仲間の奮闘を励みに、リハビリに打ち込む野球部員がいる。明治神宮大会に出場している神奈川大4年の諌山佑さん(22)。投手として将来を嘱望されたが、3年前に病に倒れ、現在は休学して車いす生活を送る。チームは23日に中部学院大に勝利し、2010年以来のベスト4に進出。躍進を続けるナインに「自分も負けていられない」。もう一度グラウンドに立つ夢を追う。
◆エールと悔しさ
神大の初戦が行われた20日の東京・神宮球場。車いす用のスタンド席で諌山さんはプレーを見守った。後遺症で記憶障害があり、左目が見えづらく、なかなか打球が追えない。
それでも右手を懸命に動かし、スマートフォンで動画や写真を撮ったのは、仲間たちの頑張りをいつでも思い出せるようにするためだ。23日は自宅でインターネット中継を視聴し、結果を見届けた。
「4年生の中で卒業後に野球を続けられるのは数人だけ。最後まで悔いなく戦ってほしい」。そのエールにうそ偽りはないが、「うらやましさと悔しさしかない」とも明かす。
◆意識戻るまで1カ月
川崎市立西中原中学校時代に全国制覇を経験し、甲子園出場歴もある横浜隼人高では3年夏にエースナンバーを背負った。「もう一度、神奈川から日本一を目指したい」。大望を抱く好右腕を病魔が襲ったのは18年10月25日だった。
当時大学1年の諌山さんは部活動を終えて帰宅後、シャワーを浴びていた時に意識を失った。外出から戻った母洋子さん(58)が発見し、緊急搬送。救急隊員から「非常に危険な状態」と告げられた。
原因は「脳動静脈奇形」という先天性の疾患による脳出血だった。意識が戻ったのは約1カ月後。左半身にまひが残った。「最初は体が動かず、まばたきぐらいだった」と洋子さんは振り返る。
◆仲間の躍進励みに
だが、野球への思いが再起へと突き動かした。「神大でエースになる」。グラブを左手にはめる訓練や、左半身に感覚を呼び起こすためのリハビリを続けてはや3年。ことし5月に参加した障害者のスポーツ大会ではソフトボール投げで30メートル近く投げ、徐々に回復に向かっている。
もちろん、目指すグラウンドはかなたにある。ただ、11年ぶりに明治神宮大会に出場し、ベスト4まで進んだ仲間のはつらつさを見ていると、自然と勇気が湧いてくる。「まずは一人で犬の散歩をするのが目標。選手として復帰するしかない」。夢は諦めない。