株式会社TOKIOの名刺作りに密着。人生を懸けた挑戦の日々と、強い覚悟

フジテレビで本日11月26日放送の「連続ドキュメンタリー RIDE ON TIME」(深夜1:05、関東ローカル)では、今年4月に始動した「株式会社TOKIO」を特集。デビューから27年、大切に育ててきた「TOKIO」という名とともにに、新たな道に踏み出した3人の、これからの人生を懸けた挑戦の日々と、強い覚悟を映し出す。

TOKIOの3人は、この春、株式会社を立ち上げた。社長はグループのリーダーである城島茂、副社長を国分太一と松岡昌宏が務め、「なんでもつくろう!」を事業コンセプトに掲げている。会社始動に向けて、まず3人が手掛けたのは、名刺の制作。しかも自分たちの手で木製の名刺を作ることだった。

今年3月、彼らは素材となる杉の木を伐採するため、福島県の山に。自ら木にくさびを打ち、斧をふるう。頑丈でなかなか倒れない木と向き合って、松岡は「木も生きてるからね、こんなとこでやられてたまるか、みたいな。お前ら会社経営っていうのはこういうことだぞ。そんなに簡単にはいかねえぞ、と」と自然から教えられることを、あらためて実感した様子。そして、ようやく倒れた木を「えらいですね。いい木ですね」としみじみ眺めた。

会社始動から3週間。全国にうどん店を展開する大手チェーンとの共同プロジェクトの打ち合わせが行われていた。さまざまな意見が交わされる中、城島から「こども弁当っていうのを作ってもいいかもしれないですね」とアイデアが出る。この考えを基に、彼ら自身で新しいメニューを開発することになる。

その夜、1人でオフィスに戻った国分は、さらなる考えを巡らせていた。彼のメモ帳には、これから形にしたいもの、新事業のアイデアなどがびっしりと書き込まれていた。国分は「会社としてすべて僕らでやらないといけない。こっちからアタックをかけないと仕事も来ないこと、たくさんあると思いますし。『株式会社TOKIO』に関しては、ここを窓口にして仕事をするっていうことを目標にしないと。甘えてもいられない年齢なので」と気を引き締めた。

そして、「なぜ会社を作るという道を選んだのか」と問われ、松岡は「TOKIOっていう名前に、やっぱり屋号にこだわりがあったんですよね。今まで築き上げてきた、この母屋というTOKIOをなくさないために、もう一つ横に新しい建物を作ったっていう感覚」と話し、国分も「自分たちの尻をたたくじゃないけども、この年齢になってきて、いろいろな経験をさせてもらったからこそ、自分のフィルターを通してどうやったら新しい表現ができるんだろう」と思いを口にし、「まだ見ぬ景色が見たいですね」と語る。

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