【久保康生コラム】「指導者の素養」既成概念にとらわれずに取り組むことが大事

近鉄時代の投球フォーム(東スポWeb)

【久保康生 魔改造の手腕(3)】 1997年シーズン中に出場選手登録を抹消され、二軍行きかと思ったところそのまま一軍に帯同。ブルペンを任され実質、コーチとして若手を指導する立場となっていました。

そのままじわっとソフトランディングする形で引退することになり、97年の暮れに投手コーチ就任を打診されました。

そして、その流れのままに現役を退いて、もうその足ですぐにハワイウインターリーグに投手コーチとして参加させてもらいました。

日米韓から複数のチームが若手の有望株を派遣し、混成チームを4つ編成していました。我々はホノルル・シャークスに振り分けられ、このチームには巨人、近鉄の選手が入っていました。

これが実務的なコーチとしての第一歩ですね。当時、巨人からは趙成珉や入来祐作が来ていたのを覚えていますね。

97年、サンフランシスコ・ジャイアンツドラフト1位だったジェイソン・グリーリも参加してました。この選手は日本へ助っ人として移籍してくる候補として、スカウティングリポートにリストされていたので覚えていますね。

そういう若くて有望な選手が揃う場所で、最初のコーチとしての修業がスタートできたわけです。自分にとってとてもタイムリーで、当時の近鉄球団にも佐々木監督にも感謝ですね。

98年からは正式に二軍投手コーチとして契約をさせていただきました。97年、現役最後のシーズンにアドバイスを送った大塚晶文が活躍してくれた。

大塚と入れ替わるように登録抹消されたかと思うと、同時に若手の指導を任せられた。そして、その若手たちが結果を出してくれたことは、僕の中での自信になってくれました。

指導するということのスキルに関してはもちろん、自分にどれだけの可能性があるか、最初はわかりませんでした。

ただ、大塚という成功例によって確信めいたものは感じていました。そういう部分を佐々木監督も感じ取っておられたのだと思います。

指導においての引き出しとは…。そう考えるとすなわち、自分自身が野球選手として育ってきた経緯に関係すると思うんです。私自身も低迷した時代に悩むこともありました。そういう時期に自分自身としてどう対応してきたか。それを思い起こした時にやはり方法というものはあるんだと感じます。

野球でも何でもコツというものはあります。何が自分をそうさせているのか。どんどん深く自分自身を掘り下げて分析していくと、幼少期からの習慣だとか、生活様式までが行動に影響を与えていることだってあります。

選手が私から指導を受けたときに形容する言葉として「これって真逆ですよね」と言うことが多くあります。悪癖を修正するとき、極端に逆のことをすることによって相殺するというか、既成概念を崩して取り組むことが大事だと思っています。

いや、これって本当だろうか? これで本当にいいのか? って具合に既成概念にとらわれずに取り組むことで、私自身も現役時代に実力を伸ばしてきました。

☆くぼ・やすお 1958年4月8日、福岡県生まれ。柳川商高では2年の選抜、3年の夏に甲子園を経験。76年近鉄のドラフト1位でプロ入りした。80年にプロ初勝利を挙げるなど8勝3セーブでリーグ優勝に貢献。82年は自己最多の12勝をマーク。88年途中に阪神へ移籍。96年、近鉄に復帰し97年限りで現役引退。その後は近鉄、阪神、ソフトバンク、韓国・斗山で投手コーチを務めた。元MLBの大塚晶文、岩隈久志らを育成した手腕は球界では評判。現在は大和高田クラブのアドバイザーを務める。NPB通算71勝62敗30セーブ、防御率4.32。

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