国分太一が親友・井ノ原快彦と久々の対面。そこで明かした本音とは――

フジテレビ系で本日12月10日放送の「連続ドキュメンタリー RIDE ON TIME」(深夜0:55、関東ローカル)は、今年4月に始動した「株式会社TOKIO」の特集・第3話。会社のモットーである、自ら汗をかいて手を動かすものづくりへの3人の思い、そして、その原点に迫る。

6月下旬、城島茂、国分太一、松岡昌宏は福島県にいた。レギュラー番組での企画をきっかけに、20年以上通い続けたつながりの深い場所。この日は、県産品の魅力を発信するキャンペーン「ふくしまプライド。」のCM撮影が行われていた。さらに、福島県庁内にある「TOKIO課」に、木製の看板が設置された。この看板は、3人が自ら木を伐採、彫刻刀で掘り上げ、ニスを塗って完成させたもの。国分は「本当に何でも作ってるね」とうれしそうに笑顔を見せる。

松岡は、主演舞台「東京ゴッドファーザーズ」に挑戦していた。13歳の時に自ら履歴書を送り、事務所に入所した松岡は、17歳でTOKIOとしてデビューを果たした。当時について「TOKIOの松岡っていうのを覚えてもらうために、いろいろしましたね。何をしたかっていうと、ジャニーズ事務所なのにサングラスをして髪ぶっ立ててっていう。なんだあいつは、っていうふうに思われる。でも、なんだあいつは、ってなれば覚えられますよね。覚えられたら僕の勝ちなんですよ」と振り返る。そして、「舞台は、有名になるまではやらないって(決めていた)。僕だって分からないのに見に来ていただいても嫌なんです」と、自らルールを課していたことを告白する。

そんななか、タレント活動と並行して、株式会社としての仕事も日に日に増加。ある日、国分が訪れたのは、IT企業が主催するイベントだ。国分には株式会社を始動させた時から、常に持ち歩いているものがあった。それは自らデザインした、会社のステッカー。ベース型の真ん中に大きくTOKIO、その上には会社のモットーである「Do it ourselves(みんなでつくろう)」の文字が書かれている。仕事相手に「株式会社TOKIO」の名を覚えてもらうためにと、この日もスタッフ一人一人にステッカーを手渡していた。

会社始動から7カ月。国分が久しぶりに会いたい人…それはデビュー前から30年来の親友・井ノ原快彦だった。国分が会社を作るというアイデアを最初に相談した1人だという。まさにその場所で、2人は懐かしい下積み時代の話に花を咲かせる。

井ノ原の「(会社の設立に)メンバーはなんて言っていたの?」という問いに、国分は「こんなタイミング、チャンスはないということで、あらためてもう1回スタートラインに立って、この年齢でも必死に汗かいている姿を見せることで、何か僕らにもプラスになるものがあるんじゃないのかな、って言ったら、“面白いかもね”みたいな感じで、すぐ理解してもらえた」と明かした。加えて、TOKIO3人で話し合う中で「すごく反省した部分もある」と、井ノ原を前にしたからこその本音が語られる。

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