「村上春樹を読む」(15) ある日、突然、頬に青いあざが出来る体験 『ねじまき鳥クロニクル』の「青」を考える・その3

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」の言葉が刻まれている広島の原爆死没者慰霊碑

 村上春樹作品の中の「青」は「歴史」のことを表しているのではないでしょうか。

 そんなことを前回の「村上春樹を読む」で書きました。今回のコラムも「『ねじまき鳥クロニクル』の「青」を考える・その3」となっていて、『ねじまき鳥クロニクル』(1994年、95年)に出てくる「青」とは何かを考察するコラムが、思いがけず3回続きとなってしまいました。

 それほど村上春樹にとって、「青」が持つ意味が、とても大切なものであるということでもあるのですが、村上春樹作品にとって、「青」は『ねじまき鳥クロニクル』でも、やはり「歴史」を表していると、私は考えています。そのことを具体的に指摘していきたいと思います。もともと『ねじまき鳥クロニクル』の「クロニクル」(年代記)というタイトル自体が「歴史」のことですが、同作の「青」と「歴史」関係について、具体的な例をいくつか挙げてみたいと思います。

 まず『国境の南、太陽の西』と同じように『ねじまき鳥クロニクル』の中の「青山」と「歴史」の関係から考えてみたいと思います。

 『ねじまき鳥クロニクル』の第3部には第1部第2部にはほとんど出て来なかった赤坂ナツメグという女性が登場します。

 新宿西口で広場のベンチに「僕」が座ってダンキン・ドーナツを食べながら、通り過ぎる人たちを見ていると「濃いサングラスをかけ、肩にパッドのはいったくすんだブルーの上着を着て、赤いフラノのスカート」をはいた女に声をかけられます。一年前にも同じ所で出会った中年の女で、それが「赤坂ナツメグ」です。一年前にあった時には「鮮やかなピンク色のワンピース」だった彼女が、3部では「くすんだブルーの上着」を着て話しかけてきたのです。その次に登場した時には「オレンジ色のコットンの上着を着て、トパーズ色のタイト・スカート」姿ですが、その彼女は、僕の膝を軽く叩いて、「いらっしゃい」と言って、僕をタクシーに乗せ、運転手に「青山」の所番地を告げるのです。

 そこで彼女はブティックで、僕にスーツを2着買ってくれたりします。その1着は「ブルーグレイ」のスーツです。さらに、靴や時計を買ってくれたりするのです。このあたり、バブル経済と、その崩壊前夜の雰囲気もありますね。

 そして「夕食を食べましょう」と、彼女は僕を近くのイタリア料理店に連れて行くのです。それから「僕らはいつも同じレストランで、同じテーブルをはさんで話を」するようになります。「長いあいだ赤坂ナツメグは僕にとって、この世界でただ一人の話し相手となった」のです。

 そうやって2人の年代記・歴史が語られていきます。赤坂ナツメグの父親が満州の新京動物園の主任獣医であったこと、その主任獣医に起きた昭和20年8月の出来事、その主任獣医の右の頬に「僕」と同じような青黒いあざがあったこと。昭和20年8月15日、日本へ向かう途中、赤坂ナツメグが乗った輸送船が米国の潜水艦に沈められそうになったこと。これらの「歴史」が「青山」のイタリア・レストランで語られます。ここでも「青山」は「歴史」と繋がる場所なっています。

 この赤坂ナツメグが、僕を「青山」のイタリア・レストランに連れて行く前に美容院にも連れて行って、髪を切り、シャンプーをする場面があるのですが、その「青山」の美容院は壁一面に鏡が張り巡らされていて、僕の「青いあざ」も鏡に映っています。その「鏡の中に映った像の数が多すぎて」という言葉もありますので、たくさんの「青いあざ」も鏡にあったのでしょう。もしかしたら赤坂ナツメグは自分の父親の右頬にもあった「青いあざ」で、その美容院じゅうをいっぱいに満たしてみたいと思ったのかもしれません。

 前回も紹介しましたが、この「青いあざ」で、それまでの第1部第2部と第3部が、繋がっています。僕の「青いあざ」は、ある日、井戸の中に入っていて、出てくると突然、右頬にあざが出来ているのです。それはノモンハンに繋がっていたりする「歴史」の通路のような井戸ですが、そこから出てくると別に何の罪もないような普通の人である僕の頬に突然、青黒いあざが出来ているのです。

 こんなことがあるのでしょうか?

 でもそういうことは歴史上あったのではないかと私は思います。それを紹介したいと思います。

 「目もくらむほど強烈な光の球が見えた。同時に、真暗闇になって何も見えなくなった。瞬間に黒い幕か何かに包み込まれたようであった」。閑間重松がそんな体験をした後、国道を歩いていると、知り合いの女主人から「閑間さん、お顔をどこかで打たれましたね。皮が剥けて色が変わっております」と言われます。閑間が両手で顔を撫でると、左の手がぬらぬらする。「左の掌いちめんに青紫色の紙縒(こより)状のものが着いている」のです。「僕は顔をぶつけた覚えはなかったので不思議でならなかった」「べつに痛みはなかったが、薄気味わるくて首筋のところがぞくぞくした」

 そんな文章が井伏鱒二『黒い雨』にあります。主人公・閑間重松が原爆で受けた顔の青紫色の傷は左の頬で、『ねじまき鳥クロニクル』の僕とは反対側ですが、『黒い雨』の中でも閑間の顔の青紫色の傷は、被爆の象徴のように繰り返し出てきます。

 この『黒い雨』は昭和40年の「新潮」1月号から連載が始まった時、「姪の結婚」という題名だったことは有名ですし、書き出しも「この数年来、小畠村の閑間重松は姪の矢須子のことで心に負担を感じて来た」というものです。その矢須子と閑間が被爆後、再会する時にも「矢須子は僕の顔を見て、『まあ、おじさんの顔、どうしたんでしょう』と云った。『なに、ちょっと火傷しただけだ』」という会話を2人はしています。

 この顔の青紫色の傷は閑間だけのものではなく、閑間が電車に乗っていると、右隣に立っていた男は顔の左半分を火傷して、皮膚がくるりと剥げていた。その男は、閑間に「あんた、どこでやられましたか」と話しかけています。閑間は横川駅でやられたのですが、その男は「防空壕を出たところでやられた」そうです。

 しばらくしてから洗面所の鏡に向かって、閑間が左の頬の状態を確かめる場面がありますが、鏡を見ると閑間の「左の頬は一面に黒みを帯びた紫色になって」いたのです。

 私は『黒い雨』の閑間の青紫色の左頬の傷と、『ねじまき鳥クロニクル』の「僕」が井戸から出てくると、右頬に出来ていた青いあざとが、強く関係しているということが言いたいわけではありません。

 ただわれわれ日本人の歴史の中で、何の罪もないかもしれない人たちが、ある日、突然、自分の頬に青紫色の傷が出来る体験をするということがあり得えたことを言いたいのです。

 さて、村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』を読んだ人で、誰もが忘れられない場面は“皮剥ぎ”と呼ばれる場面でしょう。

 これは昭和13年(1938年)の旧満州・モンゴル国境のノモンハンで情報活動していた山本という男が生きたまま全身の皮をナイフで剥がれされて殺される場面です。

 「僕」と妻クミコが結婚するに際しての恩人である本田さんもノモンハン事件の生き残りでした。その本田さんが亡くなった後、戦友の間宮中尉という人が「僕」と「クミコ」の前にやってきて語るのが“皮剥ぎ”の話です。

 間宮中尉は衝撃的な戦争の話を「僕」と「クミコ」に伝えるのですが、間宮中尉が次のようなことを語ることも忘れてはならないでしょう。彼はノモンハンでの“皮剥ぎ”を語り、さらに自分の抜け殻の心と、抜け殻の肉体と、抜け殻の人生を語ります。「私の中のある何かはもう既に死んでいたのです。そしておそらく私は、そのときに感じたように、あの光の中で消え入るがごとくすっと死んでしまうべきだったのです」と、ノモンハンでの井戸の中での体験を語った後、続いて次のようなことを話しています。

  「私は片腕と、十二年という貴重な歳月を失って日本に戻りました。広島に私が帰りついたとき、両親と妹は既に亡くなっておりました。妹は徴用されて広島市内の工場で働いているときに原爆投下にあって死にました。父親もそのときちょうど妹を訪ねに行っていて、やはり命を落としました。母親はそのショックで寝たきりになり、昭和二二年に亡くなりました」と彼は語るのです。つまり“皮剥ぎ”という残虐でショッキングな戦争中での出来事を語る間宮中尉は広島出身で、原爆による過酷な傷の癒えぬ広島から上京して、「僕」と「クミコ」に戦争の歴史を語るのです。

 そんなことが語られる『ねじまき鳥クロニクル』という物語は、すごく簡単に述べると、自分の前から突然行方不明となってしまった妻クミコを奪還するために、「僕」が妻の兄である綿谷ノボルと対決して戦い、ついに妻を奪い返す話です。その奪還の戦いのためのルートは「僕」の家の近くの路地に面してある空き家の深い井戸です。僕はこの井戸を通過して、壁抜けのようにして、別の世界に出て、その異界の世界で綿谷ノボルを叩きつぶして、最後に妻のクミコを取り戻すという物語になっています。

 物語の終盤、「僕」はその井戸を通って、その異界の世界で綿谷ノボルと戦います。綿谷ノボル的なるものをバットで叩きつぶすのですが、すると現実の綿谷ノボルはとつぜん、脳溢血のような症状で、意識不明となってしまいます。

 そのことについて、綿谷ノボルは「長崎で大勢の人を前に演説して、そのあとで関係者と食事をしているときにとつぜん崩れ落ちるように」倒れたと『ねじまき鳥クロニクル』の中で村上春樹は書いています。

 ノモンハンで残虐な“皮剥ぎ”を「僕」と「クミコ」に語る間宮中尉は“皮剥ぎ”を目撃後、井戸に落とされて奇跡的に助かった人ですが、その間宮中尉が「広島」の人であり、「僕」が井戸に降りて、異界で戦う綿谷ノボルは「長崎」で倒れているのです。おそらく、これは偶然ではないでしょう。ここで村上春樹は日本人が受けた2度の原爆と戦争のことに触れて、『ねじまき鳥クロニクル』という作品を書いているのだと、私は思います。

 「僕」が綿谷ノボルと闇の中で戦う時、「これは僕にとっての戦争なのだ」と考えています。その「僕」の右頬に出来た「青いあざ」を「歴史」を表す色のことだと考えると、『ねじまき鳥クロニクル』は昭和13年(1938年)のノモンハンから、昭和20年(1945年)の原爆、敗戦、さらにシベリア抑留などの時代と、1984年(昭和59年)という時代を往還しながら「昭和の歴史」を書いた物語なのだと思えてくるのです。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」。昨年6月にスペイン・バルセロナのカタルーニャ国際賞授賞式の受賞スピーチで、村上春樹は広島にある原爆死没者慰霊碑に刻まれた、このような言葉を紹介しながら話しました。おそらく、広島の地、その原爆死没者慰霊碑を村上春樹は訪れたことがあるのでしょう。そうでなくては、語り得ない力がスピーチにありました。

 1945年8月、広島と長崎という2つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われたことを村上春樹は話しました。

 その原爆投下から66年が経過して、東日本大震災による福島第一発電所の事故が起きたことに触れ、「これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害です」と述べました。そして「広島と長崎」という言葉を3度も繰り返して、村上春樹はスピーチで語ったのです。このスピーチに『ねじまき鳥クロニクル』を書いた村上春樹の変わらぬ「歴史意識」を受け取ることができると思います。このような悲惨な結果をもたらす戦争という過ちを繰り返してはいけないという決意と、その歴史意識が伝わってきます。

 『ねじまき鳥クロニクル』では前記したように「淡いブルーで、鳥の模様がパターンとして、透かし彫りのように入っている」という妻のクミコの夏物のワンピースが本の装丁に使われています。村上春樹はわざわざ「夏物のワンピース」と書いています。その「夏」とは、昭和20年8月の「夏」のことを示唆しているではないかと、私は考えております。

 満州の新京動物園の主任獣医だった赤坂ナツメグの父親に起きた昭和20年8月の出来事。その娘である赤坂ナツメグが日本に向かう輸送船の中で迎えた昭和20年8月15日のこと。あの“皮剥ぎ”の話を「僕」と「クミコ」に伝えにきた間宮中尉の妹と父親が広島への原爆投下で亡くなったのも昭和20年8月の夏のことです。そのような「歴史」が透かし彫りのように入った「淡いブルー」の「夏物のワンピース」なのだと思います。

 最後に、これはあまり馴染みがない作品かもしれませんが『青が消える(Losing Blue)』という短編があるので、それを紹介して、今回のコラムを終わりにしたいと思います。

 これは「1999年の大晦日」に、新しいミレニアムを迎える夜、この世のすべての青い色が消えてしまう話です。

 これは1992年にスペインのセビリア万国博を特集する雑誌のために書かれたものです。英仏伊西の各新聞社が共同で作った雑誌に載った作品です。ミレニアムの大晦日を舞台にした短編を1991年に頼まれて執筆したもののようです。

 日本版は2002年刊行の『村上春樹全作品 1990~2000』の短篇集Iに初めて収録されました。その村上春樹自身の解題によると、この短編を執筆直後に『ねじまき鳥クロニクル』にとりかかったので、一時、忘れてしまったそうです。でも『ねじまき鳥クロニクル』や『国境の南、太陽の西』と同じ頃に書かれた作品で『青が消える(Losing Blue)』という名前の作品は、今回のコラムを書いた者からすると、非常に興味深いものです。

 シャツの青色が消え、青い海が消え、空の青も消えてしまうのです。同作の最後の行には「でも青がないんだ」「そしてそれは僕が好きな色だったのだ」という部分がゴチック体で印刷されています。

 そこで僕は内閣総理府広報室に電話をかけ、総理大臣を呼び出してみます。総理大臣はコンピューターで合成された声で答えるというシステムのようです。

 「ねえ総理大臣、青がなくなってしまったんですよ」と僕は電話に向かって怒鳴ります。すると合成の声で、総理大臣は「かたちあるものは必ずなくなるのです、岡田さん」と言います。そしてさらに「それが歴史なのですよ、岡田さん。好き嫌いに関係なく歴史は進むのです」と答えるのです。

 「それが歴史なのですよ」は、私には、消えた「青は歴史なのですよ」と読めます。ここにも村上春樹にとって、「青」が「歴史」また「歴史意識」であることが、よく表明されていると思います。この「青」を「歴史」また「歴史意識」と受け取れば『青が消える(Losing Blue)』とは、多くの戦争があった20世紀が消えていく、その「歴史意識」がなくなってしまうという意味ではないでしょうか。そんなふうに読むことができます。

 私にはそのように受け取れるのです。コンピューターで合成された声の総理大臣は「岡田さん」と話しかけていますが、これは『ねじまき鳥クロニクル』の「僕」こと「岡田トオル」のことでしょう。つまり、この『青が消える(Losing Blue)』での村上春樹は『ねじまき鳥クロニクル』の「青」についても語っていると思います。

 考えてみれば『国境の南、太陽の西』の最後に「島本さんが消える」のも「青が消える」ですし、『ねじまき鳥クロニクル』の僕の前から「クミコが消える」のも「青が消える」です。そして『ねじまき鳥クロニクル』では「歴史意識」をしっかり獲得して、「歴史」の奥に潜む悪なるものと戦うことで、消えたクミコが帰ってくる物語となっています。

 さてさて最後の最後に、この3回続きとなった「『ねじまき鳥クロニクル』の「青」を考える」の「その1」の冒頭近くで紹介した、妻のクミコがなぜ「青いティッシュペーパー」が嫌いなのかという問題を考えなくてはいけないと思います。

 このクミコは、実は「青」が好きな人、「歴史」も好きな人なのではないでしょうか。

 だってクミコは、紺にクリーム色の小さな水玉の入ったネクタイを「僕」の誕生日にプレゼントしていますし、「僕」が紺色のスーツにその紺にクリーム色の小さな水玉をしめるとよくあって、クミコもその水玉のネクタイのことを気に入っていました。

 クミコにとって、青いティッシュペーパーは、「歴史」という大切なものである「青」を使い捨てにするようなものとして、嫌っているのだろうと私は考えています。

 以上、ながなが村上春樹作品と「青」について書いてきました。何しろ、それが「歴史」についてのことですので、長文となってしまったことをお詫びいたします。

 『ねじまき鳥クロニクル』には、赤坂ナツメグや赤坂シナモンとか、「赤」についての記述も出てきます。それについては、また別な機会に考えてみたいと思います。

 でも村上春樹は「青」に非常にこだわって書く作家ですので、他の作品でも繰り返し、たくさんの「青」が出てきます。なにしろ『青が消える(Losing Blue)』の中で、「青」について「それは僕が好きな色だったのだ」と記しているぐらいですからね。

 さらに別な村上春樹作品と「青」との関係について、考察をしてみたいと思います。

 例えば、最新長編である『1Q84』についても考えてみたいと思います。なぜなら女主人公が「青豆」という名の物語ですからね。(共同通信編集委員・小山鉄郎)

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