故障しても、控えでも…目指せるプロ入りの道 ヤクルト3位指名の右腕が示す新たな形

ヤクルトから3位指名された日本通運・柴田大地【写真:荒川祐史】

高校時代は控え投手、大学時代は故障続き 社会人・日通で開花した柴田大地

「僕、ずっと松坂(大輔)さんに憧れていたんです。小学生の時に見た(2009年第2回)WBCとか、レッドソックスでの姿とか、本当に格好良かったですね。投げ方とか真似してみたりして。この前の引退試合はテレビで見ました。やっぱり格好良かったです。ただ、今でも投げると痛いんだろうな、とも思いました」

こう言いながら、12歳の野球少年に戻ったかのように目を輝かせるのは、日本通運野球部で守護神を務める柴田大地だ。1997年生まれの24歳。初めて見た松坂大輔はすでに海を渡り、メジャー投手となった後で「西武時代のピッチングはYouTubeで見ました」と屈託ない笑顔を見せる。もちろん、“平成の怪物”として名を轟かせた甲子園での快投も伝説として知るのみだ。

横浜高時代から注目を一身に集め、鳴り物入りで西武へ入団した松坂とは裏腹に、柴田の学生時代は静かなものだった。日体大荏原高では控え投手で、東東京大会4回戦が最高成績。日本体育大では入学早々に右肘を故障し、4年間1度も公式戦のマウンドに上がることはなかった。そんな右腕が今年、未完の大器としてプロ野球ドラフト会議を賑わせた。

故障した右肘の状態は一進一退を繰り返し、大学入学後はボールも握れず、体作りに励む日々。だが、早くから秘める才能の大きさに気付いていた辻孟彦投手コーチは「期待しているぞ」と目を掛けた。「辻コーチの言葉が、自分の中で一番の芯になった」という柴田は、腐ることなく黙々とトレーニングを積み重ね、マウンド上で腕を振る自分の姿をイメージし続けた。

努力は必ず報われる。大学3年の冬、日体大・古城隆利監督の計らいで日本通運の練習に参加が叶うと、柴田の中に眠る計り知れない才能に、日通の藪宏明前監督が注目。その日のうちに内々定が出た。

「え、本当ですか? いいんですか?」

驚きを隠せない柴田にまず課されたのは、トミー・ジョン手術(肘内側側副靱帯再建術)を受けて右肘を完治させること。それまでPRP(多血小板血漿)療法を繰り返しながらも「痛みが出ると注射を打つ、の繰り返し。PRP療法が合う人もいますが、僕には多分合っていなかったのかも。正直、先が見えないと思っていた時だったので、トミー・ジョン手術を受けるということで希望が持てました」と振り返る。

故障後、早々にトミー・ジョン手術に踏み切らなかったのは、リハビリ期間の長さにある。試合で投げられるようになるまで、一般に術後1年以上を要するとされており、4年と限られた大学生活を考えると一歩を踏み出せなかった。だが、進路が決まった上での施術となれば話は別だ。「焦らず、しっかり治してほしい」という日通野球部からのアドバイスに従い、慎重に一歩一歩リハビリの道を歩んだ。

高校時代は控え投手、大学時代は故障が続いた【写真:荒川祐史】

故障の治癒で再び戻った「野球が楽しくて」という感覚

「希望に溢れた手術でした」とは言うが、同時に「思った以上にしんどかったです」と笑う。左手首の腱を右肘に移植したため、術後1週間は両腕が固定された状態となり、「風呂に入るのも洗濯するのも、寮で同じ部屋だった仲間が手伝ってくれました。本当に感謝しています」。食事は利き手ではない左手でするか、肘の曲がらない右手に持ったスプーンやフォークに顔を近付け、なんとか口に入れた。

キャッチボールを始めたのは、日通に入ってから。「そこからの方が長くて、苦しかったかも」という。

「久々にボールを投げる怖さがあって、投げるたびに肘の内側だったり外側だったり、いろいろな場所が痛くなる。まさに一歩進んで二歩下がるの繰り返しでした。手術を経験した人に聞くと、良くなるために避けては通れない道みたいですけど痛かったです。キャッチボールは高山(亮太)コーチがずっと相手をしてくれました。マンツーマンで見てくれて、本当に有難いことですよね」

キャッチボールの距離を延ばし、平地から傾斜がついた場所に投げる場所を変え、半年も経つとマウンドから打者を相手に投球できるようになった。この頃になると、怖さは楽しさに変わっていた。

「楽しさの方が大きかったです。手術から1年半以上経っていたし、大学入学から故障を繰り返した3年間もあったので、本当に長かった。だから、今も投げることが本当に楽しいんですよね。野球が楽しくて」

今年5月のJABA東北大会で、高校生以来となる公式戦に登板すると、これまで内に秘めていた才能が一気に花開いた。最速156キロの力強いストレートを武器にした攻める投球でクローザーを拝命。八面六臂の活躍でドラフト注目株となった。

「指名されても、もう少し後かと思っていました」。10月11日のドラフト当日。会見場にいながらも、どこか他人事のようにテレビ画面を眺めていた柴田が我に返ったのは、3位指名の時だ。12球団の先陣を切ったヤクルトが「柴田大地」と指名した。

「すごく驚きましたし、うれしかったです。プロになりたいとは思っていたけど怪我が続いて、社会人でようやく野球ができた。たくさんメッセージもいただいて、本当にみんなに喜んでもらいました」

真っすぐを武器に、守護神の座を目指す【写真:荒川祐史】

怪我をしている選手や主力ではない選手に「希望を与えられる存在に」

2015年以来6年ぶりにセ・リーグ優勝を果たしたホットなチーム。「選手層も厚いと思いますし、僕もそこで負けていられないなという気持ちがあります」。本拠地・神宮球場のマウンドには高校時代に上がった経験があるが「緊張すると思います。緊張するけど、その緊張が幸せというか、楽しく感じられると思います。限られた人しか経験できない感覚ですから」と楽しみで仕方がない様子だ。

目指すは守護神の座だが、まずは中継ぎとして実績を積み上げる心構えだ。「真っ直ぐが武器という選手が自分の理想。そういう選手になりたいと思います」。手術の影響もあり不安定だった制球が夏頃から落ち着き、球速、質ともに納得のいくピッチングができるようになってきた。同時に「スピードが全てではありませんが、もう少し上がりそうな感じはあるかな」と、さらなる成長の手応えも感じている。

ドラフト指名を受け、プロ入りすることにはなったが、まだスタートラインに立っただけ。厳しいプロの世界で生き残らなければ意味はない。これまで支えてくれた人たちのためにも、自分のためにも、そしてこれからプロを目指す“後輩たち”のためにも――。

「僕みたいに大学の公式戦で1度も投げたことがない選手がドラフトにかかるなんて滅多にないことだと思います。だから今、怪我をしている選手や主力として試合に出られていない選手に希望を与えられる存在になれるように頑張りたいなと。結果が出ていなくてもプロ入りして活躍できるんだよ、と言えるようなりたいですね」

自身が松坂大輔に憧れたように、近い将来、神宮のマウンドで打者を圧倒する“異例の経歴を持つ右腕”に憧れた少年がプロの門を叩く。そんな日がやってくるような活躍を果たしたい。(佐藤直子 / Naoko Sato)

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