創部94年の「古豪」が初優勝できた理由とは? 東京ガス、最後の魔法は“胸のマーク”

ソロ本塁打を放ち胸を突き出す東京ガス・笹川晃平【写真:中戸川知世】

9回2死から1点差に迫られ…一打同点の場面もしのいでの歓喜

第92回都市対抗野球の決勝戦が9日、東京ドームで行われた。3年ぶり出場の東京ガスが6-5でHonda熊本を下し、1927年の創部から94年目での初優勝を果たした。プロ野球にもOBの石川歩投手(ロッテ)や内海哲也投手(西武)らを輩出してきた古豪がようやく掴んだ頂点。夏の日本選手権出場を逃したチームがわずか数か月で劇的変化を果たせた要因が「チームのために」という意識改革だった。

試合は終盤に激しく動く激戦となった。東京ガスは初回1死満塁から「6番・左翼」で先発した笹川晃平外野手の押し出し死球で先制、「7番・二塁」の相馬優人内野手が右前に2点適時打し3点を先制した。4回には「1番・三塁」の石川裕也内野手が右前に2点適時打。6回には先頭の笹川が中越えソロ本塁打し、6-1と5点のリードを奪った。

先発した臼井浩投手は7回1失点の好投。ただ臼井が降板すると同時に試合が動き出す。8回、Honda熊本の「9番・DH」の和田裕生内野手にソロ本塁打を許し、9回は2死から丸山竜治捕手の3ランで1点差まで迫られた。さらに2死一、二塁の大ピンチ、東京ガスの山口太輔監督が「同点までは覚悟した」という場面で、3番手の宮谷陽介投手が三振を奪い試合終了。ナインはマウンドに殺到し、指を1本立てて日本一の喜びを表した。

山口監督は「試合前から、今日は一番厳しい展開になる。覚悟して臨もうと言っていたんですが、まさにそういう展開になりました」と試合を振り返った。過去2年間、都市対抗本戦への出場を果たせなかったチームはこの秋、生まれ変わった。東京都予選を第1代表で突破、本戦でも試合を経るごとに力をつけた。

その、出発点となった日がある。山口監督は「6月1日、日本選手権の予選で日立製作所さんに大敗しました(1-7)。そこからです。自分自身に向き合って、心技体を変革しようと呼びかけた。それがこの成果に繋がりました」。異例の“秋の都市対抗”だったからこそ成し得た快挙だった。

予選を突破できないチームを、わずか数か月で生まれ変わらせる方法

実際には、もっと強い言葉を選手にかけていた。「日本一になりたいと思っていない奴は言いに来い。会社に戻してやるから」。幸い、辞めたいという選手はおらず、より自身の弱点に向き合った練習が始まった。指揮官自身も変革を迫られた。「情の采配が多かったと思うんです。『頑張っているから使ってやりたい』とか。日本一になるには非情な部分も必要だと思ったんです」。

山口監督は慶大出。2学年上には高橋由伸氏(元巨人)がいた。監督就任4年目、都市対抗に出られなかった過去2年は、大学の先輩たちから学びを求めた。大久保秀昭氏(ENEOS監督)、堀井哲也氏(元JR東日本、現慶大監督)、印出順彦氏(元東芝監督)と、都市対抗の優勝経験がある監督の元を回った。

今大会の抽選結果を見た時、大久保監督率いるENEOS戦が大きな壁だと思っていた。「(相手は)優勝回数11回ですよ。勝てば駆け上がれると思っていた」。試合前に、選手に“魔法”をかけた。「背中の名前のためにやるんじゃなく、胸のマーク、社名のためにプレーしろ」と。

東京ガスは学生の就職先として高い人気を誇る。クリーンアップに並ぶ3番・小野田俊介外野手、4番・地引雄貴内野手、5番・加藤雅樹捕手は皆、早大で中心選手として活躍した。6番に入り、大会打率.417で首位打者に輝いた笹川は東洋大時代、ドラフト候補として名前が上がっていた。スター軍団は得点すると、ガッツポーズではなく胸を突き出し、ユニホームの「TOKYO GAS」を誇示するようになった。

山口監督は「急にやり始めたから、何やっているんだろうと思ったんです。でも打席で苦しければ繋ぐとか、自然とやれるようになったんですよ」とその“効果”に驚く。ENEOSを4-3で下すと、準決勝では同地区のライバル・NTT東日本を9-3という大差で破った。決勝でも早々に6点を奪い、試合の主導権を握った。意識をひとつにするには、目に見える行動が必要だった。

笹川は、自身が4番に座りながらも、チームがドームから遠ざかった2年間を「自分が引っ張ってやろうという2年でした」と振り返る。そして今大会は「僕が6番にいるチームは強い。自分の役割を全うしようと思ったのがいい結果に繋がった」とも。優勝チームに与えられる黒獅子旗を掴み、今度は追われる立場になる。ただ日本一への道で生まれた強固なつながりは、簡単には崩れない。(羽鳥慶太 / Keita Hatori)

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