【高校野球】条件付きで校長になった“二刀流監督” 創部初の甲子園出場を確実にした名将の極意

聖隷クリストファー・上村敏正監督【写真:間淳】

上村敏正氏は浜松商、掛川西の指揮官で7度甲子園に

「逆転の聖隷」「ミラクル聖隷」と評された。静岡県の聖隷クリストファーは秋季東海大会を劇的な勝利で勝ち上がり、準優勝。創部初の甲子園となる来春の選抜高校野球大会出場を確実にした。チームを率いる上村敏正(うえむら・としまさ)監督は監督と校長の“二刀流”。高校野球の常識を覆す存在だ。

来年の選抜切符をかけた秋季大会。聖隷クリストファーは「ミラクル」と形容されるにふさわしい試合を繰り返した。静岡県大会準々決勝で、3点を追う8回に4点を奪って静岡市立に逆転勝利。浜松西との準決勝は延長12回の接戦を制して、東海大会出場を決めた。東海大会2回戦は2点を追う9回に3得点で中京(岐阜)を下す。そして、フィナーレは至学館(愛知)との準決勝。9回表に3点を勝ち越されながら、その裏に試合をひっくり返し、選抜出場を確実にした。

「逆転の聖隷、ミラクル聖隷、粘りの聖隷と言われるが、スマートな野球がしたいですよ。10-0で勝ちたいけど、私にはこういう野球しかできない」

監督に就任して4年が経つ上村監督は笑いながら、自身の経歴を振り返る。浜松商3年時に、選手として1975年夏の甲子園に出場した。静岡大会6試合のうち、5試合が逆転勝利。甲子園で手にした2つの白星のうち、1つは逆転サヨナラ。当時、「逆転の浜商」と呼ばれた。上村監督は、選手の時も指導者になってからも劣勢を跳ね返してきた。追い込まれた時の心境を、こう明かす。

「うまくいくことばかりではないから、仕方ないと思っている。困ったなと思ったり、イライラしたり、後悔したりすれば、選手に伝わりますから。今のチームには突出した選手がいないので、起きたことを悔やむのではなく、次に何をやるかを考えるようにしようと言ってきた。あとは最後に、負けることを怖がるなと。人生は思い通りにいかないことの方が多いですから」

上村監督は選手としてだけでなく、母校の浜松商と掛川西で監督として春夏合わせて7度、聖地に立っている。周りから見れば「思い通りの人生」に見えるかもしれない。しかし、うまくいくことばかりではなかった。5年前、59歳の時に3度目のガンを患った。

聖隷クリストファー・上村敏正監督【写真:間淳】

校長として大切にしている2つのこととは

「ちょっと手術すれば終わりかなと思っていたら、3か月も仕事を休んでしまった」。病室で長時間、横になって過ごす生活。励みになったのは、お見舞いに来る教え子たちの存在だった。昔話で盛り上がり、成長した姿を見る時間が幸せだった。そして、当時は野球の指導から離れていた上村監督に、ある感情が芽生えた。「最後に、もう1度野球がやりたい」。縁あって、2017年春に聖隷クリストファーの副校長を務めることになった。管理職には抵抗があったが、野球をやらせてもらえるという“確約”を取って引き受けた。

ところが、最初の半年間は副校長専任でユニホームを着られなかった。2017年秋に監督に就いたが、昨年、今度は理事長から思いもよらない打診を受けた。「野球をやめて校長をやってほしい」。上村監督は「野球をやるために、この学校に来たんです」と拒否した。理事長は納得しない。話し合いは平行線が続いて結論が出ない中、上村監督が折衷案を示した。「なぜか、野球をやらせてもらえるなら校長を引き受けますと言ってしまった」。話がまとまり、校長を兼任する異色の監督となった。

野球部の練習中、グラウンドには生徒指導の教員や学年主任が訪ねてくる時もある。校長の研修や会議で出張し、部活に顔を出せない時もある。監督と校長の両立は簡単ではない。上村監督は「自分は校長の器でもないし、能力もない」と話す。大切にしているのは2つ。最終的な決断をすることと、責任を取ること。そして、教員には「どうせできないと、行動を起こす前から諦めないでほしい」と伝えているという。

野球部のグラウンドから見える建物を改修したのも、上村校長のメッセージを形にしたものの1つだ。元々、勉強合宿の際に生徒が宿泊するために造られた建物だったが、今は教室に変わっている。宿泊施設自体に反対する教員が多い中で建設され、稼働率も低かったという。教員の間では別の用途で有効活用した方が良いという声が上がっていたが、「どうせ、上に考えを伝えたところで変わらない」と諦めていたという。ところが、上村校長が高校を運営する法人に掛け合うと、理解を示して改修が決まった。

思い通りにいかないことは多い。でも、何とかできることもある。校長との“二刀流”という異色の監督に、諦めるという選択肢はない。

○上村敏正(うえむら・としまさ) 1957(昭和32)年5月25日生まれ。静岡県浜松市出身。浜松商3年夏に捕手で甲子園出場。1回戦で勝ち越し打を放ち、3回戦まで進出。早大卒業後に御殿場高の監督を経て浜松商で春夏計6度甲子園出場を果たした。2009年に掛川西で選抜出場。2017年に聖隷クリストファーの監督に就任。2020年から校長を兼務する。(間淳 / Jun Aida)

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