IGUSA LABO ~ い草を育てて染めてござを織る、倉敷のい草産業をつなぐ挑戦

岡山県南部は、かつて「い草(いぐさ)」の一大産地でした。
い草は、畳表(たたみおもて)・ござの原料となる植物です。

倉敷でい草を栽培して染めて織って、全国へ販売・出荷しているのが、今吉俊文(いまよし としふみ)さん。

従来は分業している仕事の垣根を飛び越え、倉敷のい草産業の継承のため奔走しています。

い草の刈り入れと染色、花ござを織る作業をたっぷり取材しました。

今吉さんの立ち上げたブランド「IGUSA LABO(イグサラボ)」と活動を紹介します。

IGUSA LABOとは?

IGUSA LABOは、「暮らしにい草」をテーマに掲げたブランドです。

今吉俊文さんが育てたい草で、最終的な商品まで本人が仕上げています。

今吉さんは、いぐさ製品を製造する「倉敷い草 今吉商店」の五代目であり、IGUSA LABOの代表。

い草にまつわる栽培技術や加工技術が、失われてはいけない
その思いで、こだわりの商品を作り上げています。

IGUSA LABOの寝ござ

写真提供:IGUSA LABO

IGUSA LABOのイチオシ商品が「寝ござ」
「寝ござ」は、敷布団の上に敷きその上に寝る、い草の織物です。

吸湿性が高いため汗をよく吸ってくれて、さわやかな肌触りが特徴。
い草の香りがリラックス効果を高めてくれる、といわれています。

写真提供:IGUSA LABO

IGUSA LABOの寝ござで使われているい草は、今吉さんが管理している田んぼで、食品規定もクリアできる肥料や農薬を使用して栽培したもの。

縞模様が見えるでしょうか。
この模様も、い草の根本と穂先の自然な色の違いを活用しているのです。

そして、通常のい草加工で施される工程「泥染(どろぞめ)」を行なっていません

泥染とは、発色を良くするため、い草を泥に浸す作業。
日焼けによる変色をやわらげ、い草の耐久性が増すのです。

しかし泥染をすると、加工の段階で細かな「染土(せんど)」という粘土の粉が舞い散ります。
染土が喉や肺にダメージを与えるため、い草生産者は肺の病気になるかたが多いそうです。

泥染をすると、商品にもわずかに染土が残ります。

今吉さんは「できるだけ身体にいいものを」と考え、IGUSA LABOでは無染土、つまり泥染をしていないい草だけを使用

「無染土」のい草で作られた寝ござは、い草本来の風合いがそのまま残っており、触ると心地よいんですよ。

また、専用の織機を使用して織りあげているため、優しく体に沿ってくれます。

暑い季節に直接肌に触れるから、安心して使え、い草の良さを最大限感じられるようこだわって作られた寝ござなのです。

IGUSA LABOの商品を買うには

倉敷美観地区にある「い草屋 花莚(かえん)」では、寝ござや花ござから、カフェマットやコースターまで、IGUSA LABOの商品を多数取り扱っています。

花莚を取材したときに、店長の楠戸(くすど)さんは、以下のように語っていました。

「今吉さんの作るい草はいいですねえ。中の海綿体がしっかりしていて。特に寝ござは一級品です。触れてみて初めてわかるんですよ」

一部商品は「IGUSA LABOオンラインショップ」でも取り扱いがありますが、ぜひ「い草屋 花莚」で実物を触ってみてください。

岡山・倉敷とい草・ござの歴史

倉敷のい草の歴史は、今から約1800年前、弥生時代末期にさかのぼります。

「神功(じんぐう)皇后が倉敷市の庄(しょう)地区にあった神社に立ち寄った際、近くに生えていた美しい草で莚(むしろ)を織らせたところ、とても気に入られた」と伝承があり、この草がい草だったといわれているのです。

岡山県や倉敷市とい草・ござの歴史を簡単に紹介しましょう。

「花ござ」とは、染めたい草で模様を織るござのこと。

倉敷で誕生した花ござは、明治時代には海外への重要輸出品目になるまで成長しました。

2021年現在、岡山県のい草生産量はわずかですが、高度な加工技術が今も倉敷の地に伝わっています

刈り取り・染色・織りの作業を見学

い草は、12月頃に植え付けを行ない、翌年7月に刈り取り、乾燥します。
その後、乾燥させたい草を、染色・加工していくのです。

7月の刈り取り・乾燥と、10月の染色・織りの作業を取材しました。

い草の刈り取り

作業が始まったのは、朝の4時30分。
朝日が顔を覗かせたばかりで、あたりは寝静まっています。

倉敷市の庄地区にある田んぼで、手伝いの人も含めて3人で刈り取りが進みました。

い草が倒れないようにかけていた網を外し、杭を抜きます。

土の状態をチェックし、手作業で刈り取るところと、機械で刈り取るところを見極め。

まずは手で刈り取りを開始しました。
ジャッジャッと小気味良い音を響かせ、手早く刈り取っていきます。

い草の先端が絡まないように刈るには、鎌の動かしかたにコツがいるそう。

刈った束から、一定の長さに満たないものや雑草をふるい落とします。

整えたい草の束を、紐で縛ります。

採れたてのい草は、鮮やかな緑色。
触ってみると、水分をたっぷり含んでいて、艶やかでしっとりしていました。

機械刈は、長さを選別しながら収穫し、束を巻くところまで自動でしてくれます。

束をトラックに積んで、乾燥機のある場所へ移動。

一般的には、乾燥の前に泥染工程が入ります。

IGUSA LABOでは泥染をしないので、収穫したそのままのい草を乾燥機へ。

風が通るよう束をしっかり立てて、敷き詰めました。
じっくり時間をかけて乾燥させます。

一部は天日干しに。

こうして乾燥させたい草は、下の写真のような緑味のベージュ色になり、パリッとします。

朝早くからはじまった、い草の刈り取りと乾燥。

真夏の田んぼで、腰をかがめたり、い草をかついで歩いたり。
今吉さんたちは、何度も汗を拭きながら真剣な表情でい草と向き合っていました。

い草の染色

10月下旬には、倉敷市西阿知(にしあち)町の一角にある工房にて、い草の染色と織りを見せてもらいました。

この日は、淡い青色に染色するとのこと。
染料そのものの色は、えんじと黄緑っぽく見えました。染料だけ見ると、できあがりの色が想像できません。

手元で染料を溶かしたのちに、窯に投入して混ぜます。

乾燥したい草の束を窯に入れ、均一に染まるようい草を動かします。

染色作業は、もくもくと立ち上げる湯気の中。
とても暑そうです。

い草が染まると、天日で乾燥させます。

一般的にい草を染めるときは根本のほうを縛るそうですが、IGUSA LABOでは先端のほうを縛っています。

理由は、縛ったところは何センチも切り落とすことになるので、丈夫な根本をできるだけ残して活用するため。

自分で育て自分で加工するい草だから、一般的なやりかたにとらわれず工夫できるのかもしれません。

染めたてのい草と乾燥したい草ではかなり色が変わるそうです。

下の写真の右側に写っている干したてのい草は、乾燥すると手で持っている花ござの青色になるのだとか。

花ござを織る

続いて、工房の中を見学しました。

工房には、いくつもの織機が並んでいます。

今吉さんが使っている織機は、柄を織るための構造として、木の駒を張り合わせた板を使うタイプと、穴の空いたカードを使うタイプの織機の2種類。

カードを使うタイプの織機で、花ござを織るところを見せてもらいました。

色別にい草の長さを切りそろえ、織機にセットします。

スイッチを入れると、カシャンカシャンとリズミカルな音が響き、少しずつござが織られていきました。

ひとりでい草の栽培から加工まで手掛けるのは、大変なはず。
どのような思いでい草に関わっているのでしょうか。

今吉さんに話を聞きました。

今吉さんにインタビュー

今吉さんとい草の関わり

──今吉商店は、いつからい草製品を作っていたのですか?

今吉──

1897年に創業した当初は、畳や花ござを扱う問屋でした。

祖父である三代目のときに、倉敷美観地区を観光地として盛り上げる動きが出て、持って帰れる「倉敷ならではのお土産」が必要になって。

依頼もあって、民藝品の製造にシフトしたんです。

平成に入り、四代目が「倉敷いぐさ 今吉商店」と名前を変えました。
倉敷で育てられたい草で、倉敷で作られた織機で、倉敷の職人が作ることをコンセプトにしています。

──五代目である今吉さんは、どうしてい草の仕事をするようになったのでしょう?

今吉──

僕は、はじめは農業機械の修理や営業の仕事をしていたんです。

倉敷に帰ろうかと考えていたタイミングで、今吉商店では人手が足りず困っていて。

それで実家に戻って、しばらくはコースターを縫ったりござを織ったりしていました。

い草に関わる人の高齢化は深刻で、このままでは倉敷からい草農家がいなくなる、という状況だったんですね。

倉敷産のい草がなくなったら困る。なんとか倉敷のい草を残したい」と考えて、い草栽培をスタートしたんです。

庄地区でい草を作っていた人に弟子入りして、作業を手伝う代わりに教えてもらい、自分でもい草を育てていました。

3年くらいは、畳表を作っていたんですよ。

畳表は、農産物です。
畳縁と床と合わせて畳になって、それが部屋に入って、ようやくお客さんが使う商品になるんですね。

しかし花ござなら、直接お客さんが使う商品が作れます。
倉敷は花ござの発祥の地で、祖父や父がやってきた産業でもあり、技術もあります。

そこで、い草を作り加工するところを含めたオンリーワンになろうと、花ござにシフトチェンジしました。

栽培量をぐっと減らし自分が加工して商品にできるだけの量にして、間違いない品質のものを作ろう。

そうして始めたのがIGUSA LABOです。

──ひとりで全部するのは大変だと思うのですが、なぜひとりで?

今吉──

自分で加工・販売するからこそ、どんない草が良い商品になるかが、わかります。
育てるだけ・加工するだけ・売るだけではわからないことがあるので。

また、完全にひとりで行なっているわけではありません。

もともとは全部の作業をひとりでしていました。

でも、「もうだめだ、続けられないな」と思っていたときに背中を押して手伝ってくれる人がいて、これからどうするべきか一緒に熱心に考えてくれる人がいて。

いろいろな人に助けてもらっています。

とはいえ、従来は何社もが関わって行なっていることを僕らだけでこなしているので、そんなに簡単じゃないですね。

作って織るのは僕だけだし、売りにも行くし、営業もしかけていかないといけないし。
自分が作れる量しか売れないので、全然儲かりません。

それでもだんだん認知されてきたので、来年は栽培量を増やそうと考えています。

地域が一丸となって作った織機

──織機は地元のものを使っているんですね。

今吉──

木の駒を貼ったタイプが、西阿知エリアで生まれた織機です。
昭和8年ぐらいに機械化が始まって、少しずつ進化した最高傑作がこの状態なんです。

当時は大勢がこの織機を使っていて、ござを織っている人が、自分で織機を改造するんですよ。
「ここをこうすれば、い草がもっと綺麗に揃うんじゃないか」とか。

そして良い改良を、織機屋さんが採用して、広がる。

地域が一丸となって、織機を作ったんです。

また、「あの家のおばあちゃんが糸を編める」といった情報が近隣で伝わって内職をお願いしたり、子供がお小遣いをもらって手伝ったりして、エリアの産業として多くの人が関わって進化しました。

地域の多くの人がい草に関わっていて、花ござ出荷用の駅として西阿知駅ができたくらいだったんです。

そんな地域でできた織機なので、こだわって使いたいと思っています。

「備中花莚」の花ござ

──「備中花莚(びっちゅうかえん)」として、銀座にあるデパートの民藝販売会にも出店していました。 「備中花莚」 はどのようなブランドなのですか?

今吉──

「備中花莚」では、僕が育てたい草にはこだわりません。

IGUSA LABOは100%僕が作ったい草。
IGUSA LABOとしてやりたいのは寝ござです。
誰が作っているとか、どういう気持ちで作っているとかを伝えたい。

備中花莚では、花ござの技術保存もコンセプトのひとつです。

い草を仕入れる人が減ると、い草を作っている人が大変じゃないですか。
い草産業をどうしても残していきたいので、仕入れることもやっていこう、と。

自分の草にこだわりすぎていても事業として回らないし、自分が収穫できる量のい草だけの収益では人を雇えませんから。

今吉商店の五代目、IGUSA LABO、備中花莚、それぞれとしての考えがあって、どうしていくか悩むところなんですけどね。
悩みながら、進んでいます。

──販売会の反応はどうでしたか?

国産の花ござは、わずかしか作られていません。
欲しい人はみなさん探していて、割と感触も良かったですね。

「間違ってない、大丈夫」と勇気をもらいました。

染めの技術

──IGUSA LABOでは、泥染をしていないんですよね?

今吉──

い草の泥染が加工者の体に悪いことはわかっているので、それを商品にするのは僕も嫌でした。

昔は、「無染土のい草は染まらない」といわれていたんですよ。

でも試しに染めてみたら、普通に染まったんです。
「なんじゃそりゃあ」と思いました。

きっと昔、泥染したい草と同じ配合では同じように染まらなかったことで、「染まらない」と伝えられてきたのだろうと思うんですけど。
自分でやってみるもんですね、なんでも。

──今吉さんが染めている方法は、一般的なものですか?

今吉──

いいえ、今はけっこう機械化されています。

もっと多くの量を一気に染める方法があるんですけど、その方法では、どうしても最初に釜に入れて染めた色と2回目以降の色がずれるんです。

僕が作っているい草の量は知れているので、ロスが大きいのはもったいないじゃないですか。

なので、倉敷発祥の「塩基性染料による煮沸染色法」という方法で、手作りの平釜を使って染めています。

岡山県ではいろいろな染色方法を試したんですけど、この染色方法に代わる画期的な染めかたが生まれてこなかったんですよ。

他の染色方法はどうしても制約があって、たとえば薄い色は出せるけど濃い紺色が出せないとか。
塩基性染料による煮沸染色法だったら、濃い色も薄い色も出せます。

昭和の30~40年代と作業はほとんど同じなので、染色中の写真を白黒にしちゃうと、時代がわからないくらいです。

でも染まり具合を見ながら調整できるのは、手染めのいいところですね。

染色も、僕のい草の大事なキーワードなんです。

今ではもう、い草を染める人がいなくなっちゃったんです。
なので、自分で染めないとござも織れない状態です。

──いつごろまでは染めるかたがいらっしゃったんですか?

今吉──

つい最近までですよ。

ふつうは分業しているので、染める人は染めるだけが仕事です。

織る人が仕事を出さなかったら染める人は仕事になりません。

産業自体が衰退していくと、分業の真ん中にいる人、染色する人とか縦糸を巻く人とかの仕事がなくなっちゃうじゃないですか、食べていけないから。

仕方ないんでしょうけど、これからは今までどおりの分業ではうまくいかないんだろうなと。

──染めの技術は、教えてくれる人がいたのですか?

今吉──

はい。教えてもらったり、資料になる写真を見て学んだりしました。

加工するには、カバーする技術も重要です。

思った色にならなかったときには、染め直すこともできます。
でも、たとえば薄い水色の次に茶色になる染料で染めてみたら、茶色にならずに紫になるんですね。

何色なら綺麗に染まるのか、経験豊富な職人さんに教えてもらえばすぐわかりますが、自分で試しながらやると大変です。

ちょっとしたことでも、今は70~80歳代の人が教えてくれます。

でも10年後には、お金を払っても教えてくれる人がいないかもしれない
そこまで切羽詰まっているんです。

い草づくりを残していく

──倉敷のい草を残していくには、とても厳しい状況ですね。

今吉──

「とにかくなんとかしなきゃ」みたいな気持ちでスタートしています。
10年後には僕ひとりになっちゃうんじゃないかな、と。

今吉商店では、畳表や花ござに届かない短いい草で商品を作っていたんですよ。
熊本や福岡ではそういった産業がないため、敷き藁にしたり燃やしたりするしかありません。

農家さんが捨ててしまうしかなかったものをお金に変えられる。
栽培している人からすると、ありがたい産業ではあります。

短いい草の活用がしやすい倉敷に僕がいたというのはどういうことだろう、と考えますね。

僕の事業は従来どおりのやりかたではないので、異端ですよ。

電卓弾いたら誰もしないですから、こんな仕事。
だから、そのなかでも必要としてくれる人に向けて、作っていこうかなと。

──今後チャレンジしたいことはありますか?

今は1から10までやっていますが、何人かのチームで、「分業の立て直し」ができたらいいなと考えています。

前の工程や次の工程をちゃんと理解して、他工程の人を考えてより良く工夫できるような。
それには、関わる人がしっかり食べられなくてはいけません。

高校生を対象にワークショップもしたことがあります。
僕が楽しくやっていれば、い草をやりたい人が出てくるかもしれないじゃないですか。

畳も日本家屋も減っていますけど、もし良さが見直されて需要が増えてきたときに、「国内では畳やござが作れない」ではいけない。
そのときに技術が残っている状況にするために、全力を尽くしています。

倉敷が産地として復活するのが夢ですね。

技術や知識を教えてくれた人がいるので、つなげていきたいです。

い草に触れよう

以前「い草屋 花莚」を取材したとき、倉敷でい草産業が衰退していった理由のひとつが「重労働だから子供には継がせられないという親がたくさん出てきて、廃業するところが増えた」ことだと聞きました。

機械化が進んだ今でも、い草栽培は過酷だといわれます。

それでも「なんとかしなければ」という熱い思いで、い草を作って染めて、ござを織って販売している今吉さん。

彼の思いに共感する人、行動力に心を打たれ応援する人、商品を気に入る人。少しずつ輪が広がっているのを感じます。

技術や文化の継承は、一度途切れてしまうと、復活させるのはとても大変です。

い草の香りに癒やされたり、畳やござに寝転んで気持ちいいなと感じたり。
「そんな体験を次世代にも感じてほしいな」と筆者は思います。

倉敷美観地区を訪れた際には、「い草屋 花莚」でIGUSA LABOの商品を手にとって見てください。

© 一般社団法人はれとこ