花巻東・佐々木麟太郎の凄さと気になるウエート…今のままなら一塁しかできない清宮化!?

新庄監督に減量を命じられた清宮(右)(東スポWeb)

【赤坂英一 赤ペン!!】花巻東1年の佐々木麟太郎(16)、早くも岩手が生んだ令和の新怪物と大評判だ。184センチ、113キロというスケールの大きさに加えて、先輩に大谷翔平がいて、大谷を育てた父・佐々木洋監督の長男。サラブレッドならではのオーラを感じさせる。

先週20~23日“全国デビュー”となった明治神宮大会の3試合で打率6割、9打点、2本塁打の大暴れ。本塁打は早くも高校通算49号と、清宮幸太郎(日本ハム)の3年間通算最多記録111本を抜きそうな勢いである。

某球団のスカウトも、こう太鼓判を押した。

「清宮の記録ならラクに抜きますよ。高校生活はまだ2年あるんだから、抜けないわけがない」

麟太郎という名前は、幕末時代の英傑・勝海舟の幼名で、高校の日本史の教師でもある洋監督が名づけた。ちなみに、洋監督の教え子で麟太郎の先輩、大谷も勝海舟を「尊敬する人物」に挙げている。日本ハム時代は勝海舟の回顧録『氷川清話』を愛読書にしていたと、私のインタビューで話していた。

そういう由来を持つ麟太郎は中学時代、大谷の父・徹さんが監督をしている金ケ崎リトルシニアに入団。当時は投手と三塁手の二刀流で、130キロ台の球速を誇るエースとして活躍していた。

花巻東に進学すると、洋監督は麟太郎を一塁に固定。そのおかげでか、清宮を上回る高校野球史上最高のホームランバッターへ成長しつつある。

洋監督はかつて、大谷が花巻東に入ってきた2009年「投手として高校球界史上最高の160キロを目指そう」と説得。まだプロですら160キロ台を記録していなかった時代、県高野連や他校の指導者に批判されながらも、大谷との二人三脚で大目標を実現させた。

その過程で大谷に徹底させたのが、増量とウエートトレーニングによるパワーアップ。もともと食の細かった大谷に3人分以上食べさせていた。本塁打を量産している麟太郎の巨体も、そうした食育のたまものだろう。

もっとも、プロのスカウトの間では、麟太郎の“巨大化”と一塁固定を危惧する声も聞かれる。

「現状のままでプロ入りしたら、今の清宮のように一塁しかできなくなる恐れがあります。体が重過ぎるらしく、一塁守備もうまくはない。もっと体を絞り、レフトやセンターを守らせるべき」

麟太郎自身、プロ入りを考えてか、複数のポジションを守りたい希望を持っているという。清宮に減量を命じた日本ハムの新庄ビッグボスなら、どう考えるだろうか。

☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。日本文藝家協会会員。最近、Yahoo!ニュース公式コメンテーターに就任。コメントに「参考になった」をポチッとお願いします。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」(講談社)など著作が電子書籍で発売中。「失われた甲子園」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。他に「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。

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