【荻窪】昭和の東京のタイムカプセルが開く!西郊ロッヂング

はじめは下宿?「西郊ロッヂング」100年の歴史

西郊ロッヂング(新館)

西郊(せいこう)」は1916年(大正5年)、現在の東京都文京区の本郷に、下宿屋として創業しました。

1923年(大正12年)の関東大震災で被災し、建物は焼失。その後、1931年(昭和6年)、本館(現「旅館西郊本館」)が荻窪に移転しました。

独特のモダンな雰囲気が漂う新館(現「西郊ロッヂング」)が増築されたのは、1938年(昭和13年)のことです。

3代目オーナーの平間美民(ひらま よしたみ)さんは「この建物は、私にとっても謎を秘めています」と語ります。

本館と新館はともに木造モルタルづくり。また、新館は、屋上にある青銅のドームと弧を描く建物の外観が印象的です。これは、宮内省の技師だった平間さんの祖父の設計とのこと。

本館・新館ともに2009年(平成21年)11月、日本の登録有形文化財に指定されています。

なぜ荻窪に移転?

「西郊ロッヂング」の初代となる平間さんの祖父は、神奈川県の葉山市にある皇室(天皇家)のご静養の場「葉山御用邸」の工事に携わりました。その際、葉山の人にとてもお世話になったということです。

その後、荻窪の住民たちと接した時、「葉山の人々とお人柄が似ている」と感じたことから、荻窪への移転を選んだとのこと。

なお、当時の東京の中心は東の浅草周辺で、新宿や池袋はそれほど賑やかではありませんでした。こうした中、荻窪は文人や政治家、医者といった上流階級の別荘地だったということです。

JR荻窪駅 Picture courtesy of pixta

「西郊ロッヂング」は、当時の日本では珍しい西洋風の下宿でした。個室制で、室内には作り付けのベッドやクローゼット、電話、マントルピースとガスストーブも設置。プライバシーと快適さを考慮しており、当時は画期的だったということです。

旅館西郊本館

しかし、第2次世界大戦後は、時代の流れで、お客様から和室のご要望が多くなり、そのため本館は和風に改装して「旅館西郊本館」となり、今日まで営業を続けています。

新館も、2001年の客室改装を経て、レトロなアパートメント「西郊ロッヂング」に生まれ変わりました。

「改築しようと考えたこともない」

3代目の平間美民さん

「西郊ロッヂング」は駅から徒歩6〜7分弱と、アクセスのよい場所にあります。

そのため、日本のバブル経済(1986~1990年ごろ)の時期は、「庭を潰してビジネスホテルをしないか」、「建物を取り壊してマンションを建てればもっと家賃が獲れる」と、業者やホテル業者から毎日のように連絡があったそうです。

しかし、平間さんは「私たちは今まで改築しようとか考えたことがないんです。改築しなかったから今まで残ってこれたんですよ!」と語ります。

この言葉を聞いて、筆者は、目先の利益にとらわれない平間さんの考えに感銘を受けつつ、この「宝物」を残してくださったことに深い感謝を覚えました。

新型コロナウイルスが広がる前は、国内外の多くの人が「旅館西郊本館」に宿泊しました。感染症の流行後も、このレトロな雰囲気を愛する東京都内の若者たちが泊まりに来て、東京の非日常を体験しています。

往時の雰囲気を残す「旅館西郊」

では、まず「旅館西郊本館」に入ってみましょう。

ひとたび玄関に足を踏み入れると、昭和時代にタイムスリップしたかのよう。ここでは、平間さんご夫婦が宿泊客を出迎えてくれます。その温かい雰囲気に、著者は自分が都内にいることを一瞬忘れそうでした。

中庭は庭園になっています。廊下側には藤の花が、庭の真ん中にはしだれ桜が植えられています。

そのほかにも多数の季節の花があり、この庭を愛する平間さんご夫婦の思いがうかがえるようです。

2Fは、和の風情を色濃く漂わせています。このような古い旅館は、今の日本にはもうあまり残っていないかもしれません

シングルルームには、座卓と座椅子、布団、マットレスが並べられています。

日本の文豪は、かつてこのような旅館に籠りながら執筆活動を行いました。筆者は文豪にはなれませんが、いつかここでリモートワークしてみたいものです。

ツインルームは部屋ごとに間取りが異なりますが、いずれも和の風情が漂っています。建物は古いですが、掃除は隅々まで行き届いています。

室内のあちこちには、建物を設計した人の遊び心が見られます。たとえば天井には、和船の底を模した細工があります。おかげで、寝転がって天井を見ても、退屈しません。

創業当時の姿を今に残す「西郊ロッヂング」(新館)

こちらは、現在アパートメントとして活用されている新館の「西郊ロッヂング」です。現代人の目から見ても、そのオシャレさは色褪せていません。友だちを連れてきたら、きっと自慢できるでしょう。

もっとも、「新館」が建てられたのは昭和初期ですが、この建物のデザインは当時の建物としては斬新なもので、洋間の下宿の先駆けとなり、人気だったようです。

「駅に近く、環境もいいことを考えると、ここの家賃は高くないと思いますよ」と笑う平間さん。もっとも、残念ながら現在は満室とのことでした。

「西郊」で見つけた懐かしいグッズ3選

「西郊」では、インテリアも印象的でした。

1.使い方を知ってますか?ダイヤル式電話

これは、日本で昭和時代に使われていたダイヤル式電話機。真ん中の円盤を回すことで、電話番号を入力します。

誰もがスマートフォンを持ち、多くの家庭から固定電話がなくなったこの時代に、このような旧式の電話機が見られるのは嬉しい驚きでした。現在の若者の多くは、この電話機の使い方を知らないそうです。

2.重厚感のある旧型テレビと金庫

現在は液晶テレビが普及していますが、「旅館 西郊」では旧型テレビが現役でがんばっています。テレビの下に置かれた金庫も、長い歴史があるものです。

3.時代の風を感じる「ドライヤー」

現在は、多くの種類の多機能ドライヤーがあります。しかし、「旅館 西郊」で見たこの緑色のドライヤーは、いつの時代のものかはわかりませんが、とてもかわいい形をしています。

東京に残る“昔の日本”を感じてみて

本記事では、「西郊」を“レトロ”だと形容しています。ただ、この年代に詳しくない筆者にとっては、「新しい」という方がむしろしっくりきました。

台湾や日本の若者の間では、現在、ひそかにレトロブームが起きています。皆さんが日本に来たら、都市にまだ残されている「昔の日本」を味わってみてくださいね。

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In cooperation with 旅館 西郊

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