動物と触れ合える園を追求 長崎バイオパーク園長 伊藤雅男さん(60)

卵から育てたチョウを温室内に放つ伊藤園長。「始めた当時は日本でも珍しい展示法だった」と振り返る=西海市西彼町、長崎バイオパーク

 はじめは「3年間のつもり」だった。動物と向き合い、同僚飼育員だった妻と結ばれ、家族ができた。縁もゆかりもない長崎にやってきて38年。今年6月、副園長から園長に昇任した。

 園長になっても、飼育している200種2千点の生きものの状態を把握し、その魅力を広く伝える仕事自体に変わりはないと話す。「実は私、定年“延長”なんです」と、取材中に駄じゃれを織り交ぜるなど、気取らない人柄も以前と変わらない。
 1994年、「泳げないカバ」で有名になったモモ(雌、27歳)の育ての親としてメディアに登場。その後もカピバラなどの生態をメディアで紹介する「バイオパークの顔」だが、無類の虫好きで「ファーブル伊藤」の異名も持つ。
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 東京都荒川区で育ち、河川敷でバッタやチョウを追い掛けた。実家から上野動物園まではバスで30分ほどの距離。足しげく通った。中学時代は野球に打ち込んだが、生きものへの情熱は冷めることなく、高校時代には上野動物園で来園者に動物の生態を伝えるボランティアの活動に没頭した。
 卒業後、全国の動植物園の監修も手掛けた生物学者、故近藤典生・東京農大名誉教授の門をたたいた。「どこか園(働き口)を紹介してもらえないだろうか」という下心もあったが、近藤教授は「自分の目で確かめた人にしか、動物の仕事は紹介できない」ときっぱり。
 同大進化生物学研究所に住み込み、動物の世話を担当することに。キツネザル100頭と「24時間の生活」。日本では数少なかったカピバラやハシビロコウがいて、日の出前にはテナガザルが鳴き縄張りを誇示し、ネズミが出るとキツネザルが一斉に騒ぎ出す-。そんな環境で3年過ごした。
 「大型動物がいる長崎で3年勉強してこい」。当時バイオパークは開園から3年を迎えたばかり。近藤教授が設計を監修した。「動植物本来の生態系に近い環境をつくり上げる」という理念の下、柵や壁をできる限り省いた動物園は当時はまだ珍しかった。今では九州最高齢のカバとなったドン(雄、現在41歳)が“同期入社”。
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 一年を通じて、チョウが舞う温室は園の名物だが、新婚旅行先の沖縄で捕まえてきたチョウを放したのが始まりだった。
 88年にチョウの展示を開始するまで温室内では熱帯鳥を飼育。「チョウの天敵は鳥」との先入観を、子ども用の図鑑に載っていたコラムが覆した。「アメリカに生息するマダラ類のチョウは幼虫のころ、有毒なアルカロイドを含む草を食べて育つため、鳥から食べられない」
 「同じことが温室でも再現できるはず」。新婚旅行先で観光そっちのけでチョウを捕獲。保存用のパラフィン紙に包み、長崎に送った。最初は鳥に食べられていたが、やがて園内を舞うように。大成功だった。
 6年前から環境省などと共同でツシマの絶滅危惧種「ツシマウラボシシジミ」の繁殖活動に取り組み、プライベートでは旅するチョウとして知られる「アサギマダラ」の研究で県内の森を飛び回る日々だ。
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 バイオパークは今月で開園41年。人間界では新型コロナとの戦いが続くが、動物も感染症と無縁ではない。鳥インフルエンザ、口蹄疫(こうていえき)などの感染症から飼育する動物や地域を守らなければならない。それは園に携わる者の宿命だ。
 感染症予防という観点に立てば、園の最大の武器である「動物と触れ合う」というコンセプトは「弱点」にもなる。それでも「その姿勢を守りながら、自然保護、研究、癒やしやレクリエーションを提供する動物園の役割を果たしていきたい」と決意を語る。

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