【幕末維新 山口れきし散歩】 No.22 「旧中川家住宅」

▲いぐらの館に初時雨が(山口市阿知須)

 1870(明治3)年、中川家の養子となった野村屋弥十郎の長男・令辰(れいしん)は、1868(明治元)年より山口で鶴鳴堂という私塾を開いていた。この塾は山口明倫館に入学できなかった子弟たちのために設けたものであった。だが、後に脱隊騒動が起こり、塾生の中からも参加者が出たためやがて閉塾。1873(明治6)年からは地元の花園小学校や阿知須小学校で首席教師を務めた。

 1883(明治16)年、上阪した彼は大阪日報で筆を執るが、間もなく帰郷。1892(明治25)年には雑誌周南第2号を刊行するが内務大臣・井上馨が治安を妨害するものと認定。山口県知事・原保太郎の名により発刊を停止された。

  防長史談会山口支部長 松前 了嗣

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