鹿沼市職員はなぜ殺されたのか? 「政官業+暴」の闇に肉薄した下野新聞の連載「断たれた正義」 下野新聞(2003年〜) [ 調査報道アーカイブズ No.59 ]

◆市職員、こつ然と消える

栃木県鹿沼市は県都・宇都宮市に隣接している。人口9万4000人余り。田園地帯の中に住宅街が広がり、由緒ある社寺も点在するエリアである。ここで鹿沼の市職員が殺害されたのは、今からちょうど20年前のことだ。「行政対暴力」の象徴と言われた「鹿沼事件」である。

2001年10月31日午後5時半すぎ、鹿沼市の一般廃棄物処理施設である「鹿沼市環境クリーンセンター」を所管する市環境対策部の参事、小佐々守さん(57)はいつも通り、勤務を終え、職場を後にした。その後、行方がわからなくなる。翌朝、職場から200メートルしか離れていない田んぼで、小佐々さんの自転車が見つかった。周囲にはカバン、書類の束、めがねなどが散乱していた。小佐々さんには家庭の悩みも持病もない。失踪する理由がないことから、警察は事件を疑い、捜査に着手した。小佐々さんは役所でゴミ行政を担当しており、警察は「ゴミ絡みで何かに巻き込まれたのではないか」との見立てで、捜査を進めていく。

ところが、その後、捜査は全く進展しなかった。肝心の市職員たちが捜査に協力的ではなかったからだ。判で押したように「何もなかったですね」という答えが戻ってくる。さらに事情聴取を進めると、口ごもって何も言わなくなる職員もいた。警察は「市は何かを隠している」との疑念を強めたが、捜査はなかなか進展しない。その間に小佐々さんの前任者も自殺した。栃木県の地元紙・下野新聞の記者が市職員や周辺を取材すると、異様な世界も見えてきた。市幹部をはじめ市役所全体が、特定の人物に首根っこを押さえつけられ、言うがままになっているのだ。

◆「あの職員が邪魔だから殺してくれ」

捜査が動いたのは、発生から1年3カ月余りが過ぎた2003年1月だった。

警察は鹿沼市内の産業廃棄物処理業者が事件に関与しているとみて、周辺者の事情聴取を開始。捜査の網をどんどん狭めていったが、直接取り調べる直前、今度はその業者が自殺してしまう。警察はその後、暴力団員ら4人を逮捕した。彼らは「産廃業者から『小佐々さんが邪魔だから殺してくれ』と頼まれ、車で連れ去った後、山中で首を絞め、拳銃で撃って殺した。遺体は山に埋めた」と供述する。殺害日は連れ去りの翌日11月1日だった。しかし、何度捜索しても遺体は見つからず、「遺体なき殺人」のまま時は流れ現在に至っている。

鹿沼市職員の殺害・遺体遺棄現場の見取り図。遺体は今も見つかっておらず、警察が情報提供を呼びかけている(栃木県警のHPから)

この事件が全国でも異例の「行政対暴力」の象徴として注目されたのは、暴力団員らが逮捕されてからだ。全国から新聞やテレビの取材陣が鹿沼に結集し、大々的な報道が展開されていく。それまでは、小佐々さんの失踪を伝える40行足らずの短い記事が下野新聞に掲載されていたに過ぎない。しかし、その様子を目の当たりにしながら、下野新聞の三浦一久記者は釈然としない気持ちになっていたという。その思いは、石橋湛山記念ジャーナリズム大賞に関する講義を収録した『ジャーナリストの仕事』に記されている。

◆事件の表層をなぞるだけでいいのか?

三浦氏は、この事件をこのまま終わらせてはいけない、と強く感じていた。

……容疑者が殺人容疑で再逮捕されると、潮が引くように各社とも「撤収モード」になりました。逮捕、起訴、初公判といった節目で取材態勢を縮小していく。事件取材に「ありがちなパターン」に陥りかけていました。
2003年5月に実行犯の初公判が開かれた後、事件はほとんど報じられなくなりました。そのとき、私たちは立ち止まって考えてみたのです。「これでいいのか」と。大きな事件が起きると、ワーッと洪水のように報道して、一通り表層をなぞると、「もういいんじゃないか」「次の事件がある」と、新しいニュースへシフトしていく。「地方紙ってそれでいいのかな」という疑問があったのです。(発生から)1年3カ月の間、この事件をきちんと報道できなかったという反省もありました。

下野新聞の記者たちは、事件の本当の意味を探り、伝えるため、取材班を結成した。

「暴力で行政をねじ曲げようとする行為は民主主義の根幹にかかわる」「被害者だけでなく、関係者2人が自殺し、3人の死者が出ている点も極めて特異だ」「単純な事件報道で終わらせてしまえば、何の教訓も残さない」ー。

取材班の成果は「断たれた正義 鹿沼事件を追う」という長期連載となって、紙面に大きく掲載された。2003年8月13日から翌年3月末にかけ、計87回。しかも毎回1面である。プロローグの「なぜ職員は殺された」から始まり、「理不尽・対行政暴力」「狙われた自治体」「呪縛・官業癒着」「背景・ゴミ行政の死角」「盛衰・政争の街」といったテーマで連載は続いた。どの回も内容は深く、鋭い。記者の身に危険は及ばなかったのだろうかと思わせる記述もあり、読むほうも緊張する。

下野新聞社会部のTwitterアカウントのアイコン

◆「困難に立ち向かい、書き続ける勇気」こそ

「断たれた正義」があぶり出したものは、何だったか。三浦記者は「事件の本質」として、次のように記している。

行政を対象とした暴力による前例のない殺人事件であること、不当要求を受けていた職員が孤立無援になってしまうという行政組織の問題点、さらには、背景にある政界、官界、業界、暴力団など闇の勢力、「政官業+暴」の癒着の構図。それらを徹底して追及する。(中略)

困難に立ち向かい、取材し続ける勇気、書き続ける勇気。それが試されたのが今回の事件だったと思います。連載に対しては読者の反応が非常に大きく、かつてない数の投書やファクス、メールが寄せられました。地元紙には地域の暗部をえぐるような報道をしてほしい。読者はそれを求めているのだということを、あらためて思い知らされると同時に、地域ジャーナリズムは何のためにあるか、どうあるべきかをもう一度見つめ直すきっかけになりました。

一連の報道は2004年、早稲田大学ジャーナリズム大賞の準大賞に選ばれた。それを記念する2005年5月の講義で、三浦記者は早稲田大学の学生に「負のリレーは断たれたのか。鹿沼市役所は事件後、変わったのか」と質問され、こう答えている。

結論から言いますと、変わっていないと思います。非常に残念なことなのですが。確かにこのような事件はもう起きないかもしれません。でも、それに通底しているもの、事なかれ主義や政争を繰り返す体質が完全に変わったとは言えないと思います。

誤解を恐れずに言えば、下野新聞の調査報道で明らかにされた「政官業+暴」の構図は、どの自治体にも大なり小なり存在するのだと思う。おそらく、現在も、である。では、地域で生きる地方メディアは、そうした問題を取材し続ける勇気を持ち、書き続ける勇気を持つことができるのかどうか。下野新聞が発した問いは、今もすべてのメディアに向けられている。

(フロントラインプレス・高田昌幸

■参考URL
単行本『狙われた自治体 ごみ行政の闇に消えた命』(下野新聞「鹿沼事件」取材班)
「ジャーナリストによる行政対象暴力の実態報告〜遺族の悲憤、繰り返すな」鹿沼市職員殺害事件 三浦一久記者の報告(全国暴力追放運動推進センターのHP)

© FRONTLINE PRESS合同会社