ボサノヴァの巨人、アントニオ・カルロス・ジョビン「イパネマの娘」の魅力を徹底紹介♪

世の中に数多あるスタンダード・ナンバーから25曲を選りすぐって、その曲の魅力をジャズ評論家の藤本史昭が解説する連載企画(隔週更新)。曲が生まれた背景や、どのように広まっていったかなど、分かりやすくひも解きます。各曲の極めつけの名演もご紹介。これを読めば、お気に入りのスタンダードがきっと見つかるはずです。

文:藤本史昭

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【第22回】

イパネマの娘
The Girl From Ipanema
作曲:アントニ・カルロス・ジョビン
作詞:ヴィニシウス・ヂ・モライス
1962年

アントニ・カルロス・ジョビンは、音楽に興味がない人でもそのメロディーを1度は耳にしたことがあるであろう名曲を数多く書いたボサノヴァの巨人ですが、そんな彼の作品の中でもおそらくもっとも有名なのが〈イパネマの娘〉でしょう。

イパネマはリオデジャネイロの南端に位置する海岸沿いの街。ビーチから1歩通りを入るとブティックやレストランが建ち並ぶ、ブラジル屈指の富裕街です。その状況は1960年代も同じでした。文化人や芸術家が昼間からカフェにたむろし、グラスを傾けながら政治や芸術を語り合う…もちろんその中にはジョビンの姿もありました。彼と、その盟友で作詞家/外交官のヴィニシウス・ヂ・モライスは、行きつけのバー「ヴェローゾ」で、新曲の打ち合わせや世間話をしながら時を過ごすのが日課のようになっていました。

そんなある日、店の前を通りかかった1人の女性が彼らの目にとまります。彼女の名はエロー・ピニュイロ。海岸からすぐのところに住んでいた17歳のエローは、はじけるような美貌で近隣の男性たちの注目の的になっていましたが、それにジョビンとモライスもやられたのです。その姿にインスピレーションを得た2人は、その場ですぐに〈イパネマの娘〉を書き上げた…。

しかしこのエピソードは、かなり脚色されているところもあるようです。当時ジョビンとモライスは新しいミュージカルのために「海辺を歩く美女」をテーマにした曲を構想しており、だからエローを見かけたことが直接的モチーフになったわけではなかったし、その場で曲を作ったという話もいささか眉唾もの。エローの年齢についても疑義を呈する説があります。

ただ、この曲が文句なしの名曲であることは疑いようのない事実です。1962年8月に初演されるや、その年のうちにブラジル国内でいくつものヴァージョンが録音され、翌年3月にはかの『ゲッツ/ジルベルト』セッションが実現。そこに収められた本曲は爆発的ヒットとなり、〈イパネマの娘〉は永遠の命を得ることになるのです。

ところでこの曲、世界で2番目に多く売れた曲といわれますが、では1番目は? それはザ・ビートルズの〈イエスタデイ〉なのですが、それについてのジョビンのコメントがふるっています。「まあ、あちらは4人で1曲だからね」。

●この名演をチェック!
スタン・ゲッツ&ジョアン・ジルベルト
アルバム『ゲッツ/ジルベルト』(Verve)収録

もはや多言を要さない歴史的名演。ジョアン、アストラッド、ゲッツ、ジョビン…すべての歌と演奏が黄金の均衡を作り出しています。が、録音現場ではジョアンとゲッツが反目し合い、それをジョビンが取りなすという一幕もあったとか。

<動画:The Girl From Ipanema

アントニオ・カルロス・ジョビン
アルバム『イパネマの娘』(Verve)収録

こちらは作曲者自身の初リーダー作に収録されたヴァージョン。歌なしのインストゥルメンタルで、ジョビンはギターとピアノを演奏しています。名匠クラウス・オガーマンのペンになる洒脱でクールなアレンジも聴きものです。

<動画:The Girl From Ipanema

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