【久保康生 魔改造の手腕(4)】 このやり方で本当に大丈夫なのか? この技術論って本当なのだろうか? そういうものを探りながら冒険するのが、現役時代から好きでした。
「そのやり方、真逆ですよね」
選手からそんな感想を言われることも多いのですが、一番最近では、ソフトバンクの岩崎翔が、そう言っていましたね。
岩崎は2017年に最優秀中継ぎ投手となりましたが、その後は右ヒジの手術の影響もあり不調に苦しんでいました。
20年には極度の不調で7月に登録抹消となり、二軍での調整となりました。私は行き詰まっている彼を見て声をかけました。
詳しい内容はまた改めてお話ししますが、その指導の中で岩崎は「真逆ですよね」という言葉を言っていました。
ただ、その「真逆のこと」を経て復調し10月に岩崎は一軍に復帰を果たしました。そして20年のソフトバンク4連覇に貢献しました。
そういえば私の現役時代、近鉄に板東里視さんという投手コーチがいらしたんですね。私は1982年に12勝を挙げた後、低迷していて何をやってもうまくいかない状態になっていました。その時代にお世話になったコーチなんです。
板東さんから指導されても、言われていることもあまり分からないし、出口の見えないトンネルの中にいました。
その時にもう何をやってもうまくいかないのなら、投球するという技術そのものの既成概念をひっくり返してやろうと思ったんですよ。
左足を上げて着地してどうだこうだという話をぶち壊してやろうと。その時はピッチャーズプレートの真上に乗っかって、ジャンプして投げてやろうとしてやりました。大昔のアニメでそんな投法を身につけた投手がいましたが、現実でやるにはむちゃな話です。
そうしたら、その瞬間に板東さんが「そうや久保、それやッ」と言ったんです。こっちからすれば、ええっ、そうなんですかという感覚です。
自分ではコーチが求めていたことをやろうと思ったわけではなく、極端にプレート上でジャンプしてやろうというくらいの気持ちで投げたわけです。
まあ、実際は本当にジャンプしては投げられないですから、それくらいの気持ちで極端なことをしたことになるんですがね。
本来はそれってやっちゃいけないことなんじゃないの、という行動が、自分の技術的なカベを越える一番の落としどころだったりすることもあるんですね。
もう大げさにヒールアップしたフォームで、頭をガーッと地面につくぐらいにホーム側に突っ込んで投げてやろうとしたところ、何かが吹っ切れたんです。
本当にもう、バズーカ砲のようにボールがミットに向かっていったように感じましたね。青天のへきれきというのか、もう何なのこれっていうような衝撃が走りました。
実際にはジャンプして投げようとして、ジャンプしてなんて投げられません。頭を地面につくくらいに突っ込もうとしても実際にはつくことはありません。でも、それくらい極端なことをしないと、もともとの癖が修正されることはないんです。
相当に何かを意識してフォームを変えようとしても、その映像を後から見てみると元のフォームからそう大きな変化を感じないというのはよくある現象です。
次回は私の探究心がどのように育ったのか。少年時代にさかのぼってお話ししたいと思います。
☆くぼ・やすお 1958年4月8日、福岡県生まれ。柳川商高では2年の選抜、3年の夏に甲子園を経験。76年近鉄のドラフト1位でプロ入りした。80年にプロ初勝利を挙げるなど8勝3セーブでリーグ優勝に貢献。82年は自己最多の12勝をマーク。88年途中に阪神へ移籍。96年、近鉄に復帰し97年限りで現役引退。その後は近鉄、阪神、ソフトバンク、韓国・斗山で投手コーチを務めた。元MLBの大塚晶文、岩隈久志らを育成した手腕は球界では評判。現在は大和高田クラブのアドバイザーを務める。NPB通算71勝62敗30セーブ、防御率4.32。