元阪神マートン氏が語る“成功”の要因 日米の違いと「手を差し伸べてくれた」同僚は

阪神などで活躍したマット・マートン氏(写真はロッキーズ在籍時)【写真:Getty Images】

MLB公式の取材に応じたマートン氏、来日当初は批判を浴びたという

2010年から2015年まで阪神に6年間在籍し、2010年にNPB歴代2位のシーズン214安打を放つなど活躍したマット・マートン氏がMLB公式サイトのインタビューに応じ、日米の野球の違い、適応できた理由などについて語った。首位打者1度(2014年)、最多安打3度(2010、11、14年)の実績を誇るヒットメーカーは、米国とは正反対だった投手の攻め方に当初は手を焼いたという。

マートン氏はNPBで輝かしい実績を残した。阪神在籍6年間で通算1020安打、通算打率.310。入団1年目の214安打は1994年にイチロー氏がマークした210安打を塗り替え、2015年に秋山翔吾(当時は西武)が216安打を放つまでNPB年間最多だった。現在もセ・リーグ、外国人、右打者としては最多の数字。マートン氏は、日本の投手の投球スタイルに対応するため根本的に考え方を変えたと語っている。

「米国では1-0、2-1、3-1といった打者有利のカウントになれば速球を狙うことができるが、日本では正反対なんだ。彼らはそういったカウントで変化球を投げることをいとわない。速球を投げるのは0-1や1-2といったカウントなんだ。日本から米国に来る選手は配球や投球についてのメンタリティを完全に変えないといけない。逆もしかりだ」

マートン氏は2005年から2009年までマートン氏はカブスなどでプレーし、MLB通算346試合、272安打の実績を残して日本に乗り込んだ。しかし、日本野球に適応するには一定の時間を要した。春季キャンプでは苦戦し、メディアから「この男は成功しない、上手くいかない」と評されることもあった。

投球スタイルの理解、球団のサポート、謙虚な姿勢が成功を生んだ

「スプリットやフォークの“奥行き”を理解すること、それを乗り越えることが私史上最大のチャレンジだったかもしれない。キャンプ当初はそれができず、いいパフォーマンスができなかった。批判も受けた。振り返ってみると、あそこで成功の糸口を見つけることができなかったら、私のキャリアは終わっていたかもしれないね」

球団の手厚いサポートも助けになったという。阪神はマートン氏一家のために住居を手配。当時妊娠していたマートン氏の妻の日常生活を助けるために通訳が用意された。マートン氏も日本に溶け込もうと努力した。米国を離れて日本でプレーした元選手や日本で働くビジネスリーダーたちの話を聞いた。時に傲慢な外国人選手がいるという評判を聞いていたことから「そんな選手にはなりたくなかった」と振り返る。

さらに助けになったのがマートン氏と同じ2010年に阪神に加入した城島健司氏(現ソフトバンク球団会長付き特別アドバイザー)の存在だった。2006年から2009年までマリナーズに在籍した城島氏は「私に手を差し伸べてくれた」とマートン氏。「それはとても大きなことだった。いつも『調子はどう?』って感じで様子を確認してくれたんだ」と感謝を示している。

阪神を退団したマートン氏はマイナーでのプレーを経て2018年1月に引退し、その後はカブスのフロントオフィスでも勤務。MLBとNPB間の違いについての見地を持つ貴重な存在だ。最近は、米国で高校の野球チームのコーチを務めているという。(Full-Count編集部)

© 株式会社Creative2