テキサス州オースティンの音楽シーンを進化させたジェリー・ジェフ・ウォーカーのライヴアルバム『ビバ! テルリングァ』

『Viva Terlingua』(’73)/Jerry Jeff Walker

2021年6月5日、ジェリー・ジェフ・ウォーカー(以下、ジェリー・ジェフ)のメモリアルコンサートがルッケンバックで開催された。2020年10月に喉頭癌の合併症によって78歳で亡くなったジェリー・ジェフは、70年代オースティンのミュージックシーンに新風を巻き起こした最重要アーティストである。残念ながらコロナ禍のため、彼の追悼イベントは半年以上も待たなければならなかったが、このコンサートにはエミルー・ハリス、ジミー・バフェット、スティーブ・アール、ロドニー・クロウエルら、ジェリー・ジェフに所縁のある著名なアーティストたちが参加し、観客は1000人限定となったが、このご時世だけにWebでも配信された。ということで、今回はジェリー・ジェフが73年にリリースした6枚目のソロアルバムとなる変則ライヴ盤『ビバ! テルリングァ』を取り上げる。

ニューヨーク出身のジェリー・ジェフ

1942年にニューヨークで生まれたジェリー・ジェフは、当時の多くの若者がそうであったようにフォークリバイバルの洗礼を受けている。ウディ・ガスリーの生き様に大きく影響され、高校卒業後は全米各地を放浪していた。60年代半ばにはニューヨークに戻り、フォーク歌手としてグリニッチ・ビレッジで活動を始める。そこで、のちにジャズミュージシャンとなるボブ・ブルーノと出会い、サーカス・マキシマスというサイケデリックフォークロックのグループを結成して2枚のアルバムをリリースするのだが、ブルーノと音楽性の違いもあってグループは2年足らずで解散。

同じ頃、有能なギター伴奏者のデビッド・ブロムバーグ(のちにディランのバックも務める)と意気投合、一緒にラジオ局で自作の「ミスター・ボージャングル」を披露すると大きな話題となり、ソロ歌手としてレコード会社と契約する。このあとすぐにN.G.D.Bやサミー・デイビス・ジュニアが同曲をカバーヒットさせると、ジェリー・ジェフは作者として脚光を浴びる。日本でも「ジェリー・ジェフ・ウォーカー = ミスター・ボージャングル」という印象を持っている人は多いと思うが、彼の本当の偉大な足跡はオースティンに移住してから始まる。

ナッシュビルでのレコーディング

彼のデビューアルバム『ミスター・ボージャングル』(’68)はニューヨークで録音されたのだが、ソロ2枚目となる『ドリフティン・ウェイ・オブ・ライフ(当時の邦題は『さすらいの人生』)』(’69)と3rdアルバム『ファイブ・イヤーズ・ゴーン』(’69)はナッシュビル録音であった。その頃はカントリーだけでなく、フォークやロックのアーティストも腕利きのスタジオミュージシャン(エリアコード615の面々)が多いことから、ナッシュビルでの録音が流行っていたのだが、ジェリー・ジェフは流れ作業的なナッシュビルでのレコード制作を自らが体験して、自分の音楽にはそぐわないと考えたようだ。

ジェリー・ジェフは「音楽は日常生活を通して仕上がるものであり、良い歌い手は必ず自分なりのドラマを持っている。バックを受け持つプレーヤーはそれを理解し具体化することにある」と考えており、どんなに演奏が上手かろうがサポートミュージシャンは歌い手のことを心から理解していないと成り立たないとも感じていたのである。

そのことがあったからか、次の4枚目『ビーイン・フリー』(’70)はフロリダのクライテリアスタジオへと出向き、主にサザンソウルやスワンプロックのバックを務めていたディキシー・フライヤーズを従えてレコーディングを行なうのだが、ここでも彼の満足のいくサウンドにはならなかった(とはいうものの、アルバムの出来は良い)。

オースティンでの初レコーディング

放浪している時に立ち寄ったことのあるテキサスの音楽的包容力の大きさに惹かれていたこともあって、次にオースティンを訪問したジェリー・ジェフは、滞在している間にガイ・クラーク、タウンズ・ヴァン・ザント、ウィリー・ネルソン、レイ・ワイリー・ハバード、マイケル・マーフィーらと出会い、自分の目指している音楽が彼らの音楽ととても似ていることに気づく。結局、彼は71年にオースティンに移住し、ゲイリー・P・ナン、ボブ・リビングストンら(彼らがのちにジェリー・ジェフのバックバンド、ロスト・ゴンゾ・バンドの一員となる)とリハーサルを繰り返す。

そして、72年にリリースしたのがニューヨークとオースティンの2箇所で録音された5thアルバム『ジェリー・ジェフ・ウォーカー』である。このアルバムは、デッカ(この直後にMCAとなる)移籍後初の作品で、ロスト・ゴンゾ・バンドの面々が参加していたり、ガイ・クラークのナンバーを2曲取り上げたりするなど、まさにジェリー・ジェフのリスタートとも言える時期である。

本作『ビバ! テルリングァ』について

本作『ビバ! テルリングァ』は、ようやくジェリー・ジェフが目指す音楽にたどり着いた初のアルバムとなった。録音場所は冒頭で述べたメモリアルコンサートの会場にもなったルッケンバック。

ルッケンバックという小さな村はジェリー・ジェフが愛してやまない作家のホンド・クロウチ(1976年逝去)が買い取って暮らしており、このアルバムの内ジャケットにはホンドとルッケンバックの内部が写っている(どう見ても、掘っ立て小屋であるが…)。本作のおかげで、現在もルッケンバックは観光地になっており、ジェリー・ジェフの各種グッズが販売され、毎晩のようにライヴも行なわれている。

アルバムの表ジャケットには「Live Recording Concert Luckenbach, Texas」と書かれている。収録曲9曲のうち7曲は無観客で、残りは観客を入れた変則ライヴとなっていて(おそらく観客を入れた時の録音状態が悪く、後日無観客で録り直したものと思われる)、バックを務めるロスト・ゴンゾ・バンドの名前が初めて記されたアルバムである。

収められているのはジェリー・ジェフのオリジナルのほか、ガイ・クラークの「Desperados Waiting For The Train」、マイケル・マーフィーの「Backsliders Wine」、レイ・ワイリー・ハバードの「Up Against The Wall Red Neck Mother」、ゲイリー・P・ナンの「London Homesick Blues」といったオースティンを代表するシンガーソングライターの名曲ばかりであり、まさに和気藹々とした雰囲気が伝わってくるような臨場感が味わえる。サウンドはジェリー・ジェフならではのカントリーロック・テイストであり、ナッシュビル産の端正なカントリーとは真逆で、オースティンならではの瑞々しさがある。

本作は紛れもない名盤だが、音楽が新しすぎたのか、一般的なヒットはしていない。ただ、音楽業界からは認められ、このアルバムに名が記されたガイ・クラークをはじめ、レイ・ワイリー・ハバード、ロスト・ゴンゾ・バンドらがのちにアルバムデビューをすることになる。また、ゲイリー・P・ナンの「London Homesick Blues」は、76年に始まったTV番組『オースティン・シティ・リミッツ』で27年もの間テーマ曲として使われていて、本作がオースティンの音楽シーンに与えた衝撃はかなり大きかったと思われる。

この後、本作をも上回る出来の『ライディン・ハイ』(’75)をリリース、以降も良作を制作し続けた。特に70年代の作品はどれも良い。オースティン産のカントリーロック・サウンドを生み出したジェリー・ジェフは、ニューヨーク生まれであるにもかかわらず、テキサス音楽の誇りとして現在まで語り継がれている。

TEXT:河崎直人

アルバム『Viva Terlingua』

1973年発表作品

<収録曲>
1. Gettin' By
2. Desperados Waiting For The Train
3. Sangria Wine
4. Little Bird
5. Get It Out
6. Up Against The Wall Red Neck
7. Backsliders Wine
8. Wheel
9. London Homesick Blues

『これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!』一覧ページ

『これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!』一覧ページ

『ランキングには出てこない、マジ聴き必至の5曲』一覧ページ

© JAPAN MUSIC NETWORK, Inc.