松坂大輔、涙の裏側 イチロー氏の“心遣い”「雰囲気まとえる大人になりたい」

西武・松坂大輔の引退セレモニーに登場したイチロー氏(右)【写真:荒川祐史】

イチロー氏がサプライズ登場「言葉では表し切れないくらい感謝」

“平成の怪物”松坂大輔投手が4日、メットライフドームで行われた西武のファン感謝イベント「LIONS THANKS FESTA 2021」の中で、現役引退セレモニーに臨んだ。最後の舞台に花を添えたのは、数々の名勝負を繰り広げたイチロー氏やプロ入り当時の監督だった東尾修氏の来訪。涙を流す場面もあり、特に感慨深げな表情を見せた。

イチロー氏の登場は、球団サイドが用意したサプライズ中のサプライズだった。いったんセレモニーは終了し、辻監督が来季への抱負を述べ、選手会長の高橋光成が一本締め。さらに松坂がファンに手を振りながらグラウンドを1周した後に待っていた“粋な計らい”だった。

「涙が出てしまいました。びっくりしたのと、めちゃくちゃ嬉しいのとで……」と感無量の松坂。「プロ入り前からイチローさんの背中を見ていましたし、その大きな背中を追いかけ続けることで、ここまでやって来ることができた。言葉では表し切れないくらい感謝しています」と振り返った。

松坂とイチロー氏は、2006年と2009年のWBCでは日本を大会連覇に導いた盟友であり、ペナントレースでは好敵手。1999年5月16日、西武ドーム(現メットライフドーム)での初対戦では、当時ルーキーの松坂が3三振を奪い「自信が確信に変わりました」と名ゼリフを吐いた。2か月後の7月6日、神戸でイチロー氏が通算100号を放ってリベンジしたことは、今も語り草だ。宿命のライバルの存在が、松坂の価値をワンランク押し上げたとも言える。

しかもイチロー氏はこの日、松坂に花束を渡し、耳元で何かをささやくと、マイクの前に立つことなく颯爽と去っていった。自分が目立ち過ぎて“主役は松坂”の大前提を崩すことがないようにとの心遣いもにじむ。松坂は「すごく格好いいなって思いました。僕もああいう雰囲気をまとえる大人になりたいです」と改めて舌を巻いた。

西武・松坂大輔の引退セレモニーに登場した東尾修氏(右)【写真:荒川祐史】【写真:荒川祐史】

ファンの前で「約束してほしい」と迫る東尾氏にタジタジ

一方、やはり花束を手に駆け付け、大勢のファンの前で松坂に「ひとつ、あなたが私に果たしていない約束がありますね? わかってますよね?」と問いかけたのは東尾氏だった。

1998年のドラフト会議で、当時西武の監督だった東尾氏は横浜(現DeNA)、日本ハムとの競合の末、横浜高の松坂の交渉権を引き当てた。それでも「自分の意中は横浜ベイスターズ」と言い放った平成の怪物を、自身の通算200勝達成時の記念ボールをプレゼントして口説き落とした。松坂は自分が通算200勝して記念ボールを“お返し”する約束を交わしていたが、現役生活の終盤は相次ぐ故障に苦しみ、日米通算170勝に終わったのだった。

そこで東尾氏は「ここで新しい約束をしてほしい。今度帰ってくる時は、ライオンズ以外のユニホームを着たらダメだぞ!」と厳命。「大輔自身の口から、守りますと言って下さい」と迫った。松坂は慌てて「こればかりは僕が(監督・コーチを)やりたいと言ったからといって、戻って来られるわけではない。ライオンズに声をかけてもらえるように、これからも野球を勉強します」とかわすしかなかった。

「東尾さんの顔を見ると、一気にルーキーの年に引き戻されように、記憶がよみがえってきます」

松坂は懐かしむように言う。「実は東尾さんとは昨日も、別の仕事で一緒だったのですが、全くこんな雰囲気はなくて、お疲れ~って帰っちゃった」と明かし、「(東尾氏の現役投手時代の)相手バッターに悟られない姿を感じました」と苦笑した。それはプロ入りからの3年間で“東尾監督”から学んだ投球術でもあった。

東尾氏が触れた指導者への転身について、松坂は報道陣の前でも「正直言って、今すぐにというのはない。まだまだ勉強しなければならないことがある」と強調した。とはいえ、松坂には青いユニホームとこの球場がよく似合う。改めてそう印象付けた1日だった。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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