遅れて来た“黄金世代” 巨人ドラ2・山田龍聖を目覚めさせた「愛あるお小言」

先発したJR東日本・山田龍聖【写真:中戸川知世】

29日の都市対抗野球、8回途中まで10奪三振も敗れアマチュアを“卒業”

10月のプロ野球ドラフト会議で巨人から2位指名を受けた山田龍聖投手(JR東日本)は高卒3年目。2018年の甲子園で春夏連覇を果たした大阪桐蔭の根尾昂内野手(中日)や藤原恭大外野手(ロッテ)らと同じ“黄金世代”だ。29日に行われた都市対抗野球の1回戦、先発し8回途中まで10三振を奪う力投を見せたものの2-3で敗戦、アマチュア野球を卒業した。社会人での過去2年間、全国大会での登板が叶わなかった左腕の“開眼”までには、いくつかのきっかけがあった。

初めて上がる都市対抗のマウンドで、山田は直球を軸にHonda熊本打線を圧倒しにかかった。左腕からの伸びのある真っすぐは最速149キロを記録し、次々に空振りを奪った。3回までに5三振を奪う力投。一方でスライダーを操り切れず、抜ける場面も目についた。「ストレートを精度よく投げられましたが、スライダーがばらついていた。もっと早く修正できていれば……」。小さな不安が現実となっていく。

4回に2点を失い同点とされた。8回には連続三振で2死としてから、四球と長短打で決勝点を奪われた。降板してからもベンチ前列で仲間に声援を送ったが、日本一という夢は叶わなかった。「JRでの最後の大会でしたから……ここまで日本一を目指してきた。最後の最後で踏ん張れなかったのが悔しい」と唇をかんだ。

JR東日本の浜岡武明監督は「彼のことは責められませんよ」と力投を称え「ずっと期待して、今季は柱になってもらわなければと思っていた。投手の中で一番叱られていると思います。よくブレずにやりぬいてくれました」とJRで鍛えぬいた3年間を振り返る。

自分の武器は何なのか…開眼のきっかけは“一転集中”の強化

山田は高岡商高3年夏の甲子園、根尾や藤原を擁した大阪桐蔭相手に11奪三振の好投を披露し注目された。ただ卒業後にJR東日本入りすると、周りのレベルの高さに「自分の何がいいのか、何で勝負をすればいいか分からなくなった」と言う。監督の言葉通り、首脳陣からは期待のこもった叱咤が続いた。

「ストライクが入らず怒られて、ボールを置きに行って怒られて……。レベルの低い話ですけど、何とか都市対抗で投げたいという目標へ向かって、1日1日向かっていった感じですね」

過去2年間は本当に「0点でしたね……」と言うほど、何の結果も残せなかった。全国大会での登板さえ遠くにかすんでいた。変身のカギは、自分の武器を考え抜くことにあった。昨冬、とにかく直球を磨こうと決めた。変化球をストライクゾーンぎりぎりのところに投げることを目指しても、なかなか上手く行かない。それなら、高校時代すでに148キロを記録した、最大の武器を磨こうと決めた。

体の使い方を考え抜いた。毎日タオルを「持たない」シャドーピッチングで、体重移動を追求した。胸の筋肉を大きく使おうと、ブリッジを繰り返した。春になると、最速は150キロに達し、空振りを奪える球質になっていた。あれよあれよという間にチームの主戦投手に上り詰め、夢だったプロ野球の指名を受けた。そしてアマチュア最後の冬、ついに東京ドームの先発マウンドに立つことができた。

今年の都市対抗は2年ぶりに応援合戦が復活。JR東日本側のスタンドは緑に染まり、山田が三振を奪って吠えるごとにざわついた。「こういう試合は甲子園以来だったので……緊張もドキドキもありました」という大舞台で見せた堂々たる投球は、アマチュアからの“卒業証書”だ。「固くて、投げやすかったです」という東京ドームのマウンドで、今度はYGマークの帽子をかぶって吠えまくる。(羽鳥慶太 / Keita Hatori)

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