神奈川県横須賀市長井の富浦公園の海岸に、コンクリートの大きな箱のようなものが昔からある。これが何なのかずっと気になっていたという同市の歯科衛生士の女性(58)から「追う! マイ・カナガワ」取材班に調査依頼が届いた。女性は、戦時中の砲台、漁師が使ったいけす跡などの説を聞いたことがあるというが、地元住民も首をかしげる箱の正体は-。
◆地元の子どもの遊び場
「この公園はダイヤモンド富士も見える眺めの良い場所です」という女性の言葉に誘われ、記者も現地へと向かった。三浦半島の西海岸に海が広がり、日光浴を楽しむカップルもいて、のどかな雰囲気だ。
スマートフォンの地図を片手に、公園を海岸沿いに北へ進むと、コンクリートの物体が現れた。波が打ちつける砂浜に、四角い箱が三つ並んでいる。大きなものは長さ10メートル以上ありそうだ。
波で浸食され崩れているものもあり、中に草が生えているのが見えた。灰色の荒廃した姿は、戦争の遺構をほうふつとさせる。
◆戦前は旧海軍の基地が
周辺には陸上自衛隊の武山駐屯地や高等工科学校などがあり、戦前は旧海軍の射撃場があった場所だ。インターネット上には「戦時中の砲台では」との憶測もあったが、確かな情報は見つけられなかった。
地元の人なら何か知っているかもしれない。農家の男性(52)は「小さい頃からあそこで遊んでいたけど、戦争の何かでしょ。今も子どもたちの遊び場だよ」と話す。公園を管理する同市公園管理課は「分からない」という。
横須賀市自然•人文博物館も「遺構のことは分からない」というが、「横須賀考古学会なら何か情報があるかも」と教えてくれた。同会は何年か前、遺構を調査していたらしい。
早速、同会に連絡してみると「あの構造物は戦争遺構ではありません」と記者に告げた。では正体は何なのか…。
◆「製塩工場?」…再調査
三浦半島地域を考古学的に研究する「横須賀考古学会」の臼井敦さん(59)によると、2015年に同会で横須賀市長井地区の歴史を取り上げた際、コンクリートの箱について調べたという。
三つのうち、中央の構造物は円形と長方形が合わさり、左右の構造物は長方形で、それぞれ約2メートルの高さがあった。地元で育った人に聞き取りも行い、「関東大震災から終戦まであった製塩工場ではないか」と結論が出た。ただ、裏付ける資料を見つけられず、断定は難しかった。
今回、マイカナ班の取材を受けた臼井さんが「戦跡ではない証左をちゃんと示したかった」と、6年ぶりに再調査に乗り出し、国立公文書館のアジア歴史資料センターで、古い関連資料を発見することができた。
◆「昭和初期の産業遺産」
臼井さんが見つけた資料から、遺構は1933(昭和8)年に海水利用に関する基礎研究のために国が設立した「大蔵省専売局中央研究所長井分室」と判明した。装置の図面や、行われていた試験概要などの資料を読み込むと、今も残っているのは「濃縮鹹水(かんすい)製造装置」の一部のようだ。
ここで何を行っていたのか。「たばこと塩の博物館」(東京都)の高梨浩樹主任学芸員(53)に尋ねると、「塩を作るには海水を煮詰める必要がある。この装置で、その技術を改良する実験をしていたのでしょう」と解説してくれた。塩の自給率が低い日本で海水から塩を効率良く採取するため、当時の最先端の研究を行っていた施設であった。
遺構は装置の中枢部ではなく、海水をためるタンクだが、この時代の海水利用研究の施設は国内で保存されていないという。高梨さんは「昭和初期の日本の産業遺産として位置付けることはできる。しっかり調べた方がいい」と指摘した。
高梨さんによると、昭和初期に塩を作っていた民間施設では、沖縄県名護市の「我部塩田遺跡」周辺に、コンクリート製の海水タンクが残されているという。
同市に問い合わせると、そのタンクについては2013年に沖縄国際大が考古学調査も行い、「沖縄の塩づくりを伝える大切なもの。持ち主が分かっていないが、できるだけ保存し、後世に残したい」と担当者もその価値を認識していた。横須賀でも、説明看板などを付けて保存できないだろうか。臼井さんも「歴史的史料なら、何らかの形で保存を」と期待する。
◆価値があれば保存対象
日本専売公社発行の「日本塩業史」によると、長井分室では1938年まで研究が行われていたようだが、いつ閉鎖されたのか、装置の中枢部がどこに消えたのかは不明だ。
当時、分室を運営していた大蔵省専売局は同公社が設置された49年に廃止され、塩事業はその後、日本たばこ産業株式会社へ、96年からは財団法人塩事業センターが引き継いでいる。
塩専売事業に関する資料を保存する同センターに問い合わせると、「製塩技術に関する歴史的史料ではあると思うが、保存の判断は今の土地の所有者に委ねたい」と回答があった。
所有者の事情は複雑で、富浦公園は横須賀市の公園だが、遺構のある場所は国有地で、海岸は県の河川砂防課が管理している。
これまであまり注目されなかった遺構について、県は「当時の記録もなく、誰の所有物かも分かっていなかった。海岸管理に支障はないので、特に撤去もされず長年にわたって残っていたのだろう」と推察する。
横須賀市の生涯学習課は「初めてそういうものがあると聞いた」と驚いた様子だったが、「今後、専門家を交えて調査研究し、文化財としての価値があり、市の重要文化財等に指定されれば、保存・保護の対象になる」と話している。
◆取材班から
投稿者の疑問から、海辺で朽ち果てていた謎のコンクリートの箱の正体が判明した。所有者不明のまま、おそらく80年以上も撤去を免れ、貴重な史料が思わぬ形で残されていた。歴史を伝える遺構の保全活用がどうなるのか、今後を見守りたい。