「村上春樹を読む」(38) 剣を持って、森に竜を退治に行く 「アーサー王と円卓の騎士」

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』アメリカ版

 ニューヨーク発の共同通信電によりますと、村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(2013年)が英訳されて、この8月12日からアメリカで発売されたのですが、同月23日までに、米紙ニューヨーク・タイムズのベストセラーランキングで、ハードカバーのフィクション部門の首位に立ったとのことです。

 そのころ村上春樹自身はイギリスにいたようで、イギリス北部のエディンバラで開かれた国際ブックフェスティバルに参加して、その『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』について語ったと、エディンバラ発の共同通信電が伝えています。

 イギリスの新聞の文芸担当記者との対談形式でのトークだったようですが、600人収容の会場は満員で、中には長距離バスで11時間かけて村上春樹の話を聞くために来たという人もいたそうです。全米でトップということもとても大きなニュースですが、このような熱心なファンが海外にもたくさんいるということが、本当にすごいなと思います。

 そのエディンバラでのトークで、村上春樹は小説を書く際には「毎日、頭の中にある地下室に下りていく。そこには怖いものや奇妙なものがたくさんあり、そこから戻ってくるには、体も丈夫でなければならない」と語ったようです。

 この「毎日、頭の中にある地下室に下りていく…」というのは〈地下2階の地下室〉を描く村上春樹文学について語ったのだろうと思います。

 その共同通信電を読んで、昨年、5月に京都で催された村上春樹の公開トークのことを思い出しました。それは、前月に『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が刊行されたばかりでのトークでした。聞き手を文芸評論家の湯川豊さんが務めたのですが、その湯川さんから村上春樹に対する最初の質問が、やはり〈地下2階の地下室〉の話から始まっていたからです。

 〈地下2階の地下室〉の話というのは、こんなことです。村上春樹は人間の存在というものを2階建ての家に、たとえて話すのです。

 つまり〈人間という家〉の1階は人がみんなで集まってごはん食べたり、テレビ見たり、話したりする所です。2階は個室や寝室があって、一人になって本読んだり、音楽聴いたりする所。〈人間という家〉には地下室もあって、日常的に使うことはないけれど、いろんなものが置いてあって、ときどき入っていって、なんかぼんやりしたりする所です。

 でも村上春樹の作品世界が特別なのは、ここからなのです。

 「その地下室の下には、また別の地下室がある」というのが村上春樹の考えです。

 「それは非常に特殊な扉があって分かりにくいので普通はなかなか入れないし、入らないで終わってしまう人もいる。ただ何かの拍子にフッと中に入ってしまうと、そこには暗がりがあるんです。その中に入っていって、暗闇の中をめぐって、普通の家の中では見られないものを人は体験するんです。それは自分の過去と結びついていたりする、それは自分の魂の中に入っていくことだから。でも、そこからまた帰ってくる」というふうに村上春樹が語っていたことがありました。

 「小説家というのは意識的にそれができる人なんですね。秘密のドアを開けて自分でその暗闇の中に入っていって、見るべきものを見て体験するべきものを体験して、また帰ってきてドアを閉めて現実に復帰するというのが、小説家の本来的な能力だと僕は思う」と話していたのです。

 イギリスの読者たちに対しても、このような「その地下室の下にはまた別の地下室がある」という、その〈地下2階の地下室〉を描く自分の小説世界について語ったのではないかと思います。昨年の京都でのトークの冒頭が、その〈地下2階の地下室〉についての湯川豊さんの質問で始まり、その延長線上から村上春樹の「物語」というものについて、質問していくものでした。

 なぜ、そのトークが〈地下2階の地下室〉の話から始まったかを覚えているかというと、この〈地下2階の地下室〉のたとえ話は、湯川豊さんと、私・小山鉄郎の2人が聞き手となって行った『海辺のカフカ』(2002年)についてのインタビューの中で、村上春樹が語ったことだからなんです。

 京都でのトークは、村上春樹がとてもリラックスして話していて、愉快かつ魅力的な内容でしたが、いまでも忘れられない幾つかの村上春樹の言葉があります。

 エディンバラでイギリスの読者に『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の英訳が出た直後に公開トークを行ったということを記事で知り、私も京都でのトークで聞いた忘れられないことを書いてみたいと思います。

 それは〈地下2階の地下室〉の話の延長線上に、村上春樹がもらした言葉でした。村上春樹は、魂の響き合いのような物語の力について語っていたのですが、その前提として、誰でも物語というものを持っているということを話したのです。

 単純な物語の分かりやすい例として、村上春樹は、子どもが何かの物語を読み、その影響で、自分が王子様になったように思って、剣をもって森の中に竜を退治にいくじゃないですか…というような話をしたのです。子どもたちは、自分たちの物語に従って、棒なんかを持って、それを剣だと思って、森に竜退治に行くという話をしたのです。

 この〈剣を持って、森に竜を退治に行く〉という村上春樹の言葉が忘れられません。

 私も村上春樹と同じ世代です。確かに子ども時代は自分で作った棒を剣に見立てて、剣士になったつもりで、友だちとチャンバラをしていました。隠れ家や秘密の基地のようなものを作った記憶はあります。ですから自分で作った棒を剣だと思って、仮想剣士同士で戦うということまでは分かるのですが、でも、その〈剣を持って、森へ竜を退治〉には行きませんでした。やっぱり村上春樹は「アーサー王」の物語とか、「円卓の騎士」の話が、子どものころから好きだったのかなと思ったのです。

 アーサー王の物語につながる話で、竜退治といえば、『トリスタンとイゾルデ』でしょうか。アーサー王の物語と『トリスタンとイゾルデ』の話は、もともとは別な物語だったものが、アーサー王の物語が成長していく過程で、『トリスタンとイゾルデ』を呑み込んでしまったようですし、竜退治の話が出てこないパターンの『トリスタンとイゾルデ』もありますが、私が読んだフランスの『トリスタン・イズー物語』(ジョゼフ・ベディエ編、佐藤輝夫訳)では、竜を退治した者に黄金の髪のイズー(イゾルデ)を褒美にあげることを、イズーの父であるアイルランド王が布令するのです。

 竜は朝になると自分の洞窟から降りてきて、この町の城門の前にきます。それに一人の娘(こ)を人身御供にあげるのです。人びとがお祈りする間もないほどの素早さで、竜はその娘を貪り食ってしまうのです。

 トリスタンがその怪物と対決するのですが、それは頭は大蛇、真っ赤で燃えるような眼、二本の角をはやし、耳は長くてもじゃもじゃのうぶ毛がはえていて、獅子の爪、尾は蛇、全体に鱗をはやした鷲のようなからだでした。

 トリスタンは剣で、その竜の頭に斬りつけ、腹部に斬りつけます。それでも駄目なのですが、トリスタンが剣を怪物の口のなかにつっこむと、「剣は柄(つか)まで通って心臓を二つに裂いた。竜は最後の悲鳴をあげてその場に斃れた」とあります。

 でもトリスタンのほうも竜の毒汁が全身にまわって、沼のあたりに生い絡まった丈高い葦草の間に倒れてしまいます。

 その後の話は『トリスタン・イズー物語』などを読んでもらうとして、このようにして竜を退治したトリスタンは、黄金の髪のイズー(イゾルデ)をかちえて、船に乗せて、アイルランドからコーンウォールに連れて帰るのです。

 竜を退治した場所が〈森〉だったのかは分かりませんが、村上春樹が「物語」の一番シンプルな原型のように語った、子どもが何かの物語を読み、その影響で、自分が王子様になったように思って、剣をもって森の中に竜を退治にいくじゃないですか…というような言葉から、そんな『トリスタンとイゾルデ』の竜退治のことを思ったのです。

 これは、昨年、京都での公開トークを聴きに行った際にも、このコラムでも少し紹介したことですが、村上春樹の第2作『1973年のピンボール』(1980年)に「アーサー王と円卓の騎士」についてのことが記されています。

 『1973年のピンボール』は「僕」の話と「鼠」の話が並行して展開していく物語ですが、物語の終盤、東京で翻訳の仕事をしている「僕」が七十八台のピンボール・マシーンが仕舞われた冷凍倉庫を訪ねる場面があります。3フリッパーの「スペースシップ」と対面して、「ありがとう」「さようなら」と言って、別れる場面です。「僕」が倉庫の、大きなレバー・スイッチを切ると、まるで空気が抜けるようにピンボール・マシーンの電気が消えて「完全な沈黙と眠りがあたりを被った」と記されています。

 その次の章では、海沿いの街にいる「鼠」が「街を出ることにするよ」と、「ジェイズ・バー」のバーテン・ジェイに言いにきて、その後「ジェイズ・バー」を出た「鼠」は霊園の林の中にひとり車をとめます。「鼠」のいる車の前には暗い空と海と街の夜景が広がっているのですが、「鼠」にはこの何日かの疲れが巨大な波のように押し寄せてきます。「眠りたかった」という言葉も記されているので、やはり「僕」と「鼠」は、よく対応した、分身のような関係にあるのでしょう。

 そして、次の章の冒頭にこんな言葉が記されているのです。

 「ピンボールの唸りは僕の生活からぴたりと消えた。そして行き場のない思いも消えた。もちろんそれで『アーサー王と円卓の騎士』のように『大団円』が来るわけではない。それはずっと先のことだ。馬が疲弊し、剣が折れ、鎧が錆びた時、僕はねこじゃらしが茂った草原に横になり、静かに風の音を聴こう。そして貯水池の底なり養鶏場の冷凍倉庫なり、どこでもいい、僕の辿るべき道を辿ろう」

 これは、円卓の騎士のひとりとして、「僕」が語られている場面ですし、何か、深く秘めた決意のようなものが伝わってくる文章でもあります。

 「静かに風の音を聴こう」とあり、デビュー作『風の歌を聴け』(1979年)を意識した文でもあることは、以前にも紹介しましたが、そこに「アーサー王と円卓の騎士」のことが記されているのです。この文章に横に〈剣をもって森の中に竜を退治にいくじゃないですか…〉という言葉を置いてみると、村上春樹自身にとって〈剣をもって森の中に竜を退治にいく〉というのが物語の原型であることを語っていたのかなとも思うのです。

 そして、ちょっとこれは読みすぎかもしれませんが、この「ねこじゃらし」の部分には傍点が打ってあります。「僕」は円卓の騎士のひとりとして戦い、そして馬が疲弊し、剣が折れ、鎧が錆びた時、「ねこじゃらしが茂った草原に横になり」、そして静かに風の音を聴くのです。これは戦い抜いて、死ぬときのことを言っているのでしょうか…。

 ともかく、その時、「僕」が「ねこじゃらしが茂った草原に」横になるということは、茂ったねこじゃらしに、じゃらされる「僕」は「ねこ」であることを述べているのかもしれません。その前章の最後の部分。「ねこじゃらし」の言葉から、6行ぐらい前とも言えますが、「これでもう誰にも説明しなくていいんだ、と鼠は思う」とありますので、少なくとも、この「鼠」と「ねこじゃらし」は十分意識された言葉だと思います。

 村上春樹の初期3部作に出てくる「鼠」には「霊魂」や「死者」のイメージがつきまとっています。『1973年のピンボール』で「鼠」が最後に車で訪れる場所も「霊園」でした。その場面の最後の言葉も「これでもう誰にも説明しなくていいんだ、と鼠は思う」に続いて、「そして海の底はどんな町よりも暖かく、そして安らぎと静けさに満ちているだろうと思う。いや、もう何も考えたくない。もう何も…」というものです。

 そして「馬が疲弊し、剣が折れ、鎧が錆びた時、僕はねこじゃらしが茂った草原に横になり、静かに風の音を聴こう」という、「ねこじゃらし」に囲まれる「僕」(ねこ?)にも全力で戦った末に、亡くなっていくような感覚があります。

 このコラム「村上春樹を読む」では、何回か連続して、T・S・エリオットの『荒地』(1922年)や『キャッツ』(1939年)と、村上春樹作品の関係を考える必要があるのではないかということを書いてきました。

 このエリオットの『荒地』の中に「われわれは鼠の路地にいる、とぼくは考える、/死者たちが自分の骨を見失ったところ」など「鼠」が出てくる詩句が何カ所かあります。その「鼠」には死者のイメージが重ねられています。

 そしてT・S・エリオットの『キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う法』(池田雅之・訳)の「猫に名前をつけること」という詩は「猫に名前をつけるのは、全くもって難しい」と書き出されていて、まずは家族が毎日使う猫の名として「たとえば、ピーター、オーガスタス、アロンゾ…」と、いくつかの名前の候補が挙げてあることも以前、紹介しました。その最初に挙げてある「ピーター」の名をつけた「ピーター・キャット」というジャズ喫茶をやっていた時代の最後の長編が『1973年のピンボール』です。

 昨年5月、京都で催された村上春樹のトークは「河合隼雄物語賞・学芸賞」創設を記念したものでした。その河合隼雄さんとの対談本『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(1996年)に次のように、自分の小説と聖杯伝説に触れたところがあります。

 「これまでのぼくの小説は、何かを求めるけれども、最後に求めるものが消えてしまうという一種の聖杯伝説という形をとることが多かったのです。ところが、『ねじまき鳥クロニクル』では「取り戻す」ということが、すごく大事なことになっていくのですね。これはぼく自身にとって変化だと思うんです」という言葉です。

 この文章も前に説明したことがありますが、「これまでのぼくの小説は、何かを求めるけれども、最後に求めるものが消えてしまうという一種の聖杯伝説という形をとることが多かったのです」という言葉からすると、『1973年のピンボール』という作品は「聖杯伝説」からみたら、「ピンボール・マシーン」を探究する旅の物語ということでしょうか。

 でも私には、『ねじまき鳥クロニクル』にも「アーサー王と円卓の騎士」に呼応するようなものを感じる部分があるのです。馬が疲弊し、剣が折れ、鎧が錆びる時まで戦うアーサー王と円卓の騎士のような姿を感じるのです。

 『ねじまき鳥クロニクル』はとても長い物語ですが、それをあえて簡単に言うと、突然行方不明となってしまった妻のクミコを奪還するために、「僕」が妻の兄である綿谷ノボルと対決して戦い、ついに妻を奪い返す話です。

 綿谷ノボルという人物は、日本を戦争に導いたような精神の持ち主として、『ねじまき鳥クロニクル』の中で描かれています。村上春樹は、その綿谷ノボルを「これは全力で闘い叩きつぶさなくてはいけないもの」と「メイキング・オブ・『ねじまき鳥クロニクル』」の中で語っています。

 綿谷ノボルから、妻を奪還する戦いのためのルートは「僕」の家の近くの路地に面してある空き家の深い井戸です。「僕」はこの井戸を通って、別の世界に出て、その異界世界で綿谷ノボルと戦います。「僕」は異界世界で、綿谷ノボル的なるものをバットで叩きつぶすのです。

 日本を戦争に導いたような精神の持ち主、妻を自分から奪ってしまった綿谷ノボルと全力で闘い、綿谷ノボル的なるものを叩きつぶす、この野球の「バット」とは何なんでしょうか。私は、この「僕」が綿谷ノボルを叩きつぶす「バット」は、アーサー王が持っている名剣・エクスキャリバーなのではないかと考えています。

 エクスキャリバーは湖の精たちが住む異界で作られた不思議な力をもった名剣です。松明30本をともしたほどに輝き、鋼鉄をも断ち切り、その鞘には負傷を治す力があり、持つ者を不死身にします。アーサー王は湖の精である乙女から、エクスキャリバーを受け取った時から、剣と鞘は戦いの危険から守り続けるのです。

 この鋼鉄をも断ち切る名剣・エクスキャリバーが村上春樹らしい転換によって、バットになったのではないかと、私は妄想しているのです。エクスキャリバーだからこそ、日本を戦争に導いたような精神の持ち主、妻を自分から奪ってしまった綿谷ノボルを叩きつぶすことができるのではないかと思うのです。

 今回、書いたことの延長線上に記せば、〈剣(バット)を持って、森(異界)に竜(綿谷ノボル)を退治に行く〉ということでしょうか。

 一つだけ、加えておきたいのは、「アーサー王と円卓の騎士」の物語、また「聖杯伝説」というと、単純にストーリーの面白さだけを追求したものと思われがちです。

 でも「聖杯伝説」を探究したジェシー・L・ウェストン『祭祀からロマンスへ』(1920年)の大きな影響を受けてT・S・エリオット『荒地』(1922年)が誕生しているように、「聖杯伝説」には死と再生の神話が内包されています。岩崎宗治訳の『荒地』の訳注によれば、『荒地』という題名自体がアーサー王物語の中の「聖杯伝説」の〈不具の王〉の荒廃した国土のことから来ているのです。

 村上春樹の作品も、例えば『1973年のピンボール』の「鼠」が最後に思う「海の底はどんな町よりも暖かく、そして安らぎと静けさに満ちているだろうと思う。いや、もう何も考えたくない。もう何も…」という言葉も、死のイメージに満ちていますが、一方で再生が内包されていると言えます。T・S・エリオット『荒地』においても、村上春樹にとっても、「海」は再生の力を与えるところです。そして、死は再生の前提になるものでもあります。また村上春樹の作品には、死の世界との対話を通して、再生していく物語が非常に多いのも大きな特徴となっています。

 さてアーサー王伝説関係の地図を見ていたら、国際ブックフェスティバルが開かれ、村上春樹がトークを行ったエディンバラには、エディンバラの市街を見渡せる「アーサー王の玉座(Arthur's Seat)」という小高い丘があるようです。インターネット掲載の写真で、頂上からの眺めを何枚も見たのですが、とても素敵なところのようです。でもアーサー王伝説との関係はあまりなさそうで、これは昔の噴火口跡の岩のようです。村上春樹も、訪れたのでしょうか。(共同通信編集委員・小山鉄郎)

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「村上春樹を読む」が『村上春樹クロニクル』と名前を変えて、春陽堂書店から刊行されます。詳しくはこちらから↓

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