70’sロックの方向性のひとつを提示したジム・クウェスキン・ジャグ・バンドの『ガーデン・オブ・ジョイ』

『GARDEN OF JOY』(’67)/Jim Kweskin Jug Band

60年代初頭、アメリカのフォークリバイバルは音楽ファンだけでなく政治にもかかわりながら大きなムーブメントとなっていた。1963年8月、キング牧師に率いられた20万人にも及ぶワシントン行進が実現し、全米で人種差別撤廃が叫ばれた。同じ年の11月、南ベトナムでベトナム戦争激化の引き金となる軍事クーデターが起こり、その3週間後にはテキサスでアメリカ第35代大統領ジョン・F・ケネディが暗殺されるなど、アメリカ国内は激動の時代を迎えていた。戦前の黒人音楽であるジャグ・バンド音楽を復活させたジム・クウェスキン&ザ・ジャグ・バンドがヴァンガードレコードから『アンブラッシング・ブラシネス』でデビューするのも同じく63年だ。今回取り上げるジム・クウェスキン・ジャグ・バンド(本作で改名している)の4thアルバム『ガーデン・オブ・ジョイ』(’67)は彼らの最終作であるが、最も脂の乗り切った演奏が聴ける最高傑作であり、彼らの音楽はフォークシーンだけにとどまらず、当時のロックシーンに与えた影響も大きい。

ジャグ・バンドとは

ジャグ・バンド音楽とは1920年代に登場した黒人のストリングバンドのことで、使用楽器はジャグ(口唇のコントロールで低音を出す大きな瓶)、ウォッシュボード(洗濯板。ザディコではラブボードと呼ぶ)、ウォッシュタブベース(金だらいに棒を刺して弦となる太紐を張ったもの)等がメインとなり、ギター、フラットマンドリン、バンジョー、フィドル、マウスハープをはじめ、スプーン、櫛、カズー、ジューズハープ、ノコギリなどを使うこともある。要するにジャグ・バンド音楽とは、楽器を買えない貧困層が自作の楽器を使って演奏したのがスタートで、ジャグはチューバ、カズーはトランペット、ウォッシュボードはパーカッションの代用品だったわけである。

ジャグ・バンドの隆盛と衰退

戦前のジャグ・バンド音楽はメディシンショー(薬売りに同行するミュージシャンや芸人)の興行で演奏されることが多く、エンターテインメントであっただけにノべルティー的で明るい性質を持っていた。演奏の際にはダンスを披露したり、白人のヒット曲を取り入れることもあった。ラジオやテレビなどもない時代だけに、ジャグ・バンド音楽は地方によってまったく違ったサウンドであったが、メンフィス・ジャグ・バンドやガス・キャノン&ジャグ・ストンパーズといったジャグ・バンド音楽のスターがレコーディングすることで、音楽の輪郭が明確になっていく。30年代になるとジャグ・バンド音楽はブルース、ニューオリンズジャズ、ラグタイム等を混合したサウンドに定着する。

30年代中頃になるとアメリカではラジオが普及し、楽器の電化も進み多くの新しいポピュラー音楽が生まれると、徐々にジャグ・バンド音楽は時代に取り残されていき、いつしか忘れられた存在となる。

ジム・クウェスキン &ザ・ジャグ・バンド結成

ボストン大学に通っていたジム・クウェスキンはラグタイム・ギターを習得し、後輩でブルースを研究していたジェフ・マルダーと出会う。当時はフォークリバイバル真っ只中で、ブルーグラス音楽と並んでジャグ・バンド音楽が流行しつつあった。クウェスキンとマルダーは自分たちの得意な資質を生かすことのできるジャグ・バンド音楽のグループを組もうと、チャールズ・リバー・バレー・ボーイズに在籍していた同じ大学のボブ・シギンス(バンジョー)に声を掛ける。シギンスは同じくチャールズ・リバー・バレー・ボーイズやキース&ルーニーで活躍していたフリッツ・リッチモンド(ウォッシュタブベース&ジャグ)を誘い入れる。そしてカズーとマウスハープのブルーノ・ウルフを加えた5人組でグループはスタート、1stアルバム『アンブラッシング・ブラシネス』でデビューする。

2ndアルバム『ジャグ・バンド・ミュージック』(’65)ではボブ・シギンスが脱退、代わりに元ビル・モンロー&ザ・ブルーグラス・ボーイズ〜キース&ルーニーの革命的なバンジョー奏者であるビル・キースとイーブン・ダズン・ジャグ・バンドにいたマリア・ダマート(のちのマリア・マルダー)が加入し、グループの強化が図られている。また、グループ解散後にクウェスキンのパートナーとなるメル・ライマンがマウスハープで参加。3rdアルバム『シー・リバース・サイド・フォー・タイトル』(’66)ではブルーノ・ウルフが脱退し、再び5人組となる。

本作 『ガーデン・オブ・ジョイ』について

本作ではビル・キースと同じくビル・モンローのバックを務めたフィドラーのリチャード・グリーンが加入、その圧倒的なテクニックとドライブで他のメンバーを煽りまくっている。

以前の3作と比べ、本作はボーカルにしても演奏にしてもまとまりのある端正さが特徴だ。それは初めてプロデューサー(ジョン・コート)を迎えたことや、大手のリプリーズレコードに移籍したことも関係してか、まさにプロフェッショナルな演奏になっているのだ。荒削りの手作り感がジャグ・バンド音楽の良さであることは間違いないが、これだけの完成度の高い音楽だからこそ彼らに追随しようとするグループが増えたのも事実なのである。ビル・キースがブルーグラス・スタイルのプレイをしていても違和感を感じさせないのも、このグループが模倣ではなくすでに自分たちのジャグ・バンド・サウンドを完成させたからだと言える。

選曲はガス・キャノン等のジャグ・バンド関連をはじめ、デューク・エリントンの有名な「ムード・インディゴ」のほか、「マイ・オールド・マン」「アイム・コンフェッシン」「シェイク・オブ・アラビー」「ジー・ベイビー・エイント・アイ・グッド・トゥ・ユー」など古いジャズナンバーが多く、グリーンの加入がこれらの選曲を可能にさせたのかもしれない。アルバムジャケットはサイケデリックロック時代ならではの60’s的デザインだが、中身は時代を感じさせないグッドタイム・ミュージックが詰まっている。

最後に

60年代はジム・クウェスキン・ジャグ・バンドのほかにも、デイブ・ヴァン・ロンク&ジャグ・ストンパーズ、マリア・マルダーやデビッド・グリスマン、ジョン・セバスチャン等が在籍していたイーブン・ダズン・ジャグ・バンド、アーティー・トラウムのトゥルー・エンデバー・ジャグ・バンドなどがあったが、やはり本作の完成度は文句なしに高く、ニッティ・グリッティ・ダート・バンドの『ニッティ・グリッティ・ダート・バンド』(’67)、CCRの『ウィリー&ザ・プア・ボーイズ』(’69)、マンゴ・ジェリーの『マンゴ・ジェリー』(’70)などの作品は、間違いなく本作の影響を受けている。

この後、クウェスキンはメル・ライマン(カルト集団の運営者)にそそのかされ、あっけなくグループを解散してしまうものの、現在に至るまでジャグ・バンドのリユニオンを含め音楽活動は続けている。

TEXT:河崎直人

アルバム『GARDEN OF JOY』

1967年発表作品

<収録曲>
1. イフ・ユーアー・ア・ヴァイパー/If You’re a Viper
2. ミングルウッド/Minglewood
3. ガーデン・オブ・ジョイ/Garden of Joy
4. サーカス・ソング/The Circus Song
5. マイ・オールド・マン/My Old Man
6. アイム・コンフェッシン/Kaloobafak (I’m Confessin’ That I Love You)
7. アラビアの酋長/The Sheik of Araby
8. ホエン・アイ・ワズ・ア・カウボーイ/When I Was a Cowboy (Western Plains)
9. ムード・インディゴ/Mood Indigo
10. アイ・エイント・ゴナ・マリー/I Ain’t Gonna Marry
11. エラ・スピード/Ella Speed
12. ジー・ベイビー、エイント・アイ・グッド・トゥ・ユー/Gee Baby, Ain’t I Good to You

『これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!』一覧ページ

『これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!』一覧ページ

『ランキングには出てこない、マジ聴き必至の5曲』一覧ページ

© JAPAN MUSIC NETWORK, Inc.