「村上春樹を読む」(25) 成長する「巡礼の年」 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』について

村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

 ひと月ぐらい前のことなのですが、ピアニストの小山実稚恵さんとお話をする機会があり、刊行されたばかりの村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』のことで大いに盛り上がりました。

 小山実稚恵さんは、現在、12年をかけて計24回の「小山実稚恵の世界 ピアノで綴るロマンの旅」という超ロングリサイタルシリーズに挑んでいます。それも半分を過ぎて、第15回が6月8日、「Bunkamura オーチャードホール」で開かれるのですが、その演奏曲の最後にリストのピアノ曲集「巡礼の年」の第2年イタリアの中の「ダンテを読んで」が決まっていたからです。

 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』には、「巡礼の年」が重要な音楽として使われていますが、小山実稚恵さんが演奏する曲は「小山実稚恵の世界」のスタート時、つまり2006年には決まっていて、発表もされていましたので、この「巡礼の年」については、まったくの偶然の一致のようです。

 そして、今年はリヒャルト・ワーグナーの生誕200年で(ワーグナーは1813年5月22日生まれなので、ちょうどワーグナー200年の誕生日に、今このコラムも書いていることになりますね)、このワーグナーイヤーを考えてでしょうが、小山実稚恵さんも「巡礼の年」「ダンテを読んで」の前の演奏曲には、リストがワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の音楽をピアノ独奏用に編曲した「イゾルデの愛の死」を選んでいます。

 話はちょっと、横道にそれますが、この大作曲家であるリストも、ワーグナーも恋愛に関しては、もてもてというか…、めちゃくちゃというか(現代の価値観からするとですが…)、そうとうなもののようでした。

 例えば、作曲家三枝成彰さんの『大作曲家たちの履歴書』という本によりますと、リストの恋愛関係の欄には「もてすぎてスキャンダル続出」とありますし、ワーグナーのほうには「『奪う』ことに情熱を燃やす」とあります。確かにワーグナーは既婚者だったリストの娘コジマを略奪して、結婚しています(もっとも三枝さんの本によると、この恋愛に関しては、コジマのほうが積極的だったようです)。

 小山実稚恵さんとの話の中でも、ワーグナーとコジマのことも少し話題にのぼりましたが、「巡礼の年」の選曲と『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の偶然の一致のことは、楽しい余韻を残したまま、自然と別な話に移っていきました。

 それから数日して、小山実稚恵さんの6月8日の演奏曲目を見ているうちに、村上春樹が『パン屋を襲う』という本を2月下旬に刊行していることに気がつきました。

 これは村上春樹の初期短編である「パン屋襲撃」「パン屋再襲撃」に少し手を加えて、ドイツ人の女性イラストレーター、カット・メンシックさんによるイラストをたくさん交えてできた本です。村上春樹とカット・メンシックさんのコンビは『眠り』に続くものですね。

 そして、この『パン屋を襲う』や「パン屋襲撃」「パン屋再襲撃」を読んだ人なら、私のちょっとした驚きのような気持ちも分かってもらえるかと思うのです。「パン屋襲撃」(新しい本は「パン屋を襲う」という題名になっています)は「僕」が相棒の「彼」と包丁を持って、商店街にあるパン屋を襲う話です。店の主人に「とても腹が減っているんです」「おまけに一文なしなんです」と迫る話です。

 ところが、その50歳すぎの店主は共産党支持者ですが、ワーグナーが大好きで、彼は「僕」と「相棒」に対して、ワーグナーの音楽にしっかりと耳を傾けてくれたら、パンを好きなだけ食べさせてあげようという奇妙な提案をするのです。

 その提案に「僕」も「いいですよ」、「相棒」も「俺もかまわない」と応じて、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を聴きながら、腹いっぱいパンを食べるという話なのです。

 小山実稚恵さんの演目をみると、「巡礼の年」「ダンテを読んで」の前の演奏曲は、「イゾルデの愛の死」です。そして村上春樹の新作長編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』刊行の2カ月前に、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」をパンと交換に聴くという『パン屋を襲う』が出版されていたのです。

 村上春樹がリストとワーグナーの関係を予告するように『パン屋を襲う』をリメークしたのか、またワーグナー生誕200年記念で、この本を出したのか、別な事情があるのか、私には分かりません。『パン屋を襲う』には、そのようなことは記されていませんので、何も分からないのですが、このことにもう少し早く気がついていたら、小山実稚恵さんとの話は、さらに盛り上がったかもしれないなあと、ひとり思っておりました。

 さてさて、村上春樹の3年ぶりの新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の中で重要な役割を果たす、そのリストのピアノ曲集「巡礼の年」と同作の関係について、今回の「村上春樹を読む」では、少しだけ、私の思いを書いておきたいと思います。

 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は題名中にもある36歳の「多崎つくる」という名の男性が主人公です。「多崎つくる」とは、ずいぶん変わった名前ですが、彼をいきなり絶交にする4人は「赤松慶」「青海悦夫」「白根柚木」「黒埜恵理」といずれも名字に色彩がついていて、主人公の「多崎つくる」にだけ、色彩がありません。村上春樹の長編では『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)と並ぶ、長いタイトルの作品ですが、その前半の「色彩を持たない多崎つくる」というのは、その友人と主人公の名前のことからきています。

 5人は名古屋の人たちで高校時代は親友同士でしたが、多崎つくるだけが東京の大学に進みます。そして彼が19歳から20歳になるころの、ある日、多崎つくるが他の4人から、理由も分からないまま絶交されるのです。多崎つくるは深い傷を心に受け、ほんとうに死の近くまで行くのですが、それでも絶交の理由を探るということをしませんでした。

 でもようやく死の淵から戻ってきた多崎つくるに、灰田というクラシック音楽好きの友達ができるのです。灰田は学生寮に住んでいましたが、いつもCDを何枚か持って、多崎つくるのマンションの部屋にきて、それを聴いています。「自分の所有する古いLPを抱えてくることもあった」と記されているので、かなりのレコードマニアかもしれません。

 灰田のレコードを聴いているとき、それが以前に耳にしたことがある曲であることに気づいて、灰田に曲のことを多崎つくるが尋ねるのです。

 その「静かな哀切に満ちた音楽」がリストの「巡礼の年」の第1年スイスの巻に入っている「ル・マル・デュ・ペイ」です。「Le Mal du Pays」はフランス語で、ホームシックとか、メランコリーという意味に使われるが、もっと詳しく言えば「田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ」という意味であることを灰田が説明します。

 多崎つくるは「僕の知っている女の子がよくその曲を弾いていたな。高校時代のときクラスメートだった」と灰田に言います。それは「白根柚木」のことです。

 シロ(白根柚木)とクロ(黒埜恵理)との性夢が繰り返し、多崎つくるを襲いますが、でも彼はなぜ親友たちが自分を拒んだのかを、やはり探ろうとはしないのです。

 そして16年後、36歳になった多崎つくるが、2歳年上の木元沙羅という女性に出会い、沙羅から「そのときのダメージがどれほどきついものだったにせよ、そろそろ乗り越えてもいい時期に来ているんじゃないかしら?」というふうに導かれて、自分が拒まれた真相を探る旅に出るのです。

 そしてリストの「巡礼の年」の第1年スイスの巻に入っている「静かな哀切に満ちた音楽」である「ル・マル・デュ・ペイ」はこの新作長編の中をずっと響いています。

 それゆえに、この「ル・マル・デュ・ペイ」のことが、いろいろと話題となっています。私もCDで「ル・マル・デュ・ペイ」を聴きました。音楽に疎いので、リストに超絶技巧のピアニストのイメージしかありませんでしたが、このように静かな哀切に満ちた曲があったのかとちょっと驚きました。

 でも、音楽の知識が少ないゆえの考えかもしれないのですが、この作品にとってリストの「巡礼の年」というピアノ曲集の重要性は、「ル・マル・デュ・ペイ」が繰り返し出てくることにあるのではないのだろうと私は考えているのです。

 作品の終盤近くに、多崎つくるがフィンランドで暮らすクロ(黒埜恵理)を訪ねて、16年ぶりに再会する場面がありますが、ここがとてもいいですね。私の思うことをこのコラムの読者の方にお伝えするには、その素敵な場面について紹介しなくてはなりません。

 16年ぶりに再会したクロと対話する中で、多崎つくるは、もうこの世にはいないシロの真実をききます。するとリストの「巡礼の年」が、「第一年・スイス」から「第二年・イタリア」へ移るのです。

 そこに「そのとき彼はようやくすべてを受け入れることができた。魂のいちばん底の部分で多崎つくるは理解した」とあって、次のような言葉が記されています。

 「人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛の叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ」

 この言葉が、同作品を通して、強く深く、私に届きました。

 すべてを語ったエリ(=クロ、黒埜恵理)が、両手で顔を覆います。「彼女が泣いているのかどうか、つくるにはわからなかった。もし泣いているとしたら、まったく声を出さずに泣いていた」とそこに記されています。

 私は、村上春樹の作品の登場人物たちが、泣いたり、涙を流したりする場面に注目して、作品を読んできた者です。それはその登場人物たちの切実な体験や気持ちが表れている場面だからです。

 人間は自分の切実なものの姿を知った時に、初めて成長するのです。自分の切実なものを通してしか、人は成長できないということでもあると思います。そして村上春樹の小説は、そのすべてが人間の成長を描いていると言ってもいいと思います。村上春樹の小説を読む時の大きなポイントの1つは、登場人物たちが、どの時に、どのように成長しているかということを受けとることだと思っています。

 この場面は、エリ(=クロ、黒埜恵理)が泣いているのか、微妙な表現となっていますが、読んでいけば、エリが「まったく声を出さずに泣いていた」ことは、よく分かります。

 そしてエリが「ねえ、つくる」「もしよかったら、私をハグしてくれる?」と言います。

 つくるは何も言わずに、エリの身体を正面から、ただ抱きしめるのです。その時間、リストの「巡礼の年」は「第二年・イタリア」の「ペトラルカのソネット第四七番」に、さらに「ペトラルカのソネット第一〇四番」に進みます。

 そこに、言葉はもういらない。言葉はそこでは力は持たない時間の流れの中に「つくる」と「エリ」がいるのです。

 エリの「一対の豊かな乳房が何かの証のように彼の胸にぴたりとつけられ」ます。「彼女の両手の温かい厚みが背中に感じられた。柔らかな濡れた頬が彼の首に触れた」とあります。やはりエリは泣いていたのです。

 この場面から「生き続けることの密な重み」が伝わってきます。16年の時間の厚みが、読む者の中に「密な重み」をもって伝わってくるのです。村上春樹の主人公が女性と正面から抱き合って、こんなに分厚い、「密な重み」のある感覚をもって書かれたことがあったでしょうか。私には、初めて味わう村上春樹です。

 大人の男女の間で、今後、ハグが流行るのではないでしょうか。いや、もうそこかしこで、流行っているかもしれませんね。そのくらい、素敵な密な重みのあるハグです。

 つまり、この小説の中のリストのピアノ曲集「巡礼の年」はずっと「ル・マル・デュ・ペイ」が流れていることに意味があるのではないと思います。「ル・マル・デュ・ペイ」に留まっているのではなく、多崎つくるがエリと再会して、人は「むしろ傷と傷によって深く結びついているのだ」と思い、「それが真の調和の根底にあるものなのだ」と分かると、リストの「巡礼の年」が「ル・マル・デュ・ペイ」の「第一年・スイス」から「第二年・イタリア」に移り、「ペトラルカのソネット第四七番」「ペトラルカのソネット第一〇四番」に進んでいくことに、この「巡礼の年」という音楽の意味があるのだと私は思います。

 そのピアノ曲集「巡礼の年」の進行とともに、多崎つくるは成長しているのです。でも多崎つくるは泣いていないではないかという意見があるかもしれません。でも、そんなことはありません。

 「柔らかな濡れた頬」のエリを正面から多崎つくるはしっかり抱きしめているのです。彼もエリの涙と同化しているはずです。一緒に、心の内で泣いているでしょう。きっと。

         ☆

 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は非常にシンプルというか、とてもナチュラルに書かれている作品なので、細かいことを指摘することにはあまり意味がないと思うのですが、もう1つだけ、書いておきましょう。

 親友たちから絶交された時から、多崎つくるが「真の調和の根底にあるもの」をはっきりと自覚するまでの16年間という年月は、既に他の方々も指摘していますが、やはり阪神大震災(1995年)と東日本大震災(2011年)の間の16年間ということがまずあると思います。

 具体的な例をいくつか示せば、作品の始まり近くに、多崎つくるが親友たちに拒絶されて、死にかけ、自分の体を鏡で見詰める場面があるのですが、そこには「巨大な地震か、すさまじい洪水に襲われた遠い地域の、悲惨な有様を伝えるテレビのニュース画像から目を離せなくなってしまった人のように」凝視していると記されています。

 そして多崎つくるを導く、2歳年上の恋人の「沙羅」という名前は阪神大震災の後の連作短編集『神の子どもたちはみな踊る』(2000年)の最後の作品「蜂蜜パイ」に出てくる女の子と同じ名前です。その沙羅は神戸の地震のニュースを見すぎて「知らないおじさんが自分のことを起こしに来るんだ」という子どもです。眠っている沙羅を起こしにきて、怯えさせる男は「地震男」と呼ばれています。その女の子と同じ名前の女性が、導いていく物語ですから、やはり大震災との関連はあると考えていいかと思います。

 さらに「蜂蜜パイ」は早稲田大学の同級生の淳平と小夜子と高槻の話です。彼らは「小さく親密なグループを形成」「いつも三人で行動」していたという男2人、女1人の話です。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の高校生の親友5人組、それは男3人、女2人の5人組ですが、やはり少し重なる部分があるかと思います。

 そして淳平は小説家となり、新聞記者となった高槻と小夜子が結婚して、沙羅が生まれますが、その後、まもなく離婚してしまいます。淳平は沙羅の名付け親でもあり、阪神大震災の時には36歳という設定になっていますので、その年齢設定も、多崎つくると同じ年齢ですから、やはり共通する面を持っています。

 でも無理やり、東日本大震災と結びつけて読む必要はありません。なぜなら直接、東日本大震災との関係を書いている部分はないからです。しかし死の淵まで行った人間が、そこから自分の生をつかみ直す再生の物語です。震災後を生きる私たちに重なってくる小説になっていることは事実だと思います。私は強く励まされました。

 村上春樹は、2011年6月のカタルーニャ国際賞の受賞スピーチで、東日本大震災による自然災害と、原発事故に触れて話し、戦後、日本人の中にあった効率を求める社会の問題について言及しました。

 そして、その効率社会というものによって、損なわれた私たちの倫理や規範の再生を試みるとき、それは全員の仕事になることを述べ、言葉を専門とする作家として、進んで関われる部分があるはずですとスピーチしていました。

 「我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです」と述べていたのです。

 やはり、この言葉の先に、東日本大震災後、初めての村上春樹の長編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』があるのだと私は思います。

         ☆

 さてさて、冒頭紹介した小山実稚恵さんも『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだそうです。感想を聞くと「流れるように、楽しく読みました。よかったですよ」と弾んだ声で話していました。

 そして、この5月29日の夜、北海道の美深町文化会館で、コンサートを開き、やはりリスト「巡礼の年」の第2年イタリアの中の「ダンテを読んで」を弾くそうです。

 北海道美深町は村上春樹『羊をめぐる冒険』の舞台となったところです。同作は背中に星の印を持つ羊を探して北海道に行く物語ですが、その向かう先は「十二滝町」という町です。美深町仁宇布には16の滝があるという地区で、「十二滝町」のモデルとなった場所だろうと言われています。

 その地・美深町で、小山実稚恵さんがコンサートをして、「巡礼の年」の「ダンテを読んで」を弾くのです。こんな偶然もあるんですね。既に、リスト「巡礼の年」の中の曲を美深町で弾くことは、村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』との関係で話題となっているようです。「何か、少し不思議な縁のようなものも感じています」とのことでした。

 美深町仁宇布地区には『羊をめぐる冒険』で描かれた世界と、イメージが非常によく似た松山農場がありますが(ただし同作刊行時には、まだこの農場は存在していませんでした)、小山実稚恵さんは折角だから、羊もいて、白樺の林も見える同農場の宿泊施設に泊まるそうです。(共同通信編集委員・小山鉄郎)

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