野村克也氏の教え子が続々と監督に迎えられる理由 豪華な顔ぶれが「しのぶ会」に

ヤクルトOB戦で教え子たちと打席に立つ野村克也氏【写真:荒川祐史】

NPB監督12人のうち5人が教え子…今も実証中の「人を遺す」力

2020年2月11日に84歳で亡くなった野村克也氏を「しのぶ会」が11日、神宮球場で開かれた。野村氏が生前好んで引用していた言葉として有名なのが「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」だ。財産を築くことや仕事で業績を挙げること以上に、人材を育てることに価値があるという意味だ。この日集まった教え子たちのそうそうたる顔ぶれを見れば、ノムさんがいかに「人を遺した」かがよくわかる。

【写真】新庄監督、古田氏らが出席 野村克也氏をしのぶ会の様子

来季NPB12球団で指揮を執る監督のうち、現役時代に野村氏の薫陶を受けた教え子は5人に上る。今季日本一に輝いたヤクルト・高津臣吾監督をはじめ、阪神・矢野燿大監督、ビッグボスこと日本ハム・新庄剛志監督、楽天・石井一久監督、西武・辻発彦監督。特に日本ハムはノムさん自身が在籍したことはないが、栗山英樹前監督も、侍ジャパン監督として今夏の東京五輪で金メダルを獲得した稲葉篤紀GMもその系譜に連なる。

さらに、2006年から2年間ヤクルトで選手兼任監督を務めた古田敦也氏は弔辞で「プロアマを問わず、野村監督の薫陶を受けた選手が数多く指導者として残っています」と語りかけた。確かに、NPB球団のコーチやアマチュア球界の指導者を含めれば、教え子はとんでもない数に膨れ上がる。野村氏は社会人野球のシダックスでも監督を務め、妻の沙知代さん(2017年死去)がオーナーを務めていた港東ムースでは中学生に直接指導し、決定的な影響を与えたケースが珍しくなかったのだ。

野村氏が指導する野球は、ヤクルト監督時代以降、データ重視の「ID野球」と呼ばれたが、その極意は何だったのだろうか。息子の克則氏(来季から阪神2軍バッテリーコーチ)はこの日、遺族側からの御礼の言葉の中で、かつて親子の間で交わされた“禅問答”の一端を明かした。

ノムラの考え+新庄流の宇宙人的考え=面白いチーム!?

「野村野球とは何ぞや?」と問う父に対し、克則氏は「ID野球」と返答したが、ノムさんは「いや、本質は“準備野球”だ。試合に臨むにあたってはデータ、分析、作戦など、勝つために考えられる準備は全てやっておかなくてはならない」と諭したという。

また、教え子たちは口をそろえて「野村さんは、選手が自分なりの考えや根拠に基づいてプレーした場合は、たとえ失敗しても怒らなかった。ただなんとなくといった感覚や、行き当たりばったりのプレーを最も嫌った」と証言する。準備と自分なりの根拠が最も大事で、それさえあれば、様々なスタイルに進化する可能性があると言えそうだ。

就任以来、独特な言動で注目されている新庄監督も「野村さんは“ファンあってのプロ野球”であることを強調されていたし、メディアを利用して(選手に)伝えることもあった。僕が監督として発言していることも、そういうところがある。いまもの凄く納得しています」とうなずいた。

「僕がどんな野球をやるのかは、野村さんにもわからないと思う。『逆に面白い! わしの考えに、おまえの宇宙人的な考えがミックスされたら、面白いチームになるかもしれない』と言ってくれると思う」とビッグボスは空想を広げる。

「私も1人でも多くの選手に成長してもらって、人を遺していきたい」と語ったのは稲葉GM。こうして“ノムラの考え”は数多くの指導者を通じ、様々なスタイルに形を変えながら受け継がれていくのだろう。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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