ダンジョデニム 〜 誰も見たことのないジージャンを創るアパレルブランド

人生のなかで夢中になれることに、どれだけ出会えるでしょうか?

進学や就職するだけで天職に出会うことは難しく、目の前の仕事に迷いを感じながら取り組んでいる人もいるでしょう。

アパレルブランド ダンジョデニムが手がける独創的なデニム製ジャケットには、好きなことに出会うためのヒントがあるかもしれません。

既製品にはないデザインのデニム製ジャケット、通称ジージャンを専門に扱うダンジョデニムの誕生には、代表 福川 太郎(ふくかわ たろう)さんのさまざまな人生経験が活かされています。

どのような経験を経て、独創的なジージャンを製作するに至ったのかを福川さんへのインタビューを通じて迫ります。

ダンジョデニムとは?

ダンジョデニムの概要

ダンジョデニムは、デニム製ジャケット、通称ジージャンを専門に扱うアパレルブランド。

代表 福川太郎(ふくかわ たろう)さんが、既製品にはないデザインのジージャンを世の中に届けようと立ち上げたアパレルブランドです。

江戸時代に北前船の寄港地として栄えた町並みが残る倉敷市児島下津井に、2021年10月26日に店舗をオープンしました。

個性豊かなジージャンは、既製品では満足できなかったユーザーを楽しませてくれることでしょう。

ダンジョデニム代表 福川太郎さんの経歴

福川さんは、大学卒業後に大手電機メーカーに就職。

その後、30歳までに結果が出せなかったら諦めようと、会社をやめて地元の友人らとともに音楽活動を始めました。

オーディションに参加するために楽曲「男女」のデモテープを大手レコード会社に送ったところ、斬新な曲調と歌詞から話題となりメジャーデビューを果たします。

福川さんは高校時代からジージャンを愛用していたことから、ミュージックビデオの企画として、「東京から児島まで歩いたらジージャンが、どれくらい色落ちするか」を検証しました。

旅の途中で、倉敷市で行なわれている「ジーンズ縫製実践講座」を知り、徒歩での旅を終えたのちに受講。

デニム製品の縫製に関する知識を得たことで、福川さんは個人でもジージャンを製作できると感じました。

既製品のジージャンのデザインに満足していなかったことから、新たなジージャンを世の中に届けようとアパレルブランドを立ち上げるに至ったのです。

ダンジョデニムのジージャン

商品紹介

ダンジョデニムが手がける商品を少しだけ紹介します。

▼ダンジョデニムの看板商品「ダンジョデニムジャケット」。

丸くなっている襟が印象的です。

細部にもこだわっており、カフスの作りも既製品とは異なっています。

▼「ダンジョデニムジャケット」のカフス。

腕が長く見えるように、カフスの幅が広くなっています

また、既製品はカフス部と腕部では生地の筋模様が不揃いになることが多いそうです。

ダンジョデニムジャケットは、スリムな印象を与えるために筋模様を同一の方向にしています。

さらに詳しい商品の紹介については、ダンジョデニムのウェブサイトを確認してみましょう。

縫製作業

縫製作業の一部を特別に教えてもらいました。

ジージャンの縫製作業には、複数のミシンが使われています。

一般の家庭にあるような形のミシンでは縫えない部分もあり、数十万円する特殊なミシンを複数台、買いそろえたと教えてくれました。

たとえば、巻き縫いミシンは、布端を2つ折りにして包み込むように縫うことで、裁ち目を隠せます。

▼巻き縫いミシン。

福川さんは、ミシンを含め縫製の基本的な知識や技術を、「ジーンズ縫製実践講座」で得たそうです。

ジージャンの色落ちを調査する旅では、図書館で本を借りて独学で縫製の勉強をしたそうですが、当時は福川さん自身に縫製の知識や技術はなく、製作するのにかなり苦労したと話していました。

ダンジョデニムで販売しているすべての商品の企画、デザイン、縫製は福川さんが行なっています。

さまざまな経験を持つ福川さんがオリジナルデザインのジージャンを製作するに至るまでの経緯について、インタビューを通じて教えてもらいました。

人生のなかで起こる出来事に対して、一つひとつていねいに向き合ってきた福川さんの感性が垣間見られるインタビューです。

ダンジョデニム代表 福川 太郎さんへインタビュー

福川 太郎さんの経歴

──大学時代は、どのような勉強をしていました?

福川(敬称略)──

農業が盛んな茨城県出身ということもあり、中学生のころから農夫になりたいとの想いがありました。

そのため、北海道にある大学の農学部へ進学。

しかし、農学部というところは想像していたような農夫養成所ではなく、大学1年生のときに受けた授業がきっかけで、農学部の勉強がおもしろくないと感じてしまいました。

当時は、個人にパソコンが普及し始めた時期。

インターネットに気軽に接続できるようになったこともあり、農業の勉強よりもパソコンの利便性に魅了されていました。

農学部の勉強は淡々と行ないつつ、パソコンに熱中する日々を過ごしていたのです。

──企業に勤めていたときのようすを教えてください。

福川──

大学を卒業して、東京に本社のある大手電機メーカーに就職しました。

パソコンに興味があったこともあり就職した会社でしたが、仕事を始めてみると工学系の大学院修了生や高等専門学校の卒業生など、私よりも圧倒的に仕事のできる人たちに出会います。

さらに後輩社員も優秀で、自分はここでは活躍できないと思いました。

そして仕事を続けることの先行きが見えなくなったことと、地元の友達と趣味で始めた音楽活動に本格的に取り組むため2年で退職しました。

──音楽を始めたきっかけは?

福川──

電機メーカーへの就職のため、北海道から関東に戻ったのちに、地元 茨城にいる幼いころからの友人に「音楽をやらないか」と声をかけられました。

思い浮かんだラップのメロディを友人に聞かせたところ、みんなが揃って称賛。

仕事に行き詰まりを感じていたこともあり、会社を辞め、音楽に集中しようと決断しました。

あるとき、オーディションに参加するために、大手レコード会社に自ら手がけた楽曲「男女」を録音したテープを送ります。

当時は、BUMP OF CHICKENなどのロックバンドや倖田來未をはじめとする女性ボーカリストが流行していましたが、意外性が審査員に受けたこともあり、入選を果たしました。

その後、見ず知らずの大学生が「男女」をアニメーションにしてニコニコ動画へ投稿したことをきっかけに、大きな話題となりました。

東京から児島までの徒歩の旅

──なぜ、ジージャンを着て児島まで歩いたのでしょうか?

福川──

おもしろいミュージックビデオを撮りたいと思い、東京から国産ジーンズの発祥地 児島まで歩く企画を思いつきました。

昔からジージャンが好きだったので、長距離を歩きながらジージャンが色落ちしていく過程をタイムラプス機能で流せばおもしろいと考えたのです。

そのときのジージャンは、図書館で縫製に関する本を借りて独学で勉強して製作しました。

知識も技能もゼロから始めたので苦労したことを記憶しています。

誰にでもわかる場所である東京タワーがスタート地点。

およそ2か月間ゲストハウスなどに宿泊しながら、全身デニムの格好で毎日20キロメートルから30キロメートルを歩きました。

──歩きながら何を感じた?

福川──

歩いていると、鉄道や自動車で移動するよりも生活の目線で街を見られます。

都市部に近いエリアでも市街地を離れると、廃れている風景を見かけることがありました。

日常では人が多くいる場所のみで生活をするので気がついていませんでしたが、普段は足を踏み入れない場所に行くと、日本の街が消滅するというのが本当なのだと実感します。

また、長い距離を歩きながら、生活圏ではどこもかしこも似たような建物が並んでいて、風景は均質化していると感じました。

便利で効率化な生活を優先すると、特徴が減っていくのでしょう。

街の個性を積極的に保存していかなくてはならないと感じました。

──児島はどのように見えましたか?

福川──

児島は、スーパーマーケットなどの生活していくための施設はあり、さらに魅力的な海や山の景色、昔からの街並みもあります。

都会に住んでいる人が憧れるのは、児島で見られるような瀬戸内の景色

さらに、デニムもあるということで、ジージャンを作りながら暮らしていけそうだと感じました。

ジージャンへの想い

──いつからジージャンが好きだったのでしょうか?

福川──

中学生のときに、憧れていた先輩がいました。

所属していたフェンシング部の先輩で、軽音部と兼部してドラムを担当していた人です。

その先輩がジージャンを着ていたのに憧れて、ジージャンを着るようにしたのです。

私服で通う学校だったため、学生たちは服装で個性を表現していました。

「俺はジージャンでいこう」と、毎日ジージャンを着ることを決めたのです。

また、身体つきが細身なので、がっしりと見えるジージャンを選んだという理由もあります。

ジージャンは、RPG(ロールプレイングゲーム)の装備のように、自分をパワーアップさせてくれる存在でした。

──なぜジージャンを作ろうと思ったのか?

福川──

既製品のジージャンは同じようなデザインで、シルエットもダボっとしたものが多いと感じました。

そのため、私のような細身の人に似合うデザインのジージャンが欲しかったのです。

「ジーンズ縫製実践講座」では、4日間でジーンズを製作します。

受講後、デニムの縫製についての知識や技能を身につけたあとに、個人でもジージャンの製作をやれそうだと手応えを感じました。

そこで、倉敷市内でアパレルに関わるデザイナーなどの起業支援を目的に、縫製作業場やミシンなどの設備を貸し出してくれる施設「デザイナーズインキュベーション」で、オリジナルデザインのジージャンの製作を始めたのです。

──さまざまなことに挑戦をしてきて伝えたいことは?

福川──

個人事業主として活躍するには、本業だけでなく、体調管理などにも気を付ける必要があるでしょう。

誰かに管理されずに自分で目標を決めて進んでいける人には向いています。

夢中になれるものに出会えた人生が幸せな人生なのかもしれません。

個人の力で生きていくことはハードルが高そうに感じる人もいますが、うまく行かなくてもサラリーマンに戻ればいいだけ。

自らの力でお金を稼ぐ感覚は、仕事を自分ごととして捉えることにつながるので、企業側からも魅力的に映ります。

もし今20代でやりたいことがあって挑戦しようか迷っているかたがいたら、30代になってもいくらでもやり直しはできるので、いろいろなことにチャレンジをして、天職を見つけてほしいと思います。

ダンジョデニム代表 福川太郎さんの話を聞いて

独創的なデザインのジージャンが生まれた背景には、福川さんが経験してきたさまざまな出来事がありました。

福川さんは、人生のそれぞれの場面で起きる出来事の意味を深く考えている印象があります。

そして、好きなもの、魅力を感じることも大切にしながら、進む方向を決めて行動に移していました。

積み重ねてきた経験は、福川さんの個性として育まれ、独創的なジージャンが誕生するに至ったのだと感じます。

福川さんの話を聞きながら、好きなことにたどり着く方法を教えてもらった気がしました。

今後、福川さんがどのようなデザインのジージャンを作るのか、そして次にどんなことをするのかが楽しみです。

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