就労週28時間の“知られざる壁” 「30歳過ぎたのに、手元に何もない…」  ミャンマー緊急避難措置から半年

11月30日、ミャンマー・ヤンゴンで国軍に抗議する若者たち(AP=共同)

 ミャンマーの軍事クーデターを受けて、出入国在留管理庁(入管庁)が、日本で在留継続を希望するミャンマー人に在留延長と就労を認める緊急避難措置を打ち出して半年が過ぎた。11月半ばまでに約2500人に在留資格が与えられたが、就労を週28時間以内に制限する“知られざる壁”が重くのしかかっている。当事者の声に耳を傾けた。(ジャーナリスト、元TBSテレビ社会部長=神田和則)

 ▽声を詰まらせ涙流す

 「ミャンマーの家族とは連絡が取れないから、私はひとりぼっち。国には帰れない。もう30歳を過ぎたのに自分の手元には何もない。私の人生、どうなるんだろう」

 都心のコーヒーショップで32歳の女性、センさん(仮名)に会った。電話で取材を依頼したとき、彼女は上手な日本語で明るく応対してくれた。だがいま、日本に来てからのことを語り始めると、声が次第に詰まり、涙がマスクをぬらす。

 入管庁が緊急避難措置を発表したのは5月28日。2月のクーデターの後、抗議デモが各地で活発化するミャンマー情勢を「国軍・警察の発砲等による一般市民の死亡・負傷事案が発生し、デモに参加していない住民に対する暴力等も報告されており、情勢は引き続き不透明」と捉えた。

 その上で「情勢不安を理由に本邦への在留を希望するミャンマー人については、緊急避難措置として、在留や就労を認める」「難民認定申請者については、審査を迅速に行い、難民該当性が認められる場合には適切に難民認定し、認められない場合でも、緊急避難措置として在留や就労を認める」と方針を示した。

 名古屋入管に収容されていたスリランカ人女性の死亡を巡って入管庁への批判が高まっていた時期だ。国会に提出された入管難民法改正案に多くの問題点が指摘され、成立断念に追い込まれた直後でもあった。クーデター後の入管庁の動向を注視していた在日ミャンマー人の間では、歓迎の声が上がった。

5月、ミャンマー国営テレビが放映した法廷でのアウンサンスーチー氏(左端)の画像。12月6日に禁錮2年とされた=ヤンゴン(共同)

 ▽2種類のカテゴリー

 しかし現実を見ると、緊急避難措置は、もろ手を挙げて喜べるものではなかった。ミャンマー人の難民認定申請を多く扱う渡辺彰悟弁護士(全国難民弁護団連絡会議代表)は「入管庁から聞いたところでは、約6割に就労週28時間制限が付されている」と語る。

 どうしてこのようなことが起きたのか。

 緊急避難措置はまず、対象となる人を2種類のカテゴリーに分ける。

 一つは「在留資格の活動を満了し、在留を希望する者」と「自己の責めに帰すべき事情によらず、現在の在留資格の活動を満了せず、在留を希望する者」だ。

 技能実習や留学といった資格なら、前者は実習が修了したり学校を卒業したりした人だ。後者はまだ修了や卒業はしていないが、それが自分の責任とはいえないケース。これらの人たちには就労時間の制限はない。

 もう一つのカテゴリーは「自己の責めに帰すべき事情により」在留資格の活動を満了していない人たち。このグループは就労を週28時間以内に制限された。

 ▽父から「帰国してはいけない」

 「自己の責めに帰すべき事情」とはどういうことか。具体的に見た方が分かりやすいだろう。

 冒頭で紹介したセンさんは2010年、両親の援助で静岡市の日本語学校に留学した。ところが同年9月、父に電話すると、泣きながら「これからは面倒を見られないので、自立してほしい。ミャンマーに帰国してはいけない。こんな親でごめん」と言われた。以降、両親や弟とは連絡が取れなくなった。

 親類に事情を聴くと、父は国軍から少数民族カチンの武装組織との交渉仲介を依頼された。しかし断ったために虐待され、母や弟も軟禁状態に置かれたということが分かった。

 センさんは不安になり、カチンの人たちが集まる教会を頼って上京、そこで勧められて難民申請し、それによって留学の在留資格を失った。これが今回の緊急避難措置では「自己の責めに帰すべき事情」とされたのだ。

 難民申請後、センさんはどうなったのか。

 難民不認定の判断が2回出て、現在は不服を申し立てている。2回目の不認定以降、就労不許可となり「仕事ができなくなった時は、毎日泣いていた。どうしようって」。

 支えてくれたのは、友人や元々勤めていた飲食店の社長だった。「泣いてばかりいないで、日本で頑張る気持ちになった。仕事ができない間に日本語を勉強しよう」と気持ちを切り替えた。

 テレビニュースや「ちびまる子ちゃん」「ドラえもん」でも日本語を勉強し、上達した。アニメを選んだのは「ドラマはつらい場面が出てくるから」だった。

 ▽なぜ週28時間なのか

 42歳の女性、キンさん(仮名)にも話を聞いた。

 ジャーナリストの長井健司さんが殺害された07年当時、キンさんは現地で民主化運動を支援していた。だが、密告者から情報を得た軍側が自分を探しているという情報が入り、08年にビザを取得して来日した。

 12年に現地にいる父とおじが、中国企業によるミャンマーの銅山開発の中止を求める抗議行動に加わった。治安部隊に暴行を受け、おじが死亡、父も失明しかねないほどの重傷を負った。その後、家族とは連絡が取れなくなった。

 キンさんは難民認定を申請、これにより在留資格を失う。3回の申請が認められず、不服として審査請求をしている。

 いまセンさんは、以前働いていた飲食店に復帰し、キンさんも別の飲食店で働く。時給は東京都の最低賃金(1041円)に近い。1カ月働いて11万~12万円、そこから税金、健康保険料、住居費、携帯電話の通信費などを引いて生活費に充てる。蓄えは残らない。センさんは「病気になっても出すお金がない」と不安をもらした。

 そもそも、なぜ週28時間なのか。

 元入国審査官で入管行政の問題点を指摘している「未来入管フォーラム」代表の木下洋一さんによると、留学生やエンジニアの家族らに対して、資格外活動としてアルバイトを認める上限が一律、週28時間なのだという。

 木下さんは「本来、在留資格以外の活動はできないから、仕事をするためにはどこのコンビニで、どのぐらい働くかといった許可を取らないといけない。しかし、それでは大変なので、アルバイトの場合は週28時間は包括的に認めましょうということだ」と説明する。つまり、週28時間は本業(本来の活動)を阻害しないラインという考え方だ。

 「しかし、本国に帰れない人たちにとっては本業も何もないわけだから、同一視するのはどうなのか。難民の可能性があるならば、早急に認定して生活の安定に配慮すべきだ」と指摘する。

 ▽「人生が終わってしまう」

 もう一つ大きな疑問がある。「自己の責めに帰すべき事情」の判断だ。

 センさんとキンさんの代理人を務める渡辺弁護士はこう批判する。

 「入管は2人に『自己の責めに帰すべき事情』があったと判断した。センさんは11年前、キンさんも8年前に起きた事情で、それまでの在留資格を満了せずに難民申請したことが問題とされた。しかし、申請したのは本国の家族が軍から迫害を受けたから。それがどうして彼らの責任だとして非難されなければならないのか」

 緊急避難措置を巡っては、「迅速に審査する」(入管庁)とした難民認定の手続きも決して「適切に」進んでいるとは言えない。センさんにもキンさんにも、動きはない。

 さらに言えば、非正規の滞在者で難民申請をしている人については、入管庁が、制度上、その結果が出るまで在留資格に手を付けられないとしているため緊急避難措置は適用されていない。

 サッカーワールドカップの予選で来日し、試合前に国軍に抗議の意思を示して帰国を拒否した元ミャンマー代表選手は、申請から2カ月で難民として認められた。本来は、こうあるべきだと思う。

フットサルFリーグ、YS横浜の入団会見に臨んだピエリヤンアウン選手。ミャンマー代表として来日、難民認定を受けた=9月14日、横浜市

 渡辺弁護士は「いまの状況は、困難な立場にあるミャンマー人を保護する措置になっていない。打ち出したからには、緊急の名のとおり一刻も早く保護の手を差し伸べて、安心して日本で暮らせるようにするべきだ」と語る。

 入管庁は、緊急避難措置は「本国情勢が改善しない場合、更新可」としている。いま、日本に住むミャンマー人の元に、日々、SNSなどで届く情報では、現地の情勢に改善の兆しはない。

 日本に救いを求めて11年。センさんの静かな叫びが、耳から離れない。「難民と認めてほしい。このままでは学校にも行けない、会社にも勤められない。人生が終わってしまう」

ミャンマー・マンダレーでのデモでアウンサンスーチー氏の写真を掲げる人々=3月(AP=共同)

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