碓氷峠で活躍した峠のシェルパEF63とは 導入の経緯とその独特さ 引退後の現在は…

はじめに

今年で鉄道開業149年、来年で150周年の節目を迎える日本の鉄道。鉄道と峠の関係は奥深く、その中でも特に碓氷峠に敷設された信越本線は、様々な技術が詰まっている路線である。今回は、信越本線の横川~軽井沢間に特化して開発されたEF63形電気機関車について紹介する。

信越本線で活躍した115系(筆者撮影)## 信越本線とは

信越本線は、高崎駅から横川、軽井沢、長野、妙高高原、直江津、新津を経由し、新潟駅までを結ぶ路線であった。しかし、1997年10月に北陸新幹線の高崎駅~長野駅間(長野新幹線)が開業したことにより、並行在来線の経営分離規定に基づき、並行在来線にあたる高崎~長野間のうち軽井沢~篠ノ井間は第三セクターのしなの鉄道へ移行された。残りの高崎~横川間と篠ノ井~長野間はJR東日本が存続させている。そして、機関車で列車を後方から押すなど特殊な運転を行っていた横川~軽井沢間は廃止となった。

碓氷峠の歴史

碓氷峠は、群馬県と長野県との境にある峠であり、古来より関東と信濃国とを結ぶ重要な場所である。横川駅の標高が387m、碓氷峠の頂上が960m、軽井沢駅の標高が939mとなっている。11.2kmの区間に約550mもの高低差があり、最大勾配は66.7‰(1000m進むと67.7m上がる)もの急勾配区間であった。

勾配が66.7‰を示す(筆者撮影)

このように信越本線は、高低差の大きい碓氷峠を越える必要があり、急勾配区間が生じることから、かつて日本で唯一「アプト式」と呼ばれるラック式鉄道を採用していた区間である。アプト式とは、通常のレールの間に、2~3枚のラックレールという直線状の歯車を設置し、車両側に設置されたピニオンとかみ合わせることで、急勾配を登り下りできる仕組みのことだ。アプト式を採用することによって、高低差の大きい碓氷峠に鉄道を通すことはできたが、このアプト式には欠点もあった。それはラックレールを採用したことで、最高速度は下りが時速20km/h、上りが時速18km/hと低いことや、ED42形電気機関車を列車の前後に連結するため、機回しに時間が掛かったことなどの理由から、増加する輸送量に輸送密度が追いつかず、アプト式は限界を迎えていた。そこで、粘着運転をする新線に切り替えられ、ED42形電気機関車に代わる急勾配区間を運転する諸条件を満たした新形式として登場したのがEF63形電気機関車である。

EF62形電気機関車 1号機(筆者撮影)## 新線開業と新型電気機関車 EF63

前述の通り、アプト式では輸送がひっ迫していた碓氷峠の区間を一新するため、1963年に粘着運転可能な新線への切り替えを行った。それに向けて1962年に登場したのが、信越本線全線通じて運行できる本務機関車EF62形電気機関車と、碓氷峠に特化した補助機関車EF63形電気機関車である。

EF63形電気機関車は、急勾配区間を走行するための保安装置の強化や、粘着性能向上のための特殊装備を追加した結果、運転整備重量が108tの機関車となっている。急勾配を安全に走行するため、特殊な機器を多く搭載している。過速度検知装置は、下り坂を走行中に設定された制限速度を超える前に警報を発し、速度を超過した場合非常ブレーキが作動する装置である。遊軸装置(写真①)は、過速度検知装置の一部で、動輪がスリップにより回転が不安定な時でも機関車の速度を正確に検出する装置である。この装置は中間台車の外側に直径340mmの遊輪を設けている。電磁吸着ブレーキ装置は、電磁力により直接レールに吸着させ制動力を得るものである。空気シリンダによりリンクを介して常時、70mmの位置に吊り下げられている。現在鉄道文化村に保存されている10号機は上がっている状態(写真②)、18号機が下がっている状態で展示されている(写真③)。転動防止用ブレーキ装置は、急勾配において列車を長時間停車させる時、圧縮空気の漏出により空気ブレーキ装置が効かなくてもブレーキが緩まないようにする装置である。双頭型両用連結器は、第2エンド(軽井沢方)側に自動連結器と密着連結器一体型の連結器を設け、客車連結時は自動連結器に、電車連結時は75度回転させ密着連結器となる(写真④)。軸重調整荷重は、第1エンド、第2エンド引張箱左右両端に軸重調整荷重取付枠があり、第2エンドの上段に344kg、下段取付箱に1288kgの重りを積載することで急勾配における軸重の均一性を図った。このように制動力の強化や車両重量の調整をして安全に峠をこえていた(写真⑤)。

写真① 遊軸装置(筆者撮影)

写真② 10号機の電磁吸着ブレーキ装置。上がった状態である。(筆者撮影)

写真③ 18号機の電磁吸着ブレーキ装置。下がっている状態である。(筆者撮影)

写真④ 第2エンド側にある双方連結器。この向きで電車と連結が可能である。 (筆者撮影)

写真⑤ 軸重調整荷重。この重しを乗せることで軸重の均一性を図った。(筆者撮影)## 碓氷峠廃止から現在

EF63形電気機関車は、1997年9月末の横川~軽井沢間廃止まで、碓氷峠を重連で登り下りをしていた。同年10月1日の長野新幹線開業に伴う横川~軽井沢間廃止によりEF63形電気機関車は全廃された。しかし、一部は保存されており、EF63形電気機関車の11,12,24,25号機は動態保存されていて、碓氷峠鉄道文化村にて運転体験ができる。

鉄道文化村に動態保存されているEF63形電気機関車。(筆者撮影)

静態保存されているEF63形電気機関車もあり、碓氷峠鉄道文化村に、1,10,18号機、軽井沢に2号機、峠の湯付近に22号機が保存されている。そして、大宮工場に7号機のカットモデルが保存されている。

軽井沢駅に保存されている2号機。(筆者撮影)## おわりに

鉄道と峠の歴史は深く、特に急勾配だった碓氷峠には当時の技術が注ぎ込まれた跡が、廃線となった今もなお残っている。EF63形電気機関車は横川〜軽井沢駅間の廃線後に除籍されたため本線上を走行する姿は見る事が出来ないが、碓氷峠鉄道文化むらや軽井沢駅には保存車両が残っており、見学することができる。また、碓氷峠鉄道文化むらでは、シミュレーター体験や実車の運転体験をすることもできる。一方で、廃線跡の横川〜熊ノ平駅間は遊歩道として整備されており、自分の脚で実際に歩いて碓氷峠の急勾配を体感することができる。このように、碓氷峠には今も残る当時の技術跡や雰囲気を味わうことができるので是非訪れて欲しい。

【著者】共栄大学鉄道研究会

埼玉県春日部市にある共栄大学公認の愛好会です。 ジオラマ作成や鉄道模型の走行会のほかにも、撮影や記録などを行うことで知識を深めるなど、日々研究活動を実施しています。

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