永井真理子「ミラクル・ガール」アニメ “YAWARA” から火がついた自身のテーマ曲  12月4日は永井真理子の誕生日

ガールポップのメインストリームに躍り出た永井真理子

時は平成元年。折からの好景気は絶頂を迎え、日本中の誰しもがこの国の終わりなき発展を確信し、浮かれまくっていたこの時代。

上昇を続ける日経平均株価に比例するかのごとく、エンタメの世界では “昭和” の物差しでは相計れない新しい価値観を有する若者たちのパワーがあらゆるジャンルで爆発していた。

それは音楽業界とて例外にあらず。1989年9月の『ザ・ベストテン』打ち切りを皮切りに、22年間続いた『夜のヒットスタジオ』、さらに前進番組から計9年間続いた『歌のトップテン』が次々と最終回を迎え、古きよき “歌謡曲” はあっという間にお茶の間から姿を消してしまった。

歌謡曲の衰退と入れ替わるように若者の心をつかんだのは、THE BLUE HEARTSやユニコーンを筆頭としたロックバンドの存在だった。若者たちは『ザ・ベストテン』に登場する華やかなスターよりも、『イカ天』で勝ち上がる無名バンドに熱狂し、職業作家による計算し尽くされた音楽よりも、荒削りな彼らのパフォーマンスを支持した。ちなみにFMラジオ局J-WAVEの提唱により “J-POP” という新語が誕生したのも、ちょうどこの頃だとされている。

歌謡曲からバンドロック、そしてJ-POPへ。レコードからCDへと音楽の聴き方が激変する中において、兼ねてからじわじわとファン層を拡大していたのが “ガールポップ” というジャンルだ。ポップ5:ロック3:アイドル2程度の比率から成り立つこのジャンルは、渡辺美里、杏里、中村あゆみといったソロシンガーの活躍に牽引されて急成長し、80年代後半になるとその勢いは更に加速した。

そのメインストリームに躍り出たのが永井真理子だった。

レコード会社にデモテープを持ち込んだ永井真理子の行動力

永井真理子のデビューは1987年。短大時代に自作のデモテープを都内のレコード会社に持ち込み、「とにかくこれを聴いて下さい!」「ぜひ今聴いて下さい!」と、たまたま居合わせた女性プロデューサーにウォークマンごと手渡したのがきっかけだった。

このプロデューサーというのが、ディレクター時代に「異邦人」の久保田早紀を見出した人物としても名高い、伝説の敏腕プロデューサー・金子文枝である。

短大の学園祭ライブを見学した金子は、さっそく永井に連絡を入れ、「必ず私がデビューさせる」と約束したという。本人も驚くほどの展開の早さ。おそらく金子女史には、成長著しい新ジャンル「ガールポップ」の一角として永井をブレイクさせる算段があったのではないだろうか。

学業と並行しながら1年弱の制作期間を経て、1987年7月にシングル「oh,ムーンライト」でデビューを果たすと、翌8月にはアルバム『上機嫌』をリリース。翌1988年には更にアグレッシブに音楽活動に勤しみ、学園祭の女王の称号をほしいままにした。

156センチの小柄な体を目いっぱいに躍動させ、永井は夢にまで見たプロの道を全速力で駆け抜けた。

アニメYAWARA!のオープニングを飾った「ミラクル・ガール」

緑あふれる御殿場で育ったおてんば娘の将来の夢は、プロレスラーかコメディアン。実家が美容室を営んでいたが、髪は小学6年生のときに一度伸ばしただけ。おなじみのショートヘアは幼少期から変わらぬトレードマークだ。デビュー後すぐにはオシャレな衣装を着ることもあったが、やがて501のジーンズと長袖のTシャツというおなじみのスタイルが定着した。いわく「最も自分らしく、自然なものに淘汰されてきた」とか。

ライブでは飛んで跳ねて、観客ひとりひとりの目を見て、心に訴えるように歌うのがモットー。そんな永井を形容する言葉は決まって “元気” の2文字だが、これは単なる能天気さだけではないという。

「私自身が髪の毛がショートで、いつもパンツばかり穿いていて、体育大卒業して、剣道も初段を持ってたりするから、なんか見た目の元気ばかりクローズアップされてましたけど、私自身はもっと精神的部分での元気を歌ってきたんです」

聴衆に元気を与える永井のパフォーマンスは評判を呼び、その人気は瞬く間に全国へと広がった。1989年にリリースした4thアルバム『Miracle Girl』はオリコン最高3位を記録。同名の全国ツアーも大盛況を収め、秋にはアニメ『YAWARA!』のOP曲にもなったシングル「ミラクル・ガール」をリリースした(ややこしいので補足しておくと、「ミラクル・ガール」はアルバム『Miracle Girl』には収録されていない、書き下ろしの新曲である)。

信念はミラクルを引き寄せる!

アルバム、ツアー、そしてシングルと、それぞれに冠した「Miracle Girl(ミラクル・ガール)」というフレーズには、「信じたものは必ずこっちに来る」、すなわち信念はミラクルを引き寄せるという想いが込められているそうだ。永井のインタビュー記事を読んでいると、そこかしこに「信じる」という言葉が頻出する。

「自分の持っている可能性っていうものを信じて、なんにでもトライしてみる」 「私も自分の歌を信じて歌ってる。だから、みんなも恋愛や勉強、一度の失敗でくじけないで、自分のことを信じて頑張って欲しいです」

プロになりたい。そう信じてレコード会社の門を叩き、瞬く間にトップアーティストの仲間入りを果たした永井真理子。「ミラクル・ガール」は、そんな彼女自身のテーマ曲といえるのではなかろうか。

参考文献:
近代映画社 / 近代映画(1989年7月号)
角川書店 / 月刊カドカワ(1989年8月号)
集英社 / 明星(1989年9月号)

カタリベ: 広瀬いくと

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