「金メダルの心臓」が競技中より激しく鼓動した瞬間 日本にも押し寄せるか「睡眠テクノロジー」の波

 東京五輪から4カ月近くが経過した。稲見萌寧の銀メダル獲得で注目を集めたゴルフ女子。金メダルに輝いたのは米国のネリー・コルダ(23)だが、興味深い記事を目にした。

 「Nelly Korda's Heart of (Olympic) Gold(ネリー・コルダの金メダルの心臓)」という見出し。

 コルダは手首にブレスレット型のセンサーを着けており、心拍数を計測しているが、そのデータによると、最終ラウンドの平均心拍数は1分間128回だった。最高でも154回だったが、表彰式で金メダルを首から下げ、米国国歌を聞いているときの心拍数は172回に上昇した。金メダルを目指してプレーしているときよりも、表彰式での感激の瞬間に心臓は激しく鼓動していたのだ。(共同通信社=山崎惠司)

東京五輪女子ゴルフの表彰式で記念撮影する(左から)銀メダルの稲見萌寧、金メダルのネリー・コルダ、銅メダルのリディア・コ=2021年8月7日、霞ケ関CC

 ▽男女のプロゴルフツアーが導入

 N・コルダが手首に着けていたのは「WHOOP」(フープ)というウエアラブル端末。ニットのバンドに取り付けられたセンサーで24時間、心拍数のほか、体温や血中酸素濃度など、主要な生体情報をモニターする。

 この端末を選手の健康管理やコンディションの向上に役立てようとする動きは、米国の競技団体の間に広まりつつある。N・コルダが所属する米女子プロゴルフ協会(LPGA)は今年2月、WHOOPとの提携を発表した。これにより、LPGAツアーと下部ツアーのシメトラツアー、欧州女子ツアーの全選手とキャディー、スタッフにWHOOPの端末を提供することになった。

WHOOPの公式サイトから

 実はコロナ禍の昨年7月、LPGAツアーはバブル形式でトーナメントを再開する試みの一環で、700人以上の選手、キャディー、スタッフにWHOOPを着用してもらった実績がある。今年の提携では、1000人分の端末を提供されたという。

 今年2月の発表で、LPGAのツアー運営責任者、ヘザー・デーリー・ドノフリオ氏は「彼らが開発した技術で、LPGAの選手、キャディー、スタッフは体調をコンスタントに把握できるようになった。安全で健康な2021年シーズンを確保する私たちの努力になくてはならないものだ」とWHOOPとの提携の意味を強調した。

 N・コルダと姉のジェシカ・コルダ(28)はこれよりも前から、この端末を愛用している。提携発表のリリースでN・コルダは「私と姉はWHOOPのメンバーになって3年」と明かし、妹と同じようにLPGAツアーで活躍するジェシカも「コースにいるときも、私生活でも、最高の体調を維持できるように手助けしてくれる」とWHOOPを評価している。コルダ姉妹の活躍もLPGAツアーの提携を後押ししたかもしれない。

ジェシカ・コルダ=2018年2月(共同)

 LPGAツアーに先立ち、米男子プロゴルフのPGAツアーもこの端末を採用。今年1月、WHOOPがPGAツアーの公式健康ウエアラブル端末として5年間の提携を発表した。

 昨年6月には、RBCヘリテージに出場していたニック・ワトニーがPGAツアーの選手として初の新型コロナ感染者となったが、ワトニーは着用していたWHOOPの数値から体調の異変を確認。検査の結果、陽性が判明した。

ニック・ワトニー=2020年6月(AP=共同)

 この1件の後、PGAツアーが公式に提携することになるが、この提携発表を受けて、LPGAツアーの選手たちから同種のシステム導入を求める声が上がっていた。PGAもLPGAもコロナ禍で中止やスケジュールの変更、無観客開催などを強いられていただけに、選手の健康を守りながら、コロナ禍からのトーナメント早期正常化を目指す両ツアーにとっても利益にかなうことだ。

 ▽心拍数をテレビ中継に提供

 PGAツアーなど競技団体がWHOOPを導入する目的は、選手の健康管理だけではない。ビジネスへの利用もにらんでのことだ。心拍数などのデータをリアルタイムで送信して、テレビ中継のコンテンツとして提供するケースも相次いだ。

 ストックカー・レースの米NASCARは今年8月、レースに出場するドライバーに端末を着用させると公表し、中継テレビ局にドライバーの心拍数を提供。PGAツアーは欧州と米国の対抗戦であるライダーカップとメモリアル・トーナメントで特定選手の心拍数をテレビ中継で使用することを明らかにしていた。

 PGAツアーの場合、全選手に端末を配布したが、心拍数などデータの提供、公開については選手個々の選択となるため、提供に応じてくれる選手を募っている。スター選手のロリー・マキロイ(英国)、ジャスティン・トーマス(米国)はWHOOPに出資していることもあり、既に心拍数をテレビに提供した。

 WHOOPを最初に取り入れたのはゴルフではなく、米プロフットボールのNFL。コロナ禍以前の2017年4月、NFL選手会が提携を発表したが、このときはビジネスへの展開はなかった。

NFL開幕戦=2017年9月

 ▽睡眠と疲労回復

 WHOOPは睡眠状態を測定し、それに関連して疲労回復の程度も教えてくれる。その例としてホームページで紹介されているのが、N・コルダの6月の全米女子プロゴルフ選手権優勝だ。

 第2ラウンドで9アンダー、63の好スコアを出したのがメジャー初優勝に結びついた。その前夜の睡眠時間は9時間18分で、目覚めたときに回復を示すWHOOPの数値は80%だった。続く2晩も8時間以上睡眠。睡眠時間をベッドで横になった時間で割る睡眠効率はどちらも95%で、第3、最終の2ラウンドはいずれも4アンダー、68で回り、通算19アンダーの269で栄冠を手にした。

最終ラウンド、通算19アンダーでメジャー初優勝を果たしたネリー・コルダ=6月、アトランタ・アスレチック・クラブ(共同)

 その前週の試合でもN・コルダは、第1ラウンドの前夜、9時間51分の睡眠を取り、WHOOPの回復指数は94%を示した。この試合で結局、第3ラウンドで自己ベストとなる10アンダー、62をマークするなど、通算25アンダー、263で優勝。翌週の全米女子プロゴルフ選手権は2週連続優勝だった。

 N・コルダは「トーナメントに臨むにあたって、休養をしっかり取ることが大事。WHOOPはどれだけの睡眠が必要か、教えてくれる。WHOOPの回復スコアを見て、いい気分で目覚めると、最高のプレーができるという自信を与えてくれる」と効果を説明した。

 コロナ禍で、プロスポーツ団体は、選手の健康の重要性を認識しただけでなく、選手が最高のパフォーマンスを見せることが試合を盛り上げ、リーグや団体の反映につながると考えたようだ。だから睡眠や休息、疲労回復にも目を向けるようになった。それらの要望に応える端末がWHOOPだった。

 ▽ハイテクベッドも登場

 睡眠状態を把握するということでは、ベッドなど寝具にも可能性は広がる。既に、センサーを内蔵し、睡眠状態をモニターするだけでなく、温度調節を行って睡眠に適切な状態を作り出すハイテクベッドも現れた。

 「エイトスリープ」は睡眠工学の先端技術を取り入れたベッド。米プロバスケットボールNBAのサクラメント・キングズと提携し、シーズン中、本拠地の試合で選手たちにベッドを提供する。NFLのサンフランシスコ・フォーティナイナーズ(49ers)はトレーニングキャンプで限定された選手にベッドを提供した。この2チーム以外にもNBAやNFL、米大リーグの選手が個人で購入するケースも珍しくない。

 こうした機器、センサーで睡眠状態を把握し、健康増進に役立てようという米プロスポーツ界の動きの背景にはテクノロジーの進歩がある。WHOOPもエイトスリープも、人体が発する様々な情報を感知し、データ化する技術が生み出したものだ。

 ▽端末とデータの特徴を理解することが大事

 日本でも似たような端末は既に出回り、使用している選手もいるようだ。端末を使って睡眠状態を把握することについて、日本の研究者に聞いてみた。睡眠科学、環境生理学を研究する東北福祉大の水野康教授は「正確な数字をきちんとフィードバックできれば、1日とかであれば効果的だろうが、毎日続くとどうだろうか。選手は自分の主観、最終的には自分の感覚を頼りにするようになるのではないか」と、データに対する選手の信頼が持続しない可能性を指摘した。

 その前提にあるのは、睡眠状態を正確に把握するのはそれほど簡単ではないという見方だ。端末は睡眠状態を判断するのに心拍数も測定するが、水野教授によると、心拍数には自律神経の影響が大きく、交感神経、副交感神経の働きで、心拍数は多くなったり、少なくなったり、変化するという。複雑な人体のメカニズムを、現在の端末のレベルでは判断するのは難しいだろう、との立場のようだ。

 国立スポーツ科学センター・スポーツ研究部の星川雅子課長は、ナショナルチームレベルの選手に睡眠の指導を行い、研究も重ねている。星川課長も、端末は、脳波の測定には及ばないという。「睡眠の深い・浅い、レム睡眠・ノンレム睡眠の区別は脳波測定を上回れない。端末は、正確さを脳波測定に近づけるためにアルゴリズムを駆使してデータを出すけれども、脳波と同じレベルではない」。

 しかし、正確さを求めて、頭部に電極をいくつも貼り付ける脳波測定を何日間も行うのは現実的ではなく、星川課長は端末でのデータも使うことがあるという。端末も手首に巻くタイプだけでなく、指輪のようなもの、ベッドに敷くタイプもあり、「手首に巻くものとベッドに敷くタイプと、両方を選手にお願いすることはけっこうあります。それぞれの特徴を良く知って使い分けます」。

 ちなみに星川課長が選手たちへの睡眠指導で大事にしているのは(1)寝るときには部屋を真っ暗にする(2)ベッドは寝るための空間。ベッドに座って対戦相手の研究とかはやめてほしい(3)できるだけ長く寝て、朝起きる時間をそろえてほしい―の3点だという。

 朝、起きる時間をそろえるのは、メリハリをつけて、24時間のリズムを作るのが狙い。選手のパフォーマンスには体内の深部温が影響するそうで、深部温が高いときにいいパフォーマンスができるという。また、それぞれの体内時計、リズムで深部温は1日のうちで上がったり、下がったり変化するそうだ。その深部温のリズムを安定させる意味でも朝起きる時間をそろえるのは大切と、星川課長は強調した。

 ▽拡大する睡眠テクノロジー市場

 スポーツ選手のパフォーマンスに与える影響から睡眠の重要性に焦点が当たり、睡眠と健康に関する市場が米国で拡大しつつある。WHOOPも、エイトスリープも今年、資金調達を実施。WHOOPは20億ドル(約2200億円)、エイトスリープは8600万ドル(約94億6000万円)を調達した。この両社の資金調達には、日本のソフトバンクグループ傘下の投資ファンド2社がそれぞれ別個に参加した。資金を増強した2社は経営を拡大、展開するのは間違いない。日本にも本格的に睡眠テクノロジーの波が押し寄せてくるのは遠くないだろう。

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