大量の軽石生んだ海底火山の噴火、できた島が近く沈む? 硫黄島近くの「福徳岡ノ場」、空から見てみた

波で削られる福徳岡ノ場の新島(左)と南硫黄島

 青い海に浮かぶ新島の周りはエメラルド色に染まっていた―。海底から出た火山ガスの影響らしい。島は波で大きく削られ、流れ出した火山灰や土砂の灰色が海水に混じっている。近くには、少量の軽石がひものように連なって漂う。夏の噴火で二つできた新島の片方は既に海に沈み、残る新島も白波で削られて近々沈みそうだ。噴火の際に巨大な噴煙にのみ込まれた海は今、穏やかな表情を見せていた。(共同通信=高津英彰)

 ▽羽田から片道約1300キロ

 8月の噴火で生みだした大量の軽石が漂流し、各地に影響を与えている小笠原諸島の海底火山「福徳岡ノ場」を11月25日、ジェット機から取材した。福徳岡ノ場は、伊豆・小笠原海溝に沿って南北に連なる火山の南端付近にある海底火山。太平洋戦争の激戦地としても知られる硫黄島の南約60キロに位置している。

毎日新聞と共同通信が共同運航するジェット機。「乗り物酔いで吐く人もいる」と脅されたものの、通常移動は飛行機と変わらず快適だった=羽田空港

 東京・羽田空港から片道約1300キロの行程だ。硫黄島の自衛隊基地での給油を挟んで往復に約7時間かかった。その間、取材機には産業技術総合研究所・及川輝樹主任研究員(火山地質学)に同乗してもらい、新島の上空から現在の状況を探った。

 及川さんによると、噴火後1~2カ月は、島に堆積物が積み重なっている様子も観測されていた。それが今は、大きさは噴火直後の4分の1程度に縮み、島は高さ5メートルくらいでほぼ平らになった。島の中心部に残る波形の模様から、潮位が高くなった時に波をかぶったことが分かるという。「海底には噴火でできた地形が残っていると思うが、海面上のものは多くが削られ、崩れた塊が顔を出しているだけだ」と話す。高温のガスや火山灰などが混じる火砕流でできた島は今、湯気も見られない。

福徳岡ノ場の新島周辺海域。島の周囲は火山ガスの影響でエメラルドに染まり、手前には島が削られて生まれた少量の軽石が漂っている

 ▽沈静化?

 及川さんは8月の噴火にともなう活動は沈静化したとみられると指摘した上で、「残る新島も近く沈むだろう。活動が沈静化し、新島も既に多くが削られているため、当面、大量の軽石が新たに発生する状況は起こらないだろう」と語った。

 福徳岡ノ場は過去の巨大噴火で陥没した海底カルデラの一部に当たり、現在も活発な活動を繰り返している。いずれも海没したものの、1904年、14年、86年にも噴火で新島ができている。

福徳岡ノ場の新島近くの海上で、ひも状に連なって漂う軽石

 8月の噴火の噴煙は、海上からの高さが16~19キロもあった。噴出した軽石や火山灰は推計1億~5億立方メートル。噴火としては、明治時代以降の国内では最大級だ。福徳岡ノ場は過去の噴火でも軽石を出しているが、「今回は桁違い」(及川さん)という。

 ▽マグマが一気に上昇し発泡して噴出

 福徳岡ノ場の噴火は、大量の噴出物をまき散らす「プリニー式」と呼ばれるタイプで、国内では1977年の有珠山噴火もこれだった。噴火では火山ガスを含むマグマが地下深くから一気に上昇して発泡し勢いよく噴出。この際に大量に生じた軽石はガスが抜けた痕跡の穴が多く、黒いガラスなどの粒を含むため「チョコチップクッキー」のような見た目になった。

真上から撮影した福徳岡ノ場の新島。島の中心部まで波形が付いており、高潮で波が乗り上げたことが分かる

 及川さんは「噴火は数十年に1回は起こる。今回はたまたま海上だっただけで、同様の事態が本州の火山で起こってもおかしくない。今回のような多量の漂流軽石については、国の機関がどこでどう監視するのかが決まっておらず、監視体制を築くことが重要だ」と強調した。

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