【昭和~平成 スター列伝】弾丸男に頭脳戦で初勝利! 新境地開いた力道山の60年ワールド大リーグ戦

空手チョップでノメリーニを場外に叩き落とす力道山(東スポWeb)

日本プロレスの祖・力道山が1951年10月28日にプロレスラーとしてデビューしてから今年で70周年を迎えた。3年後の2024年には生誕100年となる。本紙は60年(昭和35年)に創刊され、プロレスを大々的に報じてきた。昭和30年代の1面はほとんどが力道山関連だったと言っても過言ではない。

それでも創刊当時は野球の記事が中心で、4月1日発行創刊号は「セントラル・リーグ開幕特集」が1面を飾っている。しばらくは野球記事が中心となり、やがてプロレスも1面に進出するようになるが、原動力となったのは前年から開催され爆発的な人気を呼んだワールド大リーグ戦だった。

創刊年は第2回が行われ、決勝戦(5月13日東京体育館)の予想記事が大々的に1面で単独で報じられている。

第1回覇者の力道山は予選リーグ戦から参加。8勝2分けで決勝戦へ進出。相手は10勝1敗2分けの“弾丸タックル”ことレオ・ノメリーニ。55年6月に当時936連勝(引き分けを挟む)を記録していた“鉄人”ことNWA世界ヘビー級王者のルー・テーズに反則勝ちして記録を止めた強豪である。

「この2人は2回シングルで顔を合わせている。1回目は力道山が力士からプロレスラーとして再出発した第1回米国遠征の最終戦(52年6月26日)で顔を合わせたもので、この時はノメリーニが勝った。2回目は、今回のワールド・リーグ戦大阪大会。空手とフライングタックルの激突となり、手に汗握る攻防の末、3回戦(1R8分のラウンド制)まで戦い、時間切れで引き分けている。通算成績は力道山の1敗1分けとなっている」

もはや日本の英雄となっていた力道山にとってまだ勝てない強豪の一人がノメリーニだった。弾丸男は大阪で引き分けた後「すばらしいレスラーになった。もう8年前のリキではない。もう一度やれば全力で戦わなくては勝てない」と語っている。一方、2連覇を狙う力道山に対して、本紙は「王者危うし」の見出しを立て、厳しい論調で苦戦を予想している。

「ノメリーニは大阪で力道山を苦しめたクルスフィックス(十字架固め)を持っている。ギブアップしなければ腕の骨が折れてしまう。寝技では力道山も空手が出せない。立ち技では力道山がやや有利。ノメリーニは寝技で上回る。結論としての苦戦はやむをえないが、ホームリングで死力をふるう力道山の闘志に期待したい」

そして決戦。力道山の作戦は完璧だった。「フライングタックルは身を沈めていなし、3本目のタックルは片足をかけて逆片エビ固めに入った。クルスフィックスの猛攻も見事に外し、逆に空手のつるべ打ち。1―1の後、クルスフィックスを外されたノメリーニは焦り、タックルにいったが体を大きくかわされ、最大の武器で場外に転落して自滅(カウントアウト負け)してしまった。相手の動きを計算した力道山の作戦はさすが。防御から攻撃。プロレス史に新しい1ページを飾った」

1面の見出しは「新境地開いた力道山」。当時のプロレスは単なる肉弾戦から、技術の攻防へと進化しつつあったのだ。

決勝戦は野球記事と1面を分け合っているが、やがて力道山の1面記事がほとんどを占めるようになる。力道山と東スポは、歩調を合わせつつプロレスブームの熱気を築いていったのだ。

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