「村上春樹を読む」(37) 静かで深い再生への思い 「海」をめぐる新作短編集『女のいない男たち』

『女のいない男たち』(文芸春秋)

 村上春樹の9年ぶりの新作短編集『女のいない男たち』が今春刊行されました。書き下ろしの表題作も含めて6つの短編が収録されていますが、最後に置かれた表題作「女のいない男たち」を読み、そこからこの短編集全体のことについて考えたことがありますので、今回の「村上春樹を読む」では、この新しい作品集について書いてみたいと思います。

 同短編集には村上春樹作品には珍しく「まえがき」が、それもかなり長文のものがついています。『女のいない男たち』というタイトルについても「いろんな事情で女性に去られてしまった男たち、あるいは去られようとしている男たち」のことであることが記されていますが、それによると、これらの作品を書き出した時に、このようなモチーフがあって、最後に単行本のために短編「女のいない男たち」を書いたのだそうです。

 「考えてみれば、この本のタイトルに対応する『表題作』がなかった」ということで、「そういう、いわば象徴的な意味合いを持つ作品がひとつ最後にあった方が、かたちとして落ち着きがいい。ちょうどコース料理のしめのような感じで」その表題作を書き下ろしたことが記されています。

 村上春樹自身が述べている「象徴的な意味合い」とは異なることかもしれませんが、この短編「女のいない男たち」は非常に象徴性の強い短編だと思います。

 他の短編は各自それぞれの読みや受け取り方はあると思います。でもこの表題作「女のいない男たち」については、まずその象徴しているものへの読者の受け止め方に、かなりの幅が生まれるであろう作品となっているのです。

 夜中の1時過ぎにかかってきた電話で「僕」が起こされ、受話器を取ると、男の低い声で、その男の妻が先週の水曜日に自殺したことを知らされます。

 死んだ彼女が僕の名前を「昔の恋人」として夫に教えたのだろうか…。それにしても「どうやって彼はうちの電話番号を知ったのだろう(電話帳には載せていない)」とありますし、「僕と彼女がつきあっていたのは、ずいぶん昔のことだ」し、また「別れてからはただの一度も顔を合わせていない。電話で話したことさえない」のです。僕は彼女が結婚していたことすら知りませんでした。

 でもその彼女はこれまで僕がつきあった女性たちの中で、自死の道を選んだ三人目の人でした。そして彼女に「名前がないと不便なので、ここでは仮にエムと呼ぶことにする」と名づけがされていくのです。

 さらに「僕は実を言うと、エムのことを、十四歳のときに出会った女性だと考えている」とありますが、それに続けて「実際にはそうじゃないのだけれど、少なくともここではそのように仮定したい。僕らは十四歳のときに中学校の教室で出会った。たしか『生物』の授業だった。アンモナイトだか、シーラカンスだか、なにしろそんな話だ」と書かれています。

 これでは「僕」は「エム」に「十四歳のときに出会った」のか、「そうじゃない」のか、宙づりのまま読者は、アンモナイトだか、シーラカンスだかの中学の『生物』の授業の教室で、2人が「十四歳のときに出会った」という世界に入っていくのです。その後も「僕は十四歳で、彼女も十四歳だった。それが僕らにとっての、真に正しい邂逅(かいこう)の年齢だったのだ。僕らは本当はそのように出会うべきであったのだ」とあります。

 つまり十四歳同士で出会っているが、実はそうではないという記述も維持されていて、かなり象徴性の強い世界のまま作品が進んでいくのです。このようにそれぞれの読者が自分の感性に響いたものを通して読み、受け取っていくという作品になっていると思います。

 このコラム「村上春樹を読む」は、私の妄想を含めて村上春樹作品を通して考えたことを記しているものですが、表題作「女のいない男たち」は、そのようなコラム向きの作品かもしれません。作品に対する読みに絶対的なものはありませんが、それにしても確実に受け取るというよりは、自分の中に響いてきたことを通して読むという作品なのですから。

 以下、私の妄想と、その妄想の根拠…というより、妄想の手がかりのようなものを記してみたいと思います。

 まず「十四歳」について。「十四歳」とは村上春樹ファンにはとても懐かしい年齢です。

 デビュー作『風の歌を聴け』(1979年)の「僕」は小さい頃、ひどく無口な少年で、心配した両親が知り合いの精神科医の家に連れていったりするのですが、「14歳になった春、信じられないことだが、まるで堰を切ったように僕は突然しゃべり始めた」のです。

 さらに同作の中で、「僕」の三人目のガールフレンドは大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生ですが、彼女はテニスコートの脇にある雑木林で首を吊って自殺しています。

 そして「僕」は、その彼女の写真を1枚だけ持っています。裏に日付けがメモしてあって、それは「1963年8月」となっています。

 「彼女は14歳で、それが彼女の21年の人生の中で一番美しい瞬間だった。そしてそれは突然に消え去ってしまった、としか僕には思えない。どういった理由で、そしてどういった目的でそんなことが起こり得るのか、僕にはわからない。誰にもわからない」と『風の歌を聴け』にはあります。

 表題作「女のいない男たち」の中では「彼女の死に僕の存在がなんらかの影を落としているのだろうか?」と考えています。

 さらに「ひょっとしたらエムは僕の性器のかたちが美しいことを夫に教えたのかもしれない。彼女は昼下がりのベッドの上で、よく僕のペニスを観賞したものだ。インドの王冠についていた伝説の宝石を愛でるみたいに、大事そうに手のひらに載せて。「かたちが素敵」と彼女は言った」とあります。

 そして『風の歌を聴け』のほうでは、自殺してしまう「僕が三番目に寝た女の子は、僕のペニスのことを『あなたのレーゾン・デートゥル』と呼んだ」とありますので、おそらく「女のいない男たち」で自死してしまったエム(彼女は僕のつきあった女性たちの中で、自死の道を選んだ三人目の人)は、『風の歌を聴け』で自殺してしまった「僕が三番目に寝た女の子」と対応した存在なのでしょう。

 『風の歌を聴け』の「僕」は、その自死した女の子から「僕のペニスのことを『あなたのレーゾン・デートゥル』」と呼ばれたことから「僕は以前、人間の存在理由(レーゾン・デートゥル)をテーマにした短かい小説を書こうとしたことがある。結局小説は完成しなかったのだけれど、その間じゅう僕は人間のレーゾン・デートゥルについて、考え続け、おかげで奇妙な性癖にとりつかれることになった。全ての物事を数値に置き換えずにはいられないという癖である」と記されています。

 「僕」はいろいろなものを数えたようで「当時の記録によれば、1969年の8月15日から翌年の4月3日までの間に、僕は358回の講義に出席し、54回のセックスを行い、6921本の煙草を吸ったことになる」と書かれているのです。

 でも「当然のことながら、僕の吸った煙草の本数や上った階段の数や僕のペニスのサイズに対して誰ひとりとして興味など持ちはしない。そして僕は自分のレーゾン・デートゥルを見失ない、ひとりぼっちになった」ようです。

 その文章の後に「☆」の印が打たれて、「そんなわけで、彼女の死を知らされた時、僕は6922本めの煙草を吸っていた」と記されているのです。

 短編集『女のいない男たち』に収められた作品では「ドライブ・マイ・カー」に登場する女性運転手「渡利みさき」が煙草好きで、火のついた煙草をそのまま車の窓の外に捨てる場面が彼女の設定上の出生地・北海道の地元の人たちから苦情が寄せられて話題となりました。さらに短編集中の「木野」では、男から「火のついた煙草を押しつけられた」痕が体中についている女性と主人公・木野とのセックス場面があるなど、煙草が印象的に登場する作品集となっています。

 村上春樹作品では、煙草を吸う人たちがメーンに登場するのは『羊をめぐる冒険』(1982年)ぐらいまでかもしれないなと思いますが、『女のいない男たち』の中での煙草の場面は、『風の歌を聴け』で「僕」が「三番目に寝た女の子」の死を知らされた時(おそらく1970年4月4日でしょう)、「僕」が6922本めの煙草を吸っていたことに、もしかしたら対応しているのかもしれませんね。そうだとすれば、この新作短編集『女のいない男たち』はデビュー作以来の問題を射程に入れて書かれているということになると思います。

 ともかく「僕は実を言うと、エムのことを、十四歳のときに出会った女性だと考えている。実際にはそうじゃないのだけれど、少なくともここではそのように仮定したい」という記述は、私が考えるところでは『風の歌を聴け』の自死してしまう「三番目に寝た女の子」と関係していて、でも『風の歌を聴け』では「三番目に寝た女の子」とは「大学の図書館で知り合った」のだから「実際にはそうじゃない」ということではないかと考えているのです。そうであれば奇妙な記述法もそれなりに受け取ることができると思うのです。

 その次に「エム」とは誰か、「エム」とは何かということを考えてみたいと思います。

 文章が長くなるのを避けるために、私の考え(いやいや…妄想です)をまず記しておきますと、この表題作「女のいない男たち」を読み進めるうちに、この「エム」は「海」のことではないか…と、そんなふうに妄想が大きく膨らんできたのです。「エム」(m)は「la mer」のことではないかというふうに、自分には響いてきたのです。

 なぜなら「エム」に関する記述には、「海」に関することが非常に多くあるからです。

 まず「エム」と彼女が仮に命名された直後の文章は「どのように考えても自殺するタイプではなかった。だってエムはいつも、世界中の屈強な水夫たちに見守られ、見張られていたはずなのだから」とあります。

 「何かがあって、少しよそ見をしていた隙に、彼女はもういない。たぶんどこかの小狡い船乗りに誘われて、マルセイユだか象牙海岸だかに連れていかれたのだろう。僕の失望は彼らが渡ったどんな海よりも深い。どんな大烏賊や、どんな海竜がひそむ海より深い」

 「僕はそれを追って忙しく移動を続ける。ボンベイまで、ケープタウンまで、レイキャビクまで、そしてバハマまで。港を持つすべての都市を僕は巡る。でも僕がそこに辿(たど)り着いたとき、彼女は既に姿をくらませている」

 などなど幾つもの、「海」と関係した言葉と出合うことができるのです。

 さらに、夜中、1時過ぎに電話がかかってきて、「僕」に「エム」の夫が低い声で伝えたことによれば、「エム」が自殺したのは「水曜日」のようです。それは一週間のうち、最も「海」に関係した曜日ではないでしょうか。

 「僕」と「エム」が「十四歳のときに中学校の教室で出会った」のは「生物」の授業のときですが、そこで話された「アンモナイト」も「シーラカンス」も「海」の「生物」です。

 さらにもう一つ、二つ、紹介しましょう。

 「僕は十四歳で、作りたての何かのように健康で、もちろん温かい西風が吹くたびに勃起していた。なにしろそういう年齢なのだ。でも彼女は僕を勃起させたりしなかった。彼女はすべての西風をあっさりと凌駕していたからだ。いや、西風ばかりじゃない、すべての方角から吹いてくる、すべての風を打ち消してしまうほど素晴らしかった。そこまで完璧な少女の前で、むさくるしく勃起なんてしていられないじゃないか。そんな気持ちにさせてくれる女の子に出会ったのは、生まれて初めてのことだった。

 僕はそれがエムとの最初の出会いだったと感じている。

 ほんとはそうじゃないのだけれど、そう考えるとものごとの筋がうまく繋がる」

 という文章があります。

 この「西風」や「風」は、おそらく『風の歌を聴け』の「風」と関係のある言葉として、作中に置かれているのではないかと思いますが、前に説明したように「昼下がりのベッドの上で、よく僕のペニスを観賞」して、「インドの王冠についていた伝説の宝石を愛でるみたいに、大事そうに手のひらに載せて。『かたちが素敵』」と言った「エム」についての記述とは思えないような内容ですね。

 「ほんとはそうじゃないのだけれど、そう考えるとものごとの筋がうまく繋がる」とあります。「エム」は、ほんとうは「かたちが素敵」と言ったのだが、「すべての方角から吹いてくる、すべての風を打ち消してしまうほど素晴らしかった。そこまで完璧な少女」として仮定された十四歳の「エム」は、その「エム」とは違って、すべての「風」を打ち消してしまうほど素晴らしい「海」のことではないかと私は思うのです。

 「エム」は「エレベーター音楽」というものを愛しています。「エレベーター音楽」とは、よくエレベーターの中で流れているような音楽です。つまりパーシー・フェイスとか、マントヴァーニとか、レイモン・ルフェーブルとか…。パーシー・フェイスの「夏の日の恋」とかは、特に「エム」が好きなようです。

 「エレベーター音楽」を好きな理由について「要するにスペースの問題なの」と「エム」は「僕」に語っています。「つまりね、こういう音楽を聴いていると、自分が何もない広々とした空間にいるような気がするの。そこはほんとに広々としていて、仕切りというものがないの。壁もなく、天井もない。そしてそこでは私は何も考えなくていい、何も言わなくていい、何もしなくていい。ただそこにいればいいの」と話しています。

 『海辺のカフカ』に、ナカタさんと星野青年が、2人で瀬戸内海の海を砂浜に並んで見る場面がありますが、そこでもこんな2人の会話が記されています。

 「海というのはいいものですね」とナカタさんが言うと「そうだな。見ていると心が安らかになるよ」と星野青年が応えます。

 「どうして海を見ていると心が安らかになるのでしょうか」というナカタさんの問いに、星野青年は「たぶん広くて何もないからだろうね」「見渡すかぎりなんにもないってのはいいもんだ」と答えているのです。

 私は、このようなことから「エム」は「海」のことではないだろうか、少なくとも「海」に関係したもの(例えば「船」とか)の象徴ではないだろうかと妄想しているのです。

 そうやって「エム」を「海」のこと、あるいは「海」に関係したものと考えてみると、この『女のいない男たち』という短編集全体が「海」に関係した作品なのではないかと思えてくるのです。

 例えば「ドライブ・マイ・カー」の女性運転手は「渡利みさき」という名前です。前回も亡くなった安西水丸さんの本名で、村上春樹作品にも出てくる「渡辺昇」という名前について紹介しましたが、「渡り」「渡る」の「わた」は「うみ」のことで、「渡る」とは「海」を「わたる」ことです。

 表題作には「僕の失望は彼らが渡ったどんな海よりも深い」という言葉が記されていたりもするので、その「渡る」意味は随分意識的なものではないかと私は考えています。

 また「ドライブ・マイ・カー」に出てくる「家福」という俳優は妻を子宮癌で失った後の気持ちについて「僕にとって何よりつらいのは」「僕が彼女を―少なくともそのおそらくは大事な一部を―本当には理解できていなかったということなんだ。そして彼女が死んでしまった今、おそらくそれは永遠に理解されないままに終わってしまうだろう。深い海の底に沈められた小さな堅い金庫みたいに。そのことを思うと胸が締めつけられる」と話しています。

 「イエスタデイ」に、東京・田園調布の生まれ育ちなのに完全な関西弁を話す「木樽明義」という男が出てきますが、彼のガールフレンドの「栗谷えりか」は自分とアキくん(木樽)が2人で大きな船に乗って、船室の窓から、氷でできた満月を見ている夢をよく見ます。厚さ20センチの氷の月の「下半分は海に沈んでいる」夢です。

 また「独立器官」に出てくる「渡会」という美容整形外科医の名前も、私には「渡海」と読めてきますし、ほんとうの恋をしてしまい、その恋煩いが原因で死んでしまった「渡会」に対して、「僕」が死後に思ったことは「彼女の心が動けば、私の心もそれにつれて引っ張られます。ロープで繋がった二艘のボートのように、綱を切ろうと思っても、それを切れるだけの刃物がどこにもないのです」ということでした。

 「木野」でも、経営していた「バー」をたたんで四国・九州を旅する「木野」という男にとって「世界は目印のない広大な海であり、木野は海図と碇を失った小舟だった。これからどこに行けばいいのか、九州の地図を開いて探していると、船酔いのような軽い吐き気に襲われた」のです。

 こんな具合に『女のいない男たち』は、「海」で貫かれた作品集のように私には感じられてくるのです。

 さて「僕は十四歳で、彼女も十四歳だった。それが僕らにとっての真に正しい邂逅の年齢だったのだ。僕らは本当はそのように出会うべきであったのだ」とある「僕」と「エム」のことについて、あと少しだけ妄想を重ねて、今回の「村上春樹を読む」を終わりにしたいと思います。

 村上春樹は1949年生まれです。村上春樹作品の人物と村上春樹自身は、そのまま重なるわけではないですが、でも村上春樹が14歳の時とは、1963年であり、それは「僕」が付き合った三人目のガールフレンドが「人生の中で一番美しい瞬間だった」時です。村上春樹が暮らした芦屋でもまだ「海」が残っていました。村上春樹はこの「1963年」という年にずっとこだわって書き続けている作家です。

 そして、その三人目のガールフレンドが「人生の中で一番美しい瞬間だった」時は「それは突然に消え去ってしまった、としか僕には思えない」ように消えていくのです。

 1回目の東京オリンピックが開催されるのが、翌1964年のことですが、そのころから、芦屋でも、「海」の埋め立て計画が進められて行くのです。

 もし私の思うように「エム」が「海」のことであり、その死が伝えられたとしたら…。

 「海」は村上春樹作品にとって、再生と生きる力の源です。『女のいない男たち』の作品には静かな短編が多いのですが、そのことへの深い思いが込められた作品群だと思います。そして「死」は「再生」の前提となるものでもあります。この「世界は目印のない広大な海であり、木野は海図と碇を失った小舟だった」という人たちへの再生の思いが、静かに、深く込められた新作短編集だと思います。(共同通信編集委員・小山鉄郎)

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