として、約43万5千人分のうち、約36万2千人分が不正だったと発表した。不正は8割超にもなる。たいへんな割合だ。しかも、選管によれば、不正署名の9割は複数の同一人物によって作成された疑いがあるという。

西日本新聞に情報提供があったのは、その翌日、2月2日だった。西日本新聞の竹次稔デスクによると、情報はます、「あな特」ページからメールフォームを使って寄せられた。提供主は福岡県久留米市に住む当時50歳の男性。アルバイトの募集に応じ、佐賀県内の貸し会議室で署名簿への書き写し作業を担ったのだという。男性との電話取材を終えると、竹次デスクは中日新聞に連絡した。リコール対象は愛知県知事、男性から聞かされたアルバイト募集の会社所在地は名古屋市。舞台はすべて中日新聞のお膝元である。

読者との双方向性を活かし、読者・市民の疑問を取材によって丁寧に解きほぐしていこう、という「あな特」の試みを西日本新聞は「読者伴走型の調査報道」と称している。そして、西日本新聞の呼び掛けに応じ、多くの地方紙で同様の試みが始まり、ネットワーク化も進んだ。その枠組みが「JODパートナーシップ」だ。JODは「ジャーナリズム・オン・デマンド」の略称であり、オンデマンド型の調査報道という意味である。中日新聞はその一員だ。

竹次デスクはこう言った。

「メールフォームの内容と電話取材の内容は、中日新聞の担当デスクと共有しました。うちの総合デスクや部長の最終的なOKを事前に取ったかどうか……。記憶はあいまいです。事後報告だったかもしれません。でも、JODの枠組みの中で、普段からしょっちゅう、やりとりしてるんです。会社の壁? もうそんなことは意識してないですね」

◆前例のない他紙との合同取材チーム

その後、合同取材チームができ、取材情報の交換も進んだ。両社の記者が一緒に取材に出向くこともあった。調査報道の取材には相当の慎重さが必要だ。取材源の秘匿、何重もの裏取り、機密書類の入手……。そうした行為を会社の枠を超えて実行することは簡単ではない。記事になった後、仮に訴訟を起こされたらどっちがどう対応するか、といった問題もある。それを両紙は乗り越えた。調査報道で他社と連携するには、「秘密保持」「情報管理」「互いの競合」という、難しい3つのポイントをクリアする必要がある。「JOD」というベースがあったとはいえ、現場の理解と熱意で、西日本と中日の両紙はそのハードルを超えた。

この報道は2021年の新聞協会賞を受賞した。授賞に際して日本新聞協会は「民主主義の根幹を揺るがす重大な事実を、発行地域が異なる両紙が見事に連携してあぶり出した調査報道として高く評価される」と評している。一連の報道に関して中日新聞社会部でデスクだった酒井和人氏は「新聞研究」の2021年11月号でこう書いている。(丸かっこは筆者挿入)

(西日本新聞から端緒情報の連絡を受けた際)愛知県選管に提出されたリコール署名に同一の筆跡や押印、故人の署名などが大量に確認されたことは既に報じられていた。ただ、こうしたことは個人の熱意が積み重なることでも起こり得る。何らかの組織的関与を疑う声はあったが、あくまで根拠のない疑惑にすぎなかった。それが「アルバイトによる大量偽造」だったとうのだ。

言うまでもなく、日本の民主主義、地方自治にとってリコールは選挙と対をなす根幹とも言える制度だ。住民自身が知らぬ間に民意が組織やカネの力によって曲げられたとすれば、民主主義を揺るがす前代未聞の暴挙と言える。

その暴挙を明るみに出したのが、新しい形での調査報道だったのだ。なお、この報道は世界的に知られる英ロイター研究所の「Digital News Report」(2021年版)においても、日本の特筆すべきコラボレーションの成果だったと紹介されている。

■参考URL
西日本新聞「リコール署名偽造」あな特投稿が端緒 地域との信頼関係の成果
中日新聞・特設ページ「リコール署名偽造」
中日新聞社・西日本新聞社に新聞協会賞 「愛知県知事リコール署名大量偽造事件のスクープと一連の報道」(YouTube)

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