日本シリーズの裏でこちらも熱戦「24時間かかしソフトボール」 30日に「胴上げ」、福岡の田んぼで開催

7回表、本塁上で交錯するかかし。奥はJR筑豊本線=22日午後、福岡県飯塚市

 白熱するプロ野球日本シリーズの裏で、稲刈りを終えた福岡県飯塚市の田んぼでは30体のかかしによるソフトボールの熱戦が繰り広げられている。過疎で廃部になった小学生チームのユニホームを着たかかしは、チームの元監督の手で作られた。毎日少しずつ動かされ、1カ月かけて試合が進んでいく。当初は「不気味」との声もあったが最近は「ほのぼのする」「懐かしい」との声も寄せられ、地域の風物詩となっている。目まぐるしい逆転劇で盛り上がるプロ野球頂上決戦の傍ら、スローな試合の勝敗は30日に決し、勝利チームのかかしは胴上げもする。(共同通信=坂野一郎)

 ▽交錯

 飯塚市のJR浦田駅から北に約300メートルの田んぼ。7回表が行われていた11月22日、雨上がりでぬかるんだ本塁上で、走者と捕手のかかしがクロスプレーを演じていた。今年も開催された24時間かかしソフトボール、浦田地区―牟田地区の試合。頭からすべり込むかかしの手は本塁に伸び、捕手のミットからこぼれたボールが転がっている。これで浦田が1点を返し、7回表で9対10。壮絶な打撃戦だ。

打席に立つ浦田地区のユニホームを着たかかし(上)。少し緊張した表情?(下)

 かかしを作ったのは近くに住む鯰田浦田自治会長の久保井伸治(くぼい・しんじ)さん(70)。地区にあった小学生チームの元監督で、2012年から毎年11月に「かかし球児」を設置してきた。11月1日ごろに試合前のミーティングから始め、30日に勝敗が決まるようにかかしを毎日動かして進めていく。かかしは朝も昼も夜も田んぼにいるので、「24時間ソフトボール」と銘打った。

 訪れた人はスコアボードに点数を記入でき、田んぼの中に入ってかかしを動かしてもいい。選手だけでなく、監督、コーチ、観客、スカウトまでいる。ボードや天候、久保井さんの気分に合わせて試合は進んでいく。

会場に設置されたスコアボード

 ▽思い出の結晶

 地区はソフトボールが盛んで、かつて10ほどの小学生ソフトボールチームがあった。40年ほど前からユニホームも作り、飯塚市全体の大会出場を目指してしのぎを削った。久保井さんも監督として、毎日子どもたちと練習した。

地域に残された、35年ほど前の写真。ソフトボールは大事なイベントだった。試合の日はみんなで子どもたちを応援した

 しかし過疎が進み、少子高齢化により97年にはすべて廃部になった。小学6年生で引退する上級生から下級生に代々引き継いでいたユニホームも公民館に10年以上保管されたままで、行き先を無くしていた。廃棄寸前だったが、「子どもたちの汗と、親の気持ちが詰まった地域の思い出の結晶だ」と久保井さんが譲り受けた。

 「この地域の子どもらはみんなチームに入っていた。もちろん子どもたち自身の思い出もあるし、私ら親世代も、じいちゃんもばあちゃんも、当時は家族みんなで応援に行った。子どものために泥だらけのユニホームを洗濯した思い出、膝のあたりが破れたらワッペンでズボンを直してあげた思い出を誰でも持っとるんです。ユニホームには地域の記憶が詰まっている。それを捨ててしまうのはこんなに悲しいことはないと思った」

膝にクマのワッペンがあてられているかかし。小学生が実際に着ていたユニホームだ

 そうして引き取ったユニホームの使い道を考えていたところ、多くの人に見てもらおうと「かかしソフトボール」を思いついた。親も子も、自分が付けていた背番号は覚えている。「あっ、あのかかしはうちのだ」と分かるはず。この町にソフトボールがあった風景や思い出をかかしに重ねて、みんなが懐かしがり喜んでくれると考えた。2012年秋、せっせとかかしを作り始めた。かかしの頭部は同級生の美容室からもらったマネキンで、胴体は束ねたカヤや紙くず、ゴムホースなどで作った。部屋に保管していると家族に「怖いから顔は向こうに向けておいてほしい」と言われた。2週間ほどで30体を作り上げ、一つ一つに思い出のユニホームを着せてやった。

 ▽「安心ですね」

 12年11月に初めてかかしソフトボールは開催された。一見異様な光景に初めのうちは不気味がられた。事情を知らずに訪れた知人は「いやぁ、子どもらが田んぼでソフトボールをしているんですね。こんなに子どもが元気ならこの地区は安心ですね」と久保井さんに言った。期間中は昼夜ずっと試合が続いているため「なんで夜まで子どもに練習させているんだ」と勘違いする声も少なくなかった。

一見子どもたちと見間違えそうになるかかしソフトボール

 そんな滑り出しだったが、自分の子どもたちが着ていたユニホームだと地域の人たちが知ると、みんな喜んで見に来てくれるようになった。かかしに着せてあげてほしいと近隣地区からもユニホームが寄付され、紅白戦だけでなく地区対抗戦もできるようになった。近隣店舗の協力を得てナイター照明も設置し、かかしソフトボールは年々充実している。

寄付された牟田地区のユニホームを着たかかし

 12年から毎年続け、今では風物詩となっている。子どもたちが登下校のときにスコアボードに得点を記入したり、大人たちがバッターボックスで写真を撮ったりしている。地元だけでなく、市外からも見物客が訪れているという。会場に置いてあるノートには「毎年楽しみです」とか「いやされます」などと応援の言葉が書き込まれている。久保井さんは「子どもたちにも大人にも喜んでもらえて本当にうれしい」と話す。

 ▽結末を見に来て

 かかし球児たちの試合は終盤、クライマックスは間近だ。昨年は牟田が地元浦田に勝利し、地域住民から残念がる声が上がった。ノートには子どもの字で「浦田を勝たせて」と書き込まれているという。「みんなの期待があるからね」と苦笑する久保井さん。ゲームの行方は30日に決まる。

会場に置いてあるノートに書き込まれたメッセージ

 11月22日の夕暮れ、ヘッドスライディングで生還を果たし、ユニホームが汚れたかかしを久保井さんはベンチに下げてやった。「こうして何年もやっていると子どもみたいにかわいく思えてきてね」とかかしに着いた土を払う。「まさに今が見どころ。試合の結末がどうなるか。胴上げを見に来てあげてほしい」。かつての監督は、「URATA」のユニホームを着たかかしの傍らで笑顔だった。

浦田地区のかかしと一緒に、笑顔の久保井さん。かつては監督も務めていた

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