「村上春樹を読む」(65)ちゃんと生きていくための矜持 「アイロンのある風景」その2

 今年1月は、1995年の1月17日に阪神大震災が起きて、22年でした。95年の3月20日にはオウム真理教信者による地下鉄サリン事件が起きています。

『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫)と同作の英訳ペーパーバック『after the quake』

 連作集『神の子どもたちはみな踊る』(2000年)は、95年の2月に時間が設定されている短編を集めたものです。この中から、自分が以前から気になっていた「アイロンのある風景」という作品について、前回書いてみました。

 「アイロンのある風景」には、ジャック・ロンドン「たき火」(火を熾(おこ)す)のことが何回か出てきます。

 この作品を高校1年の読書感想文の課題で読んだ順子は「基本的にはその男が死を求めているという事実」がわかり、それを教師に伝えています。その教師にも級友にも「この主人公は実は死を求めている」という順子の考えは受け入れられませんが、でも順子はみんなのほうが間違っていると思います。理由は「もしそうじゃないとしたら、どうしてこの話の最後はこんなにも静かで美しいのだろう?」と思うからでした。

 ジャック・ロンドンの「たき火」(火を熾す)は、主人公の男が、極寒の中、うとうとと、これまで味わった最高に心地よい、眠りのなかに落ちていって、死ぬところで物語が終わっています。

 「アイロンのある風景」も、順子が三宅さんが熾した焚き火にあたりながら、深い眠りにつくところで、この物語は終わっています。

 その直前には、順子が焚き火のにおいに包まれ、肩にまわされた三宅さんの手を感じながら「私はこの人と一緒に生きることはできないだろう」と思い、「でも一緒に死ぬことならできるかもしれない」と思っています。

 ですから、この物語の後、順子は三宅さんと死ぬのだろうと読む人もいるのですが、どうも私には、そのように感じられないのです。もちろん、そこまで作品には書かれていないので、順子と三宅さんが死ぬのか、死なないのかを考える必要はないのかもしれません。それは作品外のことですから。でも、死ぬのかな…、死なないのかな…ということを読後に考えさせるように迫ってくる作品であることも事実だと思います。

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 以上のようなことを、前回のコラムで記しました。今回、2月の「村上春樹を読む」では、私が「順子は死なないのではないか」と考える、あるいは「順子は死なないでほしい」と思う、その理由について記したいのです。

 この「アイロンのある風景」について、もう1度、考え、読んでみるきっかけになった村上春樹の本があります。それは2011年1月に刊行された『村上春樹 雑文集』です。

 表の表紙に「1979-2010 未収録の作品、未発表の文章を 村上春樹がセレクトした69篇」とあり、裏表紙には「すべての細部に村上春樹は宿る」と記されているエッセイ集です。その『村上春樹 雑文集』の中に「正しいアイロンのかけ方」「ジャック・ロンドンの入れ歯」「物語の善きサイクル」という3つのエッセイが含まれています。

 これらのうち「物語の善きサイクル」については、タイトルだけでは「アイロンのある風景」との関係性が分からないと思いますので、少し補足しましょう。

 このエッセイは「小説家とは、もっとも基本的な定義によれば、物語を語る人間である」と書き出されています。そのすぐ後には「たき火のそばで身を寄せ合って、友好的とはお世辞にも言えない獣や、厳しい気候から身を護りながら、長く暗い夜を過ごすとき、物語の交換は彼らにとって欠かすことのできない娯楽であったはずだ」とあります。そして、このエッセイの中に「たき火」のことが何回か出てくるのです。例えば「自分がそのような『たき火の前の語り手』の、一人の末裔であることを、僕はことあるごとに認識させられることになる」との言葉も記されています。

 ジャック・ロンドンの「たき火」(火を熾す)は、主人公の男が、華氏マイナス50度(摂氏マイナス約45.6度)よりもさらに寒いという極寒の中、一匹の犬とともに進んでいく物語です。つばを吐くと、地上につばが落ちる前に「ぱちんと鋭い、弾けるような音」がして空中で凍ってしまうという厳しい自然です。その厳しい気候の中で主人公の男が火を熾そう(たき火をしよう)とする話です。

 「物語の善きサイクル」には紹介したように、冒頭部に「たき火のそばで身を寄せ合って、友好的とはお世辞にも言えない獣や、厳しい気候から身を護りながら」と書かれていますし、さらに「正しいアイロンのかけ方」「ジャック・ロンドンの入れ歯」というエッセイまで収録されているのですから、私が『村上春樹 雑文集』を読んで「アイロンのある風景」のことを考えたということも、分かっていただけるのではないかと思います。

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 まず「アイロンのある風景」の題名にある「アイロン」について考えてみたいと思います。「正しいアイロンのかけ方」というエッセイですが、これは、1980年代の初め、村上春樹が作家デビューして間もないころに「メンズクラブ」という雑誌に連載していたものの1つです。そこに「僕はアイロンかけがわりに得意だ。というか、少なくとも自分の着るシャツは自分でアイロンをかける」とあります。

 アイロンかけは「オムレツを作るのと同じで、はじめはたぶん上手くいかないと思うけれど、一カ月も続けていればまずまず上手くなる」そうです。

 このアイロンかけに対する村上春樹の偏愛は小説作品の中にも、現れます。

 中でも、1番有名なのは長編『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の第1部「泥棒かささぎ編」の書き始めの部分です。この作品はロッシーニの『泥棒かささぎ』の序曲を口笛で吹きながら、台所からスパゲティーをゆでている場面から始まっています。

 すると、謎の女から電話がかかってきて「十分だけでいいから時間を欲しいの。そうすればお互いよくわかりあうことができるわ」と言います。そして女は電話を切るのですが、その後、僕は本を読もうとしても「十分間でわかりあうことのできる何か」というのが気になり読書に集中していくことができません。

 そこで「シャツにアイロンをかけようと」僕は思うのです。「頭が混乱してくると、僕はいつもシャツにアイロンをかける。昔からずっとそうなのだ。僕がシャツにアイロンをかける工程はぜんぶで十二にわかれている。それは(1)襟(表)にはじまって(12)左袖・カフで終る。ひとつひとつ番号を数えながら、きちんと順序どおりにアイロンをかけていく。そうしないことにはうまくいかないのだ」とあり、続いて「三枚のシャツにアイロンをかけ、しわのないことを確認してからハンガーに吊した。アイロンのスイッチを切り、アイロン台と一緒に押入れの中にしまってしまうと、僕の頭はいくぶんすっきりしたようだった」と記されています。

 さらに『ノルウェイの森』(1987年)にもアイロンがけのことが出てきます。「僕」が「緑」と一緒に、彼女の父親が脳腫瘍で入院している大学病院に行って、緑が席を外した間、彼女の父親に話しかける場面です。

 「僕は日曜日にはだいたい洗濯するんです。朝に洗って、寮の屋上に干して、夕方前にとりこんでせっせとアイロンをかけます。アイロンかけるの嫌いじゃないですね、僕は。くしゃくしゃのものがまっすぐになるのって、なかなかいいもんですよ、あれ。僕アイロンがけ、わりに上手いんです。最初のうちはもちろん上手くいかなかったですよ、なかなか。ほら、筋だらけになっちゃったりしてね。でも一カ月やってりゃ馴れちゃいました。そんなわけで日曜日は洗濯とアイロンがけの日なんです」

 そんなことを「僕」は緑の父親に話しています。

 「正しいアイロンのかけ方」では「一カ月も続けていればまずまず上手くなってくる」とありますし、『ノルウェイの森』の「僕」も「一カ月やってりゃ馴れちゃいました」とアイロンがけのことを話しています。

 頭が混乱してくると、いつもシャツにアイロンをかけるという『ねじまき鳥クロニクル』の「僕」が、12の工程を順序どおりに3枚のシャツにアイロンをかけると「僕の頭はいくぶんすっきりしたようだった」とあるのと、『ノルウェイの森』の「僕」が「くしゃくしゃのものがまっすぐになるのって、なかなかいいもんですよ、あれ」ということには、通底した意味、共通した価値観が表れていると思います。

 そして「アイロンをかける」行為は、村上春樹の中で、一貫してプラスの意味、肯定的な意味を含んで記されていると思えます。小説の中でも、エッセイの中でも。

 その「アイロン」がタイトルに含まれた「アイロンのある風景」という小説なのです。

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 村上春樹の作品の中で意味が反転したりせず、常に肯定的な意味には使われる言葉は、ほかにもあります。例えば『ねじまき鳥クロニクル』の題名に含まれている。「ねじまき」という言葉もその1つです。『ねじまき鳥クロニクル』には「ねじを巻く」ことについての文章がたくさんありますが、そのうちの1つを紹介してみましょう。

 「ねじまき鳥がもし本当にいなくなってしまったのだとしたら、誰かがねじまき鳥の役目を引き受けなくてはならないはずだ。誰かがかわりに世界のねじを巻かなくてはならない。そうしないことには、世界のねじはだんだん緩んでいって、その精妙なシステムもやがては完全に動きを停(と)めてしまうことになる」

 そんなふうに記されています。

 『ノルウェイの森』でも、サナトリウムにいる直子への手紙に、何回か「ねじを巻く」ことを書いています。「君が毎朝鳥の世話をしたり畑仕事をしたりするように、僕も毎朝僕自身のねじを巻いています。ベッドから出て歯を磨いて、髭を剃って、朝食を食べて、服を着がえて、寮の玄関を出て大学につくまでに僕はだいたい三十六回くらいコリコリとねじを巻きます。さあ今日も一日きちんと生きようと思うわけです」と「僕」は直子に書いています。でも直子に手紙を書くのは日曜日で「でも今日は日曜日で、ねじを巻かない朝です」ともあります。次の直子への手紙の最後でも「前にも書いたように僕は日曜日にはねじを巻かないのです」とあります。

 さらに『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(2013年)の多崎つくるも父親から引き継いだスイス時計のタグ・ホイヤーの1960年代初期に作られた美しいアンティークの時計を左の手首にはめています。その時計は「三日身体につけないとねじが緩み、針が止まってしまう。しかしその不便さを、つくるは逆に気に入っていた」とあります。なぜなら、それは「すべては精妙なばねと歯車によって律儀に作動している。そして半世紀近く休みなく動き続けた今も、それが刻む時刻は驚くほど正確だった」からです。

 「父親が亡くなり、この高価そうな時計を形見として受け継いだときも、とくに感慨はなかった」が、「ただねじを巻く必要があるので、一種の責務としてそれを日々身につけるようになった。しかし一度使い出すと、彼はすっかりその時計が気に入ってしまった」と記されています。

 これら、紹介した作品の中にある「ねじまき」は村上春樹作品の中で、一貫して、プラスの意味、肯定的な意味を示す言葉として、記されていることを了解できるのではないかと思います。

 そして『ノルウェイの森』の「僕」などは、日曜日には、ねじを巻かずに、アイロンをかけているのです。「ねじを巻く」ことと、「アイロンをかける」ことは、関係深く、村上春樹作品の中にあると言っていいと思います。しかも、両方とも肯定的なプラスの意味をもった言葉として、ずっと村上春樹作品の中に在り続けているのです。

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 次に「焚き火」について考えてみましょう。紹介したように「物語の善きサイクル」の中に「小説家とは、もっとも基本的な定義によれば、物語を語る人間である」とあり、そのすぐあとに「たき火のそばで身を寄せ合って、友好的とはお世辞にも言えない獣や、厳しい気候から身を護りながら、長く暗い夜を過ごすとき、物語の交換は彼らにとって欠かすことのできない娯楽であったはずだ」とありました。

 「アイロンのある風景」には「焚き火のファンは5万年前から世界中にいたよ」という言葉が記されているのですが、これは焚き火の前の物語の語り手たちのことを「焚き火のファン」と村上春樹が語っているのではないかと、私は思います。

 「アイロンのある風景」の順子は、焚き火の炎を見ていて、そこに何かをふと感じることになったようです。それは「何か深いものだった。気持ちのかたまりとでも言えばいいのだろうか、観念と呼ぶにはあまりにも生々しく、現実的な重みを持ったもの」だったようです。

 その順子が「三宅さん、火のかたちを見ているとさ、ときどき不思議な気持ちになることない?」と聞いています。「どういうことや?」と三宅さんが応えると、「私たちがふだんの生活ではとくに感じてないことが、変なふうにありありと感じられるとか。なんていうのか……、アタマ悪いからうまく言えないんだけど、こうして火を見ていると、わけもなくひっそりとした気持ちになる」と順子が話します。

 それを引き取るように、三宅さんは「火ゆうのはな、かたちが自由なんや。自由やから、見ているほうの心次第で何にでも見える。順ちゃんが火を見ててひっそりとした気持ちになるとしたら、それは自分の中にあるひっそりとした気持ちがそこに映るからなんや。そういうの、わかるか?」と語りかけています。

 私には、この場面での「焚き火」というものは、村上春樹が「物語」というものの力について語っているように思えてならないのです。何しろ、村上春樹は「自分がそのような『たき火の前の語り手』の、一人の末裔であることを、僕はことあるごとに認識させられることになる」と「物語の善きサイクル」で記しているのですから。

 そういう深いところにある心の姿を映すような火は、普通の火ではダメで「火のほうも自由やないとあかん」のだそうです。「火が自由になるには、自由になる場所をうまいことこっちでこしらえたらなあかんねん。そしてそれは誰にでも簡単にできることやない」と三宅さんは言っています。

 「でも三宅さんにはできるの?」と順子が問うと、「できるときもあるし、できんときもある。でもだいたいはできる。心をこめてやったら、まあできる」と三宅さんが答え、さらに順子は「焚き火が好きなのね」と加えていますし、それに三宅さんもうなずき「もう病気みたいなもんやな」と話しています。

 これらの順子と三宅さんの会話の「焚き火」を「物語」として、読んでみれば、素直に、私は受けとめることができるのです。つまり「アイロンのある風景」の「焚き火をする」ことは「物語を書く」ことを表しているのではないかと思うのです。

 「ジャック・ロンドンは僕と誕生日が同じで、だからというわけでもないのだが、僕は彼の小説をよく読む」と「ジャック・ロンドンの入れ歯」というエッセイは書き出されています。つまり村上春樹は1949年1月12日生まれ。ジャック・ロンドンは1876年1月12日生まれです。ジャック・ロンドンの魅力が伝わるエッセイですので、読んでほしいと思います。

 さらに、この「村上春樹を読む」でも紹介したことがありますが、『職業としての小説家』(2015年)の時の、川上未映子さんによる刊行記念インタビューが、柴田元幸さん責任編集の雑誌「MONKEY」第7巻に掲載されていましたが、その号の巻頭に村上春樹と柴田元幸さんの対談「帰れ、あの翻訳」が掲載されていました。

 その冒頭がジャック・ロンドンについての話です。「ジャック・ロンドンはリバイバルの価値があると思います」「毎年誕生日には、かつてジャック・ロンドンが所有していたワイナリーでいまも作ってる、ラベルに狼の顔が入ってるワインを一本空けるのが僕の習慣になっています(笑)」などと村上春樹は語っています。柴田元幸さんはジャック・ロンドンの短編集『火を熾す』(2008年、スイッチ・パブリッシング)の翻訳者です。これも翻訳をめぐる楽しい対談です。

 さて「アイロンのある風景」の中でのアイロンとはなにかについて考えてみましょう。

この作品はアイロンと、もう1つ電化製品が出てきます。それは「冷蔵庫」です。

 三宅さんは冷蔵庫というものが苦手な人間です。コンビニに勤める順子と知り合ったのも三宅さんが1日に3度もコンビニにやってきたからです。順子がそんなにこまめに買い物にくる理由を尋ねると「冷蔵庫ゆうもんが、あんまり好きやないんや」と言います。

 家に冷蔵庫がない三宅さんは「冷蔵庫のあるところでは落ちついて寝られへんのや」と話していますし、順子は「変な人」と思います。

 私は、この部分を読んだ時、爆笑してしまいました。

 これは吉本ばななさんのベストセラーデビュー作『キッチン』の冒頭部分のパロディーではないでしょうか。

 『キッチン』の主人公・みかげは「どこにいても何だか寝苦しいので、部屋からどんどん楽な方へと流れていったら、冷蔵庫のわきがいちばんよく眠れることに、ある夜明け気づいた」とあります。考えようによっては、「冷蔵庫のわきがいちばんよく眠れる」という、みかげも「変な人」かもしれませんが、三宅さんも「冷蔵庫のあるところでは落ちついて寝られへんのや」という「変な人」なのです。

 その理由は三宅さんの夢の中に冷蔵庫が出てくると、冷蔵庫の中は真っ暗で明かりが消えていて、停電かなと思って首をつっこむと「冷蔵庫の奥からひゅっと手が伸びてきて、俺の首筋をつかむんや。ひやっとした死人の手や。その手が俺の首をつかんで、すごい力で冷蔵庫の中に引っぱり込むねん。ぎゃあっと大声で叫んで、そこで今度はほんまに目が覚める」と順子に話しています。

 この会話の前には「順ちゃんは自分がどんな死に方をするか、考えたことあるか?」と語りかけて、三宅さんは「冷蔵庫の中に閉じこめられて死ぬ」夢を何回も見ることを語っています。「ゆっくりゆっくり暗闇の中でもがき苦しみながら死んでいく夢」です。

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 この「冷蔵庫」という電化製品、いまだに一家に1台を守る家が多い電化製品です。電話は家から個人のものとなり、テレビも一台ではない家が増えています。洗濯機も一家に1台ですが家族全員が毎日、使う電化製品ではありません。でも冷蔵庫は1台を皆が使う家が多いので、家族の伝言板に、メモを留めて備忘録にと活躍しています。

 そしてなぜ、『キッチン』のみかげが冷蔵庫のわきだと眠れるのだろうかという問題を考察した村瀬敬子さんの『冷たいおいしさの誕生―日本冷蔵庫100年』という本があるのですが、それによると、冷蔵庫は「食」という生命に最も関係の深い部分とつながっていて、冷蔵庫のぶーんという音に守られて眠るみかげは、無償で食べ物を与えられてきたという記憶に支えられています。両親が若死にしてしまった、みかげは祖父母に育てられた人ですが、中学へあがるころ、祖父が死亡して、ついにそして先日、祖母も死んでしまったというのが、『キッチン』の始まりですが、この家族を失い、天涯孤独となったみかげが「冷蔵庫のわきがいちばんよく眠れることに、ある夜明け気づいた」というのは、たくさんの食料をたくわえている冷蔵庫というものが、食べ物を分け合い、共に食べるという<原初的な家族の記憶>としてあることを指摘しています。

 つまり冷蔵庫は<家族>の象徴、<家族>の代わりであることを村瀬さんは指摘しているのです。確かに、大きな冷蔵庫と一緒に写った花嫁姿というブライダル関連の写真を考えてみれば、冷蔵庫が幸せな<家族>の象徴として存在していることが分かります。

 「アイロンのある風景」の三宅さんは阪神大震災の被災地である神戸市東灘区に妻子をおいたまま、茨城県鹿島灘の小さな町に家を借りて1人暮らしをして絵を描いている人です。冷蔵庫は<家族>の象徴という村瀬さんの指摘を、仮に受け入れてみると、三宅さんが冷蔵庫を持たない理由も分かるような気がしますし、<家族>を捨てた三宅さんが、冷蔵庫(家族)の中に閉じこめられて死ぬ夢を何回も見るということも分かるような気がしてきます。

 その三宅さんが3日前に描き終えたのが『アイロンのある風景』という絵なのです。それは「部屋の中にアイロンが置いてある。それだけの絵や」と三宅さんは順子に言いますし、その絵を「説明するのがむずかしい」、「それが実はアイロンではないからや」と答えています。「つまり、それは何かの身代わりなのね?」「そしてそれは何かを身代わりにしてしか描けないことなのね?」という順子の言葉に、三宅さんはうなずいています。

 「身代わり」だとすれば、この「アイロン」とは何かということを考えなくてはならないでしょう。もちろん、各読者がそれぞれ自由に読んでいいのですが…。

 アイロンも一家に一つの場合が多い電化製品です。でも家族全員が毎日使うものではありません。村上春樹の場合、男の趣味としてアイロンがけが好きのようですから、もしかしたら、村上春樹用のアイロンと、夫人用のアイロンと、2つのアイロンが家にあるのかもしれませんが。

 そして「アイロンのある風景」の中に出てきた電化製品を考えてみると、一方が冷たい冷蔵庫、もう一つが熱を持つことができるアイロンです。

 今回の「村上春樹を読む」で紹介してきたように、「アイロン」は村上春樹にとって、家族を象徴するような電化製品ではありません。村上春樹の小説の主人公たちは「頭が混乱してくると、僕はいつもシャツにアイロンをかける」し、シャツにアイロンをかけると「僕の頭はいくぶんすっきりしたようだった」という電化製品です。「アイロンかけるの嫌いじゃないですね、僕は。くしゃくしゃのものがまっすぐになるのって、なかなかいいもんですよ」とも言うような電化製品なのです。

 つまり村上春樹にとって、「アイロンがけ」は個人として、人としてちゃんと生きていく、自らの矜持のような行為ですし、アイロンはその矜持を保つための道具です。

 三宅さんの絵はまだ「アイロンがけの風景」ではありませんが、「部屋の中にアイロンが置いてある」絵なのですから、そのアイロンをあたためて、「アイロンがけ」をする気になれば、可能であることを描いた絵だとも言えます。

 「アイロンのある風景」の三宅さんは「冷蔵庫の中に閉じこめられて死ぬ」夢を見たり、かなり「死」の側にいる人間として書かれていますが、でもその三宅さんが自分の部屋の中に「アイロンのある風景」を描けたということは、「死」ではない側に、出てこられる可能性を示しているようにも思うのです。

 そう思えるほど「アイロン」というものは、村上春樹作品の中で、プラスの意味、肯定的な意味を持ったものとして、存在し続けていると、私は考えています。

 「焚き火」(物語)というものも、熱を持ち、人を暖かくするものです。

 「焚き火が好きなのね」という順子の言葉に、三宅さんは「もう病気みたいなもんやな。だいたい俺がこんなへそのごまみたいな町に住み着くようになったのもな、この海岸にはほかのどの海岸よりも流れ着く流木が多いからなんや。それだけの理由や。焚き火やるために、ここまで来てしもたんや。しょうもない話やろ」と応えています。

 私はこの「焚き火」=「物語」と考えているわけですが、三宅さんは「ほぼ一年中彼は焚き火をした」。そして「これから焚き火をしようと思うと、彼は必ず順子のところに電話をかけてきた」のです。これら順子と三宅さんの「焚き火」という言葉を「物語」と置き換えて、読むこともできると思っています。

 三宅さんと順子は「たき火のそばで身を寄せ合って、友好的とはお世辞にも言えない獣や、厳しい気候から身を護りながら、長く暗い夜を過ごすとき、物語の交換は彼らにとって欠かすことのできない娯楽であった」という人たちの末裔です。「5万年前から世界中にいた」という「焚き火のファン」の末裔です。

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 そんな2人が話しているジャック・ロンドン『たき火』の話なのです。

 順子は高校1年生の夏休みの読書感想文の課題で読んだジャック・ロンドン『たき火』の主人公について「この旅人はほんとうは死を求めている。それが自分にはふさわしい結末だと知っている」ということを、教師に話して、笑われてしまいます。

 でもその死を求めている旅人についての言葉は続いて、こう記されています。

 「それにもかかわらず、彼は全力を尽して闘わなくてはならない」「順子を深いところで揺さぶったのは、物語の中心にあるそのような根元的ともいえる矛盾性だった」と書かれているのです。

 おそらく「ほんとうに死を求めている」という地点まで行かないと、「それにもかかわらず、彼は全力を尽して闘わなくてはならない」という「根元的ともいえる矛盾性」に気がつくことはできないでしょう。

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 「自分がどんな死に方をするかなんて、考えたこともないよ。そんなこととても考えられないよ。だってどんな生き方をするかもまだぜんぜんわかってないのにさ」とも順子は語っています。それに対して、三宅さんは「死に方から逆に導かれる生き方というものもある」と話していて、三宅さんが死の側にいる人間のように思えます。

 「私はこの人と一緒に生きることはできないだろう」と順子は思います。「でも一緒に死ぬことならできるかもしれない」と順子が思うことにも、三宅さんが死の側にいる人間であることを語っているように思います。

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 物語の最後、焚き火の前で、三宅さんの腕に抱かれているうちに、順子はだんだん眠くなってきます。

 「焚き火が消えたら起こしてくれる?」と順子が言うと、「心配するな。焚き火が消えたら、寒くなっていやでも目は覚める」と三宅さんは言います。順子は頭の中でその言葉を何度も繰り返しながら、束の間の、しかし深い眠りに落ちていきます。

 「束の間の」「深い眠り」ですし、「焚き火が消えたら、寒くなっていやでも目が覚める」ですので、どうしても、私は順子が死の側にいるとは思えないのです。「焚き火」=「物語」が無くなったら、目が覚めて、寒くなった人々はまた「物語」を求めて「焚き火」をすると思うのです。

 そして、死の側にいる三宅さんにも、私は、こんなことを感じます。

 「死に方から逆に導かれる生き方というものもある」と語った三宅さんに「それが三宅さんの生き方なの?」と順子は聞いています。

 「わからん。ときにはそう思えることもある」と答えて、三宅さんは順子のとなりに腰を下ろすのですが、「彼はいつもより少しやつれて歳をとったように見えた」と村上春樹は書いています。

 いつもの三宅さんは、それほどやつれてはいないということでしょうが、「わからん、ときにはそう思えることもある」とは、ずいぶんと混乱した、正直な答えですね。でもその言葉のあとに続いて、三宅さんは3日前に「アイロンのある風景」という絵を描いたことを順子に語っているのです。

 「頭が混乱してくると、僕はいつもシャツにアイロンをかける」。アイロンをかけると「僕の頭はいくぶんすっきりしたようだった」。「くしゃくしゃのものがまっすぐになるのって、なかなかいいもんですよ、あれ。僕アイロンがけ、わりに上手いんです」というのが「アイロン」をめぐる村上春樹作品の主人公たちの声です。

 冷蔵庫の中で死ぬ恐怖から、アイロンのある風景まで、三宅さんも「焚き火」の力によって、「物語」の力によって、移動しているのではないかと思うのです。

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 さて、本日2月23日の深夜12時からというか、明日2月24日の午前零時からというか、いよいよ村上春樹の新作長編『騎士団長殺し』が刊行されますね。私もひとりのファンとして、楽しんで読みたいと思います。(共同通信編集委員 小山鉄郎)

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「村上春樹を読む」が『村上春樹クロニクル』と名前を変えて、春陽堂書店から刊行されます。詳しくはこちらから↓

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