1995年オリV戦士が31年ぶり甲子園登板 古巣の優勝が刺激「気持ちにハリが出ました」

マスターズ甲子園に出場した元オリックス・高橋功一氏【写真:喜岡桜】

1995年にオリックスで7勝をマークした高橋功一氏がマスターズ甲子園に出場

全国の元高校球児たちが出身校別にチームを結成し対戦する「マスターズ甲子園2021」が4、5日の2日間に渡り阪神甲子園球場で開催された。初日の第2試合では元オリックスの高橋功一氏が能代OB(秋田県代表)として登場した。

高橋氏は阪神・淡路大震災が起きた1995年に「がんばろう神戸」をスローガンに掲げ、主に先発として自身最多の7勝をマーク。11年ぶり11度目(阪急時代の10度を含む)のリーグ優勝に貢献した青波戦士だ。

御所実業OB(奈良県代表)を相手に4回から登板。プロ時代の1990年以来、31年ぶりに甲子園のマウンドに上がり「若干緊張しました」と振り返ったが、空振り三振、中飛、投ゴロと3人で仕留めた。「楽しむよりも責任の方が強く感じました。(投球内容は)全くダメ。思ったところに投げられませんでした」と厳しく自己評価した。

今年は古巣が25年ぶり13度目のリーグ優勝を達成したが、現地で古巣を応援することはできなかった。だが、古巣の吉報はマスターズ甲子園での試合に向け気が引き締まったという。

野球少年や母校の高校球児ががんばるきっかけに

「気持ちや指導内容にハリが出ました。母校のユニフォームに袖を通したのは高校3年生以来です。この歳になっても目標を持つことができて幸せでした。ワクワクしました」と話し、頬を緩める一幕も。

現在は兵庫県加古郡播磨町で野球塾を運営し、少年硬式野球チーム・東加古川レッドアローズの運営と指導にもあたっている。今年のマスターズ甲子園は感染症対策により無観客試合だったため、子ども達が応援に駆け付けられなかった。「何通か応援メールが届いていました。三振を3つとったと報告したかったです」と悔しさを滲ませた。

自身のチームに所属している野球少年だけでなく、母校の後輩たちへも気を配った。夏4回の甲子園出場成績を誇る能代は、OBチームのマスターズ甲子園出場により、19年ぶりに聖地のスコアボードに校名が刻まれたことになる。「母校が甲子園から遠のいているので、OBチームの活躍をなにかの媒体で見て奮起してくれれば」と語り、現役の高校球児へエールを送った。(喜岡桜 / Sakura Kioka)

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