「村上春樹を読む」(3)「効率社会」と闘い続ける村上春樹  カタルーニャ国際賞受賞スピーチを読む・その1

『ねじまき鳥クロニクル』と『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』

 村上春樹のカタルーニャ国際賞授賞式での受賞スピーチが話題となっています。

 まず「カタルーニャ」と言えば、ジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』の舞台ですね。1936年からのスペイン内戦の際、報道記事を書くつもりでバルセロナにやってきたオーウェルは、同年暮れに共和政府側の義勇軍に参加して戦います。その従軍体験記が『カタロニア讃歌』です。スペイン人たちの夢と情熱への讃歌ですが、一方で共和政府内部の権力争いや、時が経つにつれて労働者の手から権力が奪われていくさまが、明晰な視線で描かれています。そこでの体験が全体主義的な社会への批判の書である近未来小説『1984年』(1949年)の執筆につながっていくのです。

 この『1984年』を意識して、村上春樹は『1Q84』を書きました。オーウェルの『1984年』にはスターリニズムを寓話化した独裁者「ビッグ・ブラザー」が登場しますが、村上春樹の『1Q84』には「リトル・ピープル」なるものが登場します。

 そのカタルーニャでの村上春樹のスピーチです。村上春樹はオーウェルのことなどに触れて語ってはいませんが、話す村上春樹の頭の中にはオーウェル『カタロニア讃歌』の舞台の地でのスピーチであること、自作の『1Q84』にもつながる地でのスピーチであることは、もちろん意識されていただろうと、私は思いました。

 受賞スピーチが話題となっているのは、村上春樹が、今回の東日本大震災と福島第1原発事故に触れて話しているからです。歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ日本人にとって、福島第1原発事故は2度目の大きな核の被害であることを述べ、我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだったと語ったのです。

 原爆の惨禍を体験した日本社会から「『核』への拒否感がどんな理由で消えてしまったのか」。それについて、村上春樹は「理由は簡単です。『効率』です」と語っています。

 「効率」という言葉は、このスピーチで6回も使われていますが、これを読みながら、村上春樹の一貫した姿勢というものを感じました。

 村上春樹にとって、明治以降の日本近代の問題点は「1つの視点から、効率を求めて人を整列させるシステムとして近代というものがある」ことだ思います。

 例えば、近代以降の学校、軍隊、病院、監獄などは、みな1点からすべてが見通せるようになっています。日本が近代となって、効率を求め、1つの視点から、人を整列させるシステムとしてできた姿なのです。

 こういう効率社会と闘ってきたのが、村上春樹の文学です。

 1つだけ例を挙げてみましょう。『1Q84』と同じ時代、つまり1984年(正確には84年?85年)の日本を舞台に書いた『ねじまき鳥クロニクル』に、綿谷ノボルという人物が出てきます。彼は主人公「僕」の妻の兄ですが、この綿谷ノボルは日本を戦争に導いたような精神の持ち主として描かれています。『ねじまき鳥クロニクル』という作品は、「僕」がこの綿谷ノボルと対決して、彼をたたきつぶして、綿谷ノボル側に連れ去られた妻を自分の側に取り戻す話です。

 そして「僕」が最初に、この綿谷ノボルと会った際、綿谷ノボルは「僕」に、こう言うのです。「私にとってはこれがいちばん重要なことなのだが、私の個人的な時間をこれ以上奪わないでほしい」と。

 「私にとってはこれがいちばん重要なことなのだが、私の個人的な時間をこれ以上奪わないでほしい」というのは、つまり「効率が一番重要」ということです。ですから「僕」は、綿谷ノボルに対して「余分な部分もなければ、足りない部分も」ない人物と思うのです。つまり「効率」しか考えていない人物だと思うのです。

 そんな綿谷ノボルを「これは全力で闘い叩きつぶさなくてはいけないもの」と村上春樹は語っています(「メイキング・オブ・『ねじまき鳥クロニクル』」)。つまり効率社会、効率を追求する日本近代の問題とずっと闘い続けてきたのが、村上作品なのだと思います。

 「理由は簡単です。『効率』です」。「核」への拒否感が消えてしまった理由として、村上春樹はそう語ったのですが、この「効率」という言葉は突然出てきたものではなく、村上春樹が作家として出発して以来、闘い続けてきたものなのだと思います。

 「我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです」「核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです」とも村上春樹は語りました。

 その言葉を読んで、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のことを思い出しました。この作品は「世界の終り」の話と「ハードボイルド・ワンダーランド」の話が交互に進んでいく物語ですが、「世界の終り」のほうに「発電所」という章があります。

 主人公の僕が仲良くなった図書館の司書の女性と2人で、ある日、森の中にある「発電所」を訪ねる場面です。巨大な扇風機のようなものが激しい勢いで回転しています。何千馬力というモーターが軸を回転させているかのようです。僕は「どこかから吹きこんでくる風圧でファンを回転させ、その力を利用して電気を起しているのだろう」と想像します。

 その建物の中にいた若い管理人の男に「風ですね」と僕が言うと、「そうだ」というふうに男が肯きます。さらに男は「この街の電力は風でまかなわれています」と語るのです。

 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は1985年の刊行ですが、この時点で既に風力発電のことを村上春樹は考え、書いていたのです。

 エネルギー問題のこと、発電に関することも、突然の発言というわけではなくて、村上春樹の一貫した考えの表明だったのだと思います。

 このスピーチは、まだまだ他にも実に村上春樹らしい、興味深い部分があります。それはまた次回、紹介しましょう。(小山鉄郎・共同通信編集委員)

 ※「村上春樹を読む」は毎月第4木曜更新。

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