日本シリーズが「令和の名勝負」となったワケ…ギャオス内藤氏らが本誌に語った「高津版“野村ID野球”」の魅力

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ヤクルトを優勝まで導いた高津臣吾監督

久々におもしろい野球を見たぞーー。日本全国からこんな声が聞こえてきそうな、2021年プロ野球の最終決戦だった。

野村克也氏と仰木彬氏という2人の名将が策をぶつけ合った1995年の対戦から、26年ぶりの両球団の再戦となった今回の東京ヤクルトスワローズ対オリックス・バファローズ(当時はブルーウェーブ)の日本シリーズ。第6戦で延長12回の激闘の末、ヤクルトが日本一をつかみ取ったが、「野村ID野球vs.仰木マジック」が甦った「令和の名勝負」だったと言っても過言ではないだろう。

「僅差の試合が多かったので本当に見入ってしまいました」

近年まれにみる接戦について、本誌に感極まりながら話すのは、ヤクルトOBのギャオス内藤氏(53)だ。

少ない点差が続いたシリーズのポイントをまずひとつ挙げるならば、要所を締めてきた投手陣だ。同級生でもある高津臣吾監督(53)を「タカっちゃん」と呼ぶ内藤氏が話す。

「ヤクルトはシーズンで二桁勝利の投手がいなくても、ここまで来た。先発は不安定だが、監督の『誰が使えて、誰がいまひとつなのか』の目利きがうまく、ブルペン力で勝ち切ってきたんですよ。タカっちゃんの野村イズムの継承が顕著に表われたと思います」

オリックスOBで、1995年の日本シリーズでは中嶋聡監督(52)とバッテリーで活躍した野田浩司氏(53)は、リリーフの場面での中嶋監督の決断が仰木氏を彷彿とさせたと話す。

「正直、中嶋監督のベースにある考え方は、仰木さんとは違うと思います。ただ、今回“ここで打たれたらシリーズ敗退濃厚”という場面で、若い吉田凌をリリーフに行かせる決断を見せました。こうした若い選手でも、信じて使うといった思い切りのよさは仰木さんに近いものがありましたね」

シリーズのポイントをもうひとつ挙げるとすれば、若手選手の躍動だ。ヤクルトは開幕投手に奥川恭伸を起用。オリックスもシーズン中からスタメンで出場し続けてきた紅林弘太郎をはじめとして、多くの若手選手が出場した。

阪急・オリックス一筋22年の投手生活を送った佐藤義則氏(67)は、「世間はなんでも仰木さんの後継者とか言うんだよな……(笑)」とこぼしつつも、中嶋監督にも“マジック”を感じたと話す。

「中嶋監督は、そこまで仰木さんを意識して野球をやってなかったと思うよ。でも、選手を乗せて、やる気を出させるところは仰木さんに似ている。(アダム・)ジョーンズのように辛抱して使ってきた選手や、自分がずっと育てた若手選手が活躍して、結果に繋がっているんだよね」

1995年のシリーズにヤクルトの一番打者として活躍した飯田哲也氏(53)も、中嶋監督の選手起用には“猫の目打線”ともいわれた仰木氏の相性重視の采配の片鱗を感じたという。

「相手投手とのデータなどをよく照らし合わせて、打線を組んでいると思いました。第5戦でタイムリー三塁打を放った20歳の太田椋は、その典型じゃないでしょうか」

イチローを見出した仰木氏は言うまでもないが、野村ID野球の真骨頂も所属選手の発掘、育成にあった。

「タカっちゃんも当初は先発で結果が出ずに、二軍で緩いシンカーを覚えるように野村さんに命じられた。それを習得してから一軍で中継ぎ、抑えとして定着できるようになったんですよ」(内藤氏)

奇しくも今回、第2戦で完封勝利を挙げた高橋奎二は、高津監督が二軍監督時代に「自分で考える」という課題を与えながら、育てた選手だ。

一方で野村氏は“勝負は盤石”が鉄則だった。飯田氏はそれを踏まえて、こう話す。

「育成を重視していたが、野村さんだったら日本シリーズのような大舞台で高橋や奥川に完封、完投を狙わせることは絶対にしなかった。高津監督は野村さん以上に『ここで一本立ちしてほしい』という思いが強かったんでしょう」

内藤氏も「野村イズム」が現代版になったとみている。

「試合中にタカっちゃんが率先して、ガッツポーズをするじゃないですか。野村さんだったら、絶対にやらないし、ああいう行動に何度も苦言を呈していましたからね(笑)」

互いに二軍監督を経験し、前年最下位のチームを成長させた高津、中嶋の両将。選手とのコミュニケーションは“令和流”を選んだのだろう。

ただ、野村氏の“再生工場”も仰木氏の“猫の目打線”も、根底にあったのは「選手をよく見ること」だった。その思いを受け継いだことで、天国の名将たちが糸を引くように勝負の行方を操っていたのかもしれない。