「なぜ戦争なんかした」 ソロモン諸島で戦死 父の足跡に触れ、悔しさ込み上げ 佐世保の椎葉さん

ソロモン諸島で戦死した珍勇さん(椎葉道興さん提供)

 太平洋戦争開戦から80年。長崎県佐世保市桑木場町の椎葉道興さん(79)は、海軍の軍人だった父、珍勇さん(享年37)を南太平洋ソロモン諸島の戦いで亡くした。父の経歴や戦死したときの状況を知らず生きてきたが今夏、初めてその足跡に触れた。「父が最期を遂げた地をこの目で見ておきたい」。その思いを強くしている。
 道興さんは5人きょうだいの四男。珍勇さんが戦死したとき、まだ1歳半だった。3歳のころ、佐世保から対馬の祖父母のところに預けられ、中学を出るまで育てられた。父の戦死は高校へ入学する際に兄から知らされた。しかし、生前の父の記憶はなく、「実感は湧かなかった」。
 20年ほど前、亡くなった母の家を整理しているときだった。「海軍水雷学校」や「海軍算術教科書」と書かれた古い書籍や手紙、鞄などが出てきた。父のものだと分かったが、それらの遺品にしっかりと目を通すことはなかった。しかし自身が80歳を間近に控え、遺品をどうするか考えているうちに、父のことをきちんと知っておきたいと思うようになった。そして、2年ほど前、厚生労働省へ珍勇さんの経歴を照会した。
 同省から回答や資料が寄せられたのは今年の夏。「第1根拠地隊司令部附(第5号駆潜特務艇乗組)として勤務、昭和18年8月18日、前線作戦輸送に従事中、ソロモン群島方面(ソロモン諸島、ベララベラ島沖)において敵駆逐艦と交戦。同日、同艇沈没の際に戦死したものと認定されている」と記されていた。履歴書の写しには、旧海軍佐世保海兵団に入ったことや「海軍水雷学校」などの表記もあった。

珍勇さんが使っていたであろう教科書などが今も道興さんの手元に残っている

 珍勇さんが最期を遂げた戦いはどういうものだったのか。防衛省防衛研究所(東京)によると、米軍がソロモン諸島のベララベラ島南部に上陸したことを受け、旧日本軍は増援部隊を輸送。第5号駆潜特務艇も護衛として参加、交戦の末に沈没した。潜水艦の駆逐を主任務とする駆潜特務艇は木造で全長26メートル、基準排水量130トン、乗組員約30人の小さな船だった。
 研究所から聞いた内容を道興さんに伝えた。「大きくはない艦船で(戦地へ)行っていたんですね」。道興さんはかみしめるようにポツリと漏らした。
 写真でしか顔を知らない父。履歴書の内容もすべてを解読できている訳ではないが父を「感じる」ことができた。それと同時に抑えきれない悔しさが込み上げてきた。「なぜ日本は領土をめぐって戦争なんかしたのか。そんなことがなければ父も死なずに済んだのに」
 家族、国のために戦いそして亡くなった父。その最期の地を体が元気なうちに見ておきたい-。新型コロナウイルスが収束した暁にはソロモン諸島へ足を運びたいと思っている。


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