平成の大合併は何をもたらしたか? 地域をひたすら本当に歩いて記した「合併後」の真実 愛媛新聞(2010年〜) [ 調査報道アーカイブス No.61 ]

◆1人てくてく、記者は本当に「歩いた」

「平成の大合併」とは、政府主導による自治体の合併を指す。行財政基盤の弱い市町村を合併させて行政の効率化を目指すとして、平成11年(1999年)〜同22年(2010年)にかけて集中的に行われた。それにより、自治体の総数は3232から1727へとほぼ半減した。その結果、合併で消えた町や村では何が起きたのか。市町村合併の大波の後、地域で何が起きているのか。それらを示す貴重なルポ群が、地域を歩いて丹念に実情を追った愛媛新聞の『記者が歩く・見る聞く愛媛』である。

平成の大合併が一段落した2010年8月に連載は始まり、翌年12月まで1年4カ月ほど続いた。人々の言葉が方言のまま記載されているのも良い。第1部の「バスが消えた」を皮切りに、各シリーズは「合併の周辺で」「県境って何?」「戸惑う海辺」「負けるもんか」と続く。この種の企画記事でタイトルに「歩く」とあると、たいていは比喩的な意味で用いられる。この連載は違った。記者が1人、てくてくと文字通り歩いたのだ。担当した山本良記者の目には、合併後のどんな姿が見えたのだろうか。

例えば、2010年12月の紙面では、瀬戸内海に面する今治市周辺の様子が描かれた。

海沿いの旧菊間町は今治市と合併。自治体としての「町」が消え、JR予讃線の菊間駅は無人化された。商店街の時計・眼鏡店主は「おらんよー、静かなよー。人が少のうなって、商売にならん」と言う。売り上げは合併前の3〜4割減。商店街そのものに空き店舗が目立ち、八百屋は全部消えた。写真館の店主は「ここまでカターンと落ちてしまうとは思わなんだ。合併前は役場があって、(商店への注文などで)地元の人を引き上げてくれよったもんな」と言った。

夜も早くから真っ暗になる。クリーニング店主は「合併して町がお金を持たんなったら、こんなに寂れるんかと思ったね」。商店街を通りかかった観光客に「商店街はどこですか」と聞かれたという笑えない話もある。衣料品店を経営する女性(76)は「菊間だけやないみたいやけど、合併でどこも過疎地になってしもたんやない?」と記者に語った。

菊間町を含む1市9町2村が合併し、新今治市が誕生したのは2005年1月のことだ。もともと衰退を始めていた菊間町はその合併以降、一気に活気を失ったと多くの住民が訴えたのである。

◆役場支所の職員は見知らぬ顔に 住民の足、遠のく

内陸部の玉川町も今治市に合併してから、大きく変わった。経済的な側面や行政サービスの低下だけでなく、行政の細やかさが消えた。2010年12月11日の「支所職員は知らん人」では、こんなエピソードが紹介されている。

……西元さんは憤る。
「合併して行政が変わってしもたわいね。玉川町時代は職員の顔が見えて、職員も地域につながりがあるけん、誠意を持っていろんな要望を聞いてくれた。それが合併して大きな役所の縦割りの考え方になってしもた」

今治市に限らないが、市町村合併前、自治体職員は地元出身者が大半だった。住民は気軽に役所へ足を運び、顔見知りの職員と雑談したり、相談を持ちかけたりしていた。それが合併後、役場が支所になり、窓口の職員が減少。さらに人事異動で他地域の出身者が支所にやってきた。住民との間に、少しずつ距離が生じていく。

前日、同市菊間町でも市への批判を耳にした。「知らん人が役場に来とって親近感ないわいね」「支所で『どちらさんですか』と言われ、怒って帰った人もおる」。合併前は住民と職員が「なあなあの関係」で、住民が言いたいことを遠慮することもあったが、合併でしがらみがなくなり、遠慮のない物言いが増えてきたと分析する向きもあった。

シリーズ第1部の「バスが消えた」でも厳しい状況が綴られる。愛媛県内では、路線バスの廃止が進み、公共交通の空白区が一気に増えた。過疎化の進行だけでなく、法改正で不採算路線からの撤退が容易になったこと、合併で役場機能を失うエリアが拡大して移動人口が減ったことなどが理由だ。生活バス路線を失った住民たちは「病院に行けない」「地域のつながりが薄れた」「バスがなくなって落ちぶれた感じがする」といった言葉を次々と発する。

連載を掲載した愛媛新聞の紙面

◆静かに語られている“地域崩壊”の兆し

こうした住民の声は「地域」「過疎」には付きものと思われているかもしれない。「付きもの」だからある意味、当たり前のことであり、取り立ててニュースになるようなものではない。しかし、声を拾い、つなぎ合わせ、重ね合わせていくと、地域に襲いかかっている途方もない“崩壊の兆し”が浮き彫りになってくる。

山本記者はこの間、着替えや寝袋、パソコンなどをぱんぱんに詰め込んだバックパックを担ぎ、県内を歩き回った。締めくくりとなる2012年1月1日の「取材後記」には、こんな文を綴っている。

振り返れば、いろいろあった。「本当に新聞記者?」。独り暮らしの高齢女性に不審の目で見られ、慌てて名刺を差し出した。「君、どこへ行くの」―さりげなく職務質問する警察官。炎天下に山道をさまよい、何リットルもの飲料水が汗で流れ出た。閉め切ったテントの中で半裸になり、火照った太ももにスプレー式鎮痛消炎剤を噴射すると、霧状の薬剤が目と呼吸器に染み、独りもん絶した。

過疎地の集落で、ただ一軒の食料品店が廃業しており、腹をすかせて途方に暮れた冬の日。誰もいない山中で野犬の群れに遭遇した時には、息を殺して忍び足で逃げた。牙をむいて威嚇する野生のニホンザルやマムシにも肝を冷やした。

生活バス路線廃止の影響、市町村合併後の周縁部の今―毎回テーマを決めて現地に赴くのだが、そもそも右も左も分からず、知り合いもいない土地。片っ端から住民をつかまえ、話を聞いては次、という行き当たりばったりの作業を繰り返した。

愛媛県の棚田。美しい風景が広がるが…(愛媛県のHPから)

◆労せず取材できる「記者クラブ」に慣れきっていた

山本記者はこの取材に出るまでの7年間、愛媛県庁の記者クラブに所属し、主に県政絡みの話題を取材してきた。その反省も踏まえつつ、こうも書いている。こちらは、連載スタート時の紙面だ。

そこ(記者クラブ)には報道資料や記者発表という形で、整理された情報が次々舞い込んでくる。13年間の記者生活を振り返れば、ずっと県庁所在地の記者クラブ詰め。いつしか、労せず効率的に情報を入手できる環境に慣れきっていた。

取材相手の県庁職員や政治家から聞く地域の話も、基本的には間接情報。「住民の生の声」に接する機会は、必ずしも多くなかった。ニュースを「処理」する忙しさにかまけ、地域の実情を自ら深く掘り下げないまま、分かったような顔をして、表層的な記事を大量に書いてきた。そんな反省もあり、歩いてみることにした。

「車で行けばいいのに」。同僚があきれた声を上げた。1時間歩いても移動できる距離は4キロほど。確かに非効率な取材手法かもしれないが、車だと見過ごしてしまうようなささいな出来事でも、時速4キロなら目にとまることがあるだろう。

比喩的な意味ではなく、文字通りの意味で「歩く」。それを貫き通した結果は、平成の大合併で押し潰されそうになった人々の声であふれている。自治体合併に限らず、永田町・霞が関で決められた政策の結果は、こうした周縁部でこそよく見える。「牙をむいて威嚇する野生のニホンザルやマムシにも肝を冷やした」と取材後記に書いた山本記者は、東京で政治や中央省庁を担当している記者たちに、「あなたちも歩きませんか?」と呼び掛けているのかもしれない。

(フロントラインプレス・高田昌幸)

■参考URL
単行本『地方紙で読む 日本の現場 2012』(花田達朗・高田昌幸・清水真編著)

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