三菱重工長崎 軟式野球部が「休部」 68年の歴史に幕 ライバル十八親和銀と最終戦

県軟式野球選手権後に記念撮影した三菱重工長崎と十八親和銀行=諫早市第1野球場

 長年、長崎県軟式野球界をけん引してきた三菱重工長崎が、7日の県選手権決勝を区切りに「休部」となった。会社の事業が縮小傾向になる中、近年は部員不足が深刻化。1953年(昭和28年)の創部から68年の歴史の幕を閉じる。
 三菱重工長崎は天皇賜杯全日本大会に14度出場するなど、県内外で結果を出してきた。69年(昭和44年)の1巡目長崎国体は硬式野球部(現在は活動停止中)から選手を補強して、初出場で4位と健闘。平成に入ってからは県内の高校球児を勧誘して本格的に強化を進め、競技継続を希望する有望選手の受け皿にもなってきた。
 だが、ここ数年は新入部員が入らない状況が続いた。異動などで県外へ出る選手も増え、大会のたびに帰ってきて合流するケースもあった。練習から満足に活動できる選手は10人前後だった。
 これを受けて、香田正宣監督は苦渋の決断をした。「来年は直前で大会を辞退することにもなりかねない。7月に個人面談をして最終的に私が判断した。いろいろと悩んだけど、休部の選択をするしかない。1年間休部して、状況を見て正式に廃部という形をとる」。そう話す言葉の端々には無念さがにじんでいた。

2014年長崎国体。4強入りを決めて喜ぶ三菱重工長崎と親和銀行の選抜チーム=佐世保市吉井野球場

 最後の試合となった県選手権決勝は、選手の家族やOBらが会場に駆けつけて声援を送った。ベンチには10月27日に44歳で他界したOBの宮本純元主将の遺影が掲げられ、選手たちは左腕に喪章を着けてプレーした。
 その相手は2014年長崎がんばらんば国体で、選抜チームを組んだライバルの十八親和銀行。選手たちは時間を惜しむように一つ一つのプレーに全力を尽くした。閉会式では県軟式野球連盟の八江利春会長が「長きにわたって切磋琢磨(せっさたくま)してきてくれた」と功績をたたえた。最後に両チームは一緒に記念撮影。スタンドからは感謝、寂しさが入り交じった拍手が送られた。


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