片桐仁も驚き…人気漫画家から版画家へ転身した異例の芸術家・前川千帆とは?

TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週土曜日 11:30~)。この番組は多摩美術大学卒で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が、美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。9月4日(土)の放送では、「千葉市美術館」で版画家・前川千帆の半生に迫りました。

◆漫画家から版画家へと華麗に転身…その理由とは?

今回の舞台は千葉県・千葉市にある千葉市美術館。2020年にリニューアルした同館は、1927(昭和2)年竣工の歴史的建造物「旧川崎銀行千葉支店」を包み込むように建てられ、芸術文化を次世代に継承するという美術館のあり方が伝わってきます。

そんな千葉市美術館で今夏開催されていたのは、近代日本を代表する版画家・前川千帆の44年ぶりの回顧展「平木コレクションによる 前川千帆展」。学生時代に版画を学んでいた片桐は「いろいろな意味で楽しみ」と期待を寄せます。

明治から大正にかけてムーブメントを起こした創作版画の御三家の1人でもある千帆は、当初は人気漫画家として活動。読売新聞に所属し新聞連載を持ち、日本最古のアニメーション作品と言われる「なまくら刀」(1917年)に作画で協力。しかしその後、版画家となり、日本版画協会の中心的作家として活躍。ただ、目覚ましい仕事のわりにあまり知られていません。その理由の1つが空襲で、自宅が被害に遭い、多くの作品が消失してしまったから。さらには商売に興味がなく、自ら楽しむことを第一としたことも評価が広まらなかった一因と言われています。

同館の上席学芸員・西山純子さんの案内のもと、まず片桐が着目したのは当時新聞に連載されていた漫画「あわてものの熊さん/読売サンデー 漫画第19494号」(1931年)。漫画家として成功を収めた千帆に対し、片桐は「漫画家でいいじゃないですか。なぜ版画の世界に……」と首を傾げます。

千帆が版画へと向かった背景には、漫画の世界は読者にウケないといけない、ウケないものを描くことができない、そうしたストレスがあったのではないかと西山さんは推察。実際、千帆は漫画家としての虚しさを吐露していたこともあったとか。作りたいものを作るべく版画へと転身し、後に彼自身「私の版画は楽しみすぎているかもしれない。人生のあらゆる方面に楽しまなくちゃいけない」と語っていたそう。

◆力強く復興する東京の姿を刻んだ「新東京百景」

版画家となった千帆は1928(昭和3)年に版画仲間とグループを結成し、彼の代表作となるシリーズ作品「新東京百景」に着手。これは関東大震災から5年が経ち、復興していく東京の街とそこで逞しく生きる人々に感銘を受けた千帆らがその姿を残そうと作り始めたもので、東京の街を細部まで彫り上げています。

「かわいい版画ですね」と片桐が笑顔をのぞかせていたのは「新東京百景 新宿夜景」(1931年)。「トレンチコート姿の真ん中の人がいいですね。映画が始まるような感じで」と感想を述べていたこの作品の舞台は、新宿の南口。背景には「三越」の看板も見え、当時の百貨店はまさに復興の象徴というべき存在だったとか。

また、1927年に開通したばかりの東京の最先端スポット、地下鉄・銀座線を描いたのが「新東京百景 地下鉄」(1931年)。片桐は「みんなおめかしして、華やいだお出かけの雰囲気がある。写真じゃなくて版画というのがまたいいですよね。情緒があって」と感慨深そうに眺め、さらには「漫画家出身だけあって、動きがあっていいですね」と感嘆。

元漫画家という経歴は作品のなかに多数見て取れ、例えば景色のなかに人物を描くところ。元来、千帆は人を描くことを得意とし、作品からは風景のみならず人々の息遣いを表現することにもこだわっていたことが伺えます。

続いて「これはまたカラフルですね」と驚いていたのは「屋上風景」(1931年)。そこに描かれているのは、前述の新宿・三越の屋上からの風景。東京の景色とともに当時の最新のファッションに身を包んだカップルの姿も描かれ、「構図は漫画っぽい。そして、摺りとしては黒を使わず、色味がすごく鮮やか」と片桐は感心します。

この3作品には全て人物が描かれていますが、そこに共通しているのは全員が「後ろ姿」であること。千帆の作品はこうして後ろ姿の人が多く、作品を鑑賞する人も同じ風景に立ち会っているような気分が味わえます。

次はちょっと毛色の違う「ラグビー」(1932年)。片桐は「これまたいい絵ですね。かわいい」と語る一方で、その構図は「漫画的ですね」と話します。立派な体をしたラガーマンをコンパクトかつかわいくまとめ、なおかつ面白いところだけを切り取る、このユーモアが千帆らしさで、これは西山さんもイチオシの作品だそう。片桐も「やはり漫画家だけあって、ユニークな場面を作るのが得意だったんですね」と評します。

しかも、これは1932年のロサンゼルスオリンピックの芸術競技に出品されるほど高評価を得た作品。当時はオリンピックにも芸術競技があり、過去に7回正式採用されたものの、客観的な採点を行うことが困難という理由から廃止になってしまいました。

ちなみに、そんな千帆と縁のある女優が樹木希林さん。彼女が樹木希林を名乗る前の芸名は"悠木千帆”と言い、それは前川千帆の描くふっくらとした女性の顔に似ていたことから父親が名づけたそうです。

◆彫りから摺りまで全て1人、作品に見られる高い技術

千帆が没頭したのは"創作版画”で、それは下絵を描く「絵師」、版木を彫る「彫師」、摺り上げる「摺師」と分業で行っていた伝統的な版画とは違い、全ての工程を1人で行うものでした。

版画家転身直後の作品「四国の風景」(1922年)を見てみると、やはり風景の中に人物、さらには走る犬がいて、とても動きがあります。ただ、まだ多色摺りを使いこなせず単色摺りで、どこか漫画のタッチを木版画にしたような感じが。片桐も素晴らしい作品であることは認めつつ「彫りにまだ苦心している感じ。インクの乗りも悪いですね」と率直な感想を述べます。

しかし、それから18年。千帆が52歳頃の作品「農婦2」(1941年)になると「これはもう技術が……版画と言われなければわからないですね」と絶賛。潔い彫りと濁りのない澄んだ摺りで手仕事の苦労を感じさせない仕上がりに。彫りから摺りまで全て1人でやるからこその繊細な作品です。

一方、「新東京百景 品川八ツ山」(1929年)にも千帆ならではの技が。そこに描かれた道にはぼかした部分があり、それは彫刻刀を斜めに削ることで色の濃淡を表現する技法「板ぼかし」の賜物。さらには、人の表現も単純化されユーモラスな表現になっているなど、版画だからこそ可能な表現がたっぷり。片桐が「版画ならではの表現にハマっていったからこそ(千帆は)そっちにいったんですね」と慮ると、西山さんも「千帆は版画の全ての工程を愛していた。制作することが好きという感じがとても伝わってくる作家」と千帆への思いを吐露します。

◆作品を通して"日本を明るく”

一心不乱に創作版画を突き詰めていく千帆。晩年には、また新たな世界観の作品を生み出します。それは元漫画家ならではのユーモアとそれまでの経験が凝縮された「閑中閑本」という小さな本のシリーズ。

27冊あるこの作品、例えば「閑中閑本 第十一冊 神籤吉凶帖」(1952年)は、おみくじの文章を現代語訳したようなもの。

絵も字も全て版画で、木版画家としての技術を詰め込みつつ、漫画のような面白さもあるという千帆だからこそできる作品ですが、当時は太平洋戦争の真っ只中。千帆は岡山へと疎開し、そこで苦しい時代だからこそユーモアに触れてほしいとこの作品を創作したそうです。

自ら楽しんで仕事をすることで鑑賞者を楽しませ、さらには人々が楽しそうにしているところを描くのが好きだった千帆。そんな彼の作品を44年ぶりに展示することの意味について、西山さんは「コロナに疲れたこの時期に見るとほっこりする。それを共有してもらえたら」と今回の企画展への思いを語ります。

千帆の作品をたっぷりと味わった片桐は、「(千帆の)手仕事が見て取れる、その良さもありましたね」と喜び、その上で「関東大震災があったり、大変な時代だったけど、当時のポジティブな風景や人物などが版画に込められていて、(千帆の)優しい眼差しを感じました」と感想を述べます。そして、「細部までこだわりまくった木版画で人知れず日本を照らした千帆、素晴らしい!」と賞賛し、日本に元気を与え続けた芸術家に盛大な拍手を贈っていました。

◆北斎の独特な視点にあっぱれ!

ストーリーに入らなかった作品から片桐がどうしても紹介したい作品をチョイスする「片桐仁のもう1枚」。今回、片桐が選んだのは、閑中閑本の最終巻となる「『閑中閑本 第十一冊 閑本工程帖』版木」(1960年)。

千帆は病に伏してなお病床で創作を続け、仕事仲間からも称えられる一途な芸術家人生でした。片桐もこの作品を見ながら「一つひとつ彫っていたんだな、この作業が好きだったんだなって感じますね」と千帆の半生に思いを馳せていました。

最後はミュージアムショップへ。「めちゃくちゃキレイだし、広い!」と声を上げる千葉市美術館のミュージアムショップには多くのグッズが。伊勢海老のご祝儀袋や千帆と縁のある樹木希林さんの本などを見つけては喜ぶ、とても楽しそうな片桐でした。

※開館状況は、千葉市美術館の公式サイトでご確認ください。

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<番組概要>
番組名:わたしの芸術劇場
放送日時:毎週土曜 11:30~11:55<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00~8:25<TOKYO MX2>
「エムキャス」でも同時配信
出演者:片桐仁
番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/

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