スーパースターになったリオン・ラッセルが自分のルーツへ大きく舵を切った意欲作『ハンク・ウィルソンズ・バック』

『Hank Wilson’s Back Vol. I』(’73) / Leon Russell

今でも大胆なことをしたものだと思う。案外、アルバムが完成した時、本人も周りのスタッフもこれは売れないと思っていたかもしれない。実際にはチャートアクションは(Billboard 200)最高位28位と意外と健闘している。だが、これはそれまでのアルバムの好調なセールスの余波もあってのことだろう。以降、徐々にチャート、セールスは下降線を辿っていったことを考えると、レーベル『シェルター』の共同経営者デニー・コーデルはこの路線に対し、内心複雑なものがあったかもしれない。しかし、レオンの本気度たるや、揺るがない。ハンク・ウィリアムスのトリビュート作というか、思いっきりヒルビリー、ブルーグラスに寄っていて、異色作と言われようが「オレはやる」と。

筆者もリアルタイムでこのアルバムが出た時、少なからず“期待を裏切られた”感を味わったものだ。何せ先のスタジオ3作、ライヴ1作が無茶苦茶クールだったのだ。本作が出る前後、1973年頃、音楽ファンにはよく知られるNHKの『ヤングミュージックショー』でもレオンとシェルターピープルのスタジオライヴが放送されたことがあり、鮮烈な印象を受けた。それだけに、冒頭、いきなりカントリー調で「Roll In My Sweet Baby’s Arms」が流れたのには面食らったものだ。カントリー、ブルーグラスどころか、ハンク・ウィリアムスさえろくに知らなかった当時の中学生には、あまりにもサウンド、テイストが違いすぎたのだ。

レオン自身、不安がなかったわけでもないだろう。こんな作品を作ったところで、多くのファンは首をかしげるだろうし、ブルーグラス界みたいなところからは、冷ややかな視線を浴びるだろうから。もう2、3作タルサの仲間とスワンプ路線のアルバムを作ったって構わないはずだし、多くがそれを望んでいることも「オレは知っている」。

それでも彼に一歩踏み出させたのは(これは憶測だが)、心酔するあの男もそれをやったからだ。彼、そうボブ・ディランがそれまでのフォーク、フォークロック路線から一転、カントリーに接近したアルバム『ナッシュヴィル・スカイライン』(’69)。あの作品もいっとき随分と困惑、酷評されたものだ(それでもビルボードチャート最高位3位、全英チャート1位と、さすがディランである)。だけど、ディランはそんなこと知ったこっちゃない。ついて来れない奴なんか置いてけぼりにして、俺は作りたいものを作るだけのこと、とジャケットで微笑んでみせるのだ。

やりたいものをやり、結果は残した。アルバム制作のバジェット(予算)も潤沢にある。「オレも好きにやる」と。

『ハンク・ウィルソンズ・バック』 までの歩み

本作は彼の代表作ではないので、ここで彼の詳細な経歴を伝えるのは適当ではないと思う。あくまで、かいつまんで紹介するとしよう。

レオン・ラッセルは1942年、オクラホマのタルサ近郊の町で生まれている。幼少の頃から音楽の才能を発揮し、ティーンエイジャーの頃には早くも天才ピアノ奏者として、地元のミュージシャンと仕事をしていたという。ハイスクール卒業後は迷うことなく音楽の道を選び、セッション・ミュージシャンとして、数多くのレコーディングに参加するようになる。2016年に日本でも公開された映画『レッキング・クルー~伝説のミュージシャンたち(原題:The Wrecking Crew)』には、若かりし頃の彼がその一員であったことが記録されている。あの有名なロネッツの「Be My Baby」のキーボードはレオンだ。

自身のバンド、スターライターを組んでツアーに出るほか、地元タルサには彼と気心の合う、優れたミュージシャンが多数いることを幸い、彼らをLAに呼び寄せて自分の音楽のベースキャンプを作っていく。そのタルサ・コネクションとでも言うべき仲間の中には後にエリック・クラプトンとデレク&ドミノスを支えるカール・レイドル(ベース)やこれまたクラプトンと大きく関わることになるJ.Jケール、ネイティヴ・アメリカンのギタリスト、ジェシ・エド・デイヴィスらがいた。優れたソングライターだったロジャー・ティルソンもタルサだし、ザ・バンドを始める前のリヴォン・ヘルムがふらりとやってきてその輪に加わることもあった。

確かなテクニックと経験に裏付けられたレオンのプレイ、プロデューサーとしての才能を示すサウンドづくりは、やがて60年代、米国だけでなく英国のポピュラー音楽シーンでも引く手あまたとなる。彼の関わったアーティストは枚挙に暇がないが、とりわけデイブ・メイソン、ジョー・コッカー、デラニー&ボニーらが成功した要因には、彼の功績が少なからず絡んでいるといえよう。そしてマーク・ベノとアサイラム・クワイヤというデュオを組みアルバムを制作したのち、レオンはついにフロントラインに立つ。

最初のソロ作『レオン・ラッセル』(’70)はロンドンのオリンピックスタジオ、他で録音され、ローリング・ストーンズ全員、クラプトン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、デラニー&ボニー、スティーブ・ウインウッド、ジョー・コッカー、他が参加するという豪華なものになる。が、いかにもレオンらしい、無駄のない、引き締まった内容にまとめられているのはさすが。ここから「ソング・フォー・ユー」「デルタ・レディ」のヒットが生まれている。アメリカのBillboard 200では60位に達し、まずまずの結果をおさめる。現行のCDにはボーナストラックとしてボブ・ディランのカバー曲「戦争の親玉(原題:Masters of War(Old Masters))」が追加されている。

翌年には早くも2作目『レオン・ラッセル・アンド・ザ・シェルター・ピープル』(’71)が出る。今度は舞台をアメリカ南部に移し、アラバマ州北部のあのマッシュルショールズで録音されている。録音にはタルサ仲間のほか、当然のことながらデヴィッド・フッド、バリー・ベケット、ロジャー・ホーキンスら黄金のリズムセクションが参加している。オリジナルのシングルヒットこそなかったものの、「激しい雨が降る(原題:A Hard Rain’s a-Gonna Fall)」(ボブ・ディラン) 、「悲しみは果てしなく(原題:It Takes a Lot to Laugh, It Takes a Train to Cry)」(ボブ・ディラン)、「ビウェア・オブ・ダークネス」(ジョージ・ハリスン)といったカバーを含み、アメリカのBillboard 200では17位に達し全英アルバムチャートでも29位まで伸びる。こちらも現行のCDにはボーナストラックとして「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」(ボブ・ディラン)、「ラヴ・マイナス・ゼロ/ノー・リミット」(ボブ・ディラン) 、「彼女は僕のもの(原題:She Belongs to Me)」(ボブ・ディラン)のカバーが追加されている。

ちょうどその頃のこと、実際にレオンとディランは親交を深めていた。1971年3月、ディランから新しいサウンドを試したいと連絡があり、スタジオに呼ばれて「川の流れを見つめて(原題:Watching the River Flow)」 と「マスターピースを描いたとき(原題:When I Paint My Masterpiece)」をセッションしたという。それらの音源はディランの『グレイテストヒッツVol.II』に収録されている。

そして、同年8月、ジョージ・ハリスンから全幅の信頼を得ていたレオンは彼に請われ、あのチャリティーコンサートのいわばバンドマスターを任され、大舞台を仕切っている。ハイライトのひとつ、ディランのバックをハリスン、リンゴと一緒に務めた場面など、今でもグッと来るものがある。
※バンドマスターの特権を生かして、というわけではないだろうが、登場場面も多いあのコンサートでレオンはドン・プレストンら自分のバンドとともに見応えのあるパフォーマンスを見せている。音源『バングラデシュ・コンサート(原題:The Concert for Bangla Desh)』はデジタルリマスター版が、映像のほうも『ジョージ・ハリスン & フレンズ コンサート・フォー・バングラデシュ デラックス・パッケージ』として、どちらも2005年にリイシューされている。

こうして1971年時点で、リオンは間違いなくロックシーンの中心にいたし、ポピュラー音楽界最重要人物のひとりだったと言っていいだろう。そんな中でソロ名義では3作目『カーニー』(’72)がリリースされる。再び録音はマッシュルショールズ、他で行なわれるが、セッションはあくまでドン・プレストンらシェルターピープルだけで行なっている。このアルバムからは「タイト・ロープ、そして「マスカレード(原題:This Masquerade)」のヒットが生まれる。アルバムはBillboard 200で自己最高の2位に達し、シングルカットされた「タイト・ロープ」はBillboard Hot 100で11位を記録。そのB面に収められた「マスカレード」のほうは1976年にジョージ・ベンソンがカバーし、Billboard Hot 100 で10位、Hot Soul Singles で3位と大ヒットになっている。同曲はまたカーペンターズをはじめ、ジャンルを越え、多くのアーティストにカバーされている。

レオン・ラッセルのことをまったく知らず、その音楽も未体験という方は、まずはシングルを中心に組まれたベスト盤のようなものか、ここに挙げた初期のソロ3作から聴いてみることをおすすめしたい。
※機会があればそれら、彼の代表作もいつか紹介したいと思う。

その頂点に立っていた時期に、当時としては異例のアナログ盤3枚組のボリュームでリリースされた『レオン・ライヴ!!(’73)も、その体裁でありながらもBillboard 200で9位を獲得。名実ともにレオンはスーパースターだった。
※ちなみに「スーパースター(’69)もレオンとボニー・ブラムレットによる共作曲で多くにカバーされる名曲である。
※1973年11月8日の日本武道館での来日公演の模様を収録した、日本のみの発売だった『ライヴ・イン・ジャパン』(’74 )も現在、CDで復刻されている。

彼の中に眠っていたハンク (ウィリアムス) グランド・オール・オープリーへの オマージュ

さて本作。待望のラッセルの新譜をターンテーブルに乗せた人たちは大いに戸惑わされたことだろう。オープニングの1曲目「ロール・イン・マイ・スウィート・ベイビーズ・アーム」、こ、これはブルーグラスじゃないか! 当時はまったくと言っていいくらい無関心だったカントリーやブルーグラスに親しむようになっている現在、反省の気持ちも含みながらこのアルバムに向き合ってみると、その出来栄えに感心してしまう。本気度が伝わってくるというか、レコーディングの場所として彼が選んだのがデッカレコード専属の敏腕プロデューサーで、数多くのカントリーのレコーディングを手がけ、ナッシュヴィルサウンドの革新者として知られるオーウェン・ブラッドリー所有のバーンスタジオなのだ。さすが業界人らしく、このあたりの選択もリオンは鋭い。

1. ロール・イン・マイ・スウィート・ベイビーズ・アーム/Roll in My Sweet Baby’s Arms (Trad)
2. シー・シンクス・アイ・スティル・ケア/She Thinks I Still Care (Dickey Lee)
3. アイム・ソー・ロンサム・アイ・クッド・クライ/I’m So Lonesome I Could Cry (Hank Williams)
4. アイル・セイル・マイ・シップ・アローン/I’ll Sail My Ship Alone (Henry Bernard / Morry Burns / Lois Mann / Henry Thurston)
5. ジャンバラヤ/Jambalaya(On the Bayou) (Hank Williams)
6. ア・シックス・パック・トゥ・ゴー/A Six Pack to Go (Dick Hart / Johnny Lowe / John Lowell / Hank Thompson)
7. ザ・バトル・オブ・ニュー・オリンズ/The Battle of New Orleans (Jimmie Driftwood)
8. アンクル・ベン/Uncle Pen (Bill Monroe)
9. アム・アイ・ザット・イージー・トゥ・フォーゲット/Am I That Easy to Forget (Carl Belew / Shelby Singleton / W.S. Stevenson)
10. トラック・ドライヴィン・マン/Truck Drivin’ Man (Terry Fell)
11. ウインドウ・アップ・アバヴ/The Window Up Above (George Jones)
12. ロスト・ハイウェイ/Lost Highway (Leon Payne)
13. グッドナイト・アイリーン/Goodnight Irene (Lead Belly / Huddie Ledbetter / John A. Lomax)
14. ヘイ・グッド・ルッキン/Hey, Good Lookin’ (Hank Williams)
15. イン・ザ・ジェイルハウス・ナウ/In the Jailhouse Now (Jimmie Rodgers)

収録曲を眺めてみると、これはハンク・ウィリアムスにこだわるというよりは、あくまでグランド・オール・オープリーを彼なりに再現している風なことが見てとれる。オープリーはナッシュヴィルのライマン公会堂で行われていたラジオの公開生放送で、リオンは子供の頃愛聴していたといわれる。
※2006年公開の映画『今宵、フィッツジェラルド劇場で(原題: A Prairie Home Companion)』(出演:メリル・ストリープ、リリー・トムリン、他。/監督:ロバート・アルトマン)では、グランド・オール・オープリーの情景がほぼ忠実に描かれている。

レオンは自分のブレーンであるカール・レイドルらごく僅かなプレイヤーを連れて行ったほかは、ほとんど現地調達のようなかたちでミュージシャンを揃えるつもりだったが、先のオーウェン・ブラッドリーに助言を求めたであろうことが想像される(彼はプロデューサーとしては関わっていない)。マッスルショールズでのレコーディングを経験済みとはいえ、そこは南部の、カントリーミュージックのど真ん中である。「ロングヘアのヒッピー崩れが何しに?」とナメてかかってくるのは見えているから、誰か仲立ちをする人物を介するべきだろうと。結果、渋い面子が参加している。

ナッシュヴィルサウンドを支えるプロ集団がズラリ。“The Nashville A-Team”と呼ばれる連中が呼ばれている。エリアコード615からも参加者がある。ブルーグラス界からも何名も。面白いのは、バンジョー、ドブロ、フィドル、ギターなどは複数人の参加があるものの、マンドリン奏者がいない。ビル・モンローの「Uncle Pen」なんかカバーしているのであれば、マンドリンは必須かと思うが、コードとメロディは自分のピアノでいく、とレオンは考えたのだろうか。

レオンとのセッション時はニューグラス・リヴァイバルのメンバーで、その後、ビル・モンローのブルーグラスボーイズに加入するブッチ・ロビンス(バンジョー)が、のちに彼自身の自伝の中で面白いコメントを残している。スタジオでほぼ一発録りのようなかたちで一斉演奏を行なったのだが、大音量で大人数、音数が多いにもかかわらずロビンスの弾くバンジョーの一音に対しレオンがさりげなく指摘したのだという。同じブルーグラスのミュージシャンでさえ気づかないその音を聴き取っていたレオンの耳の良さにロビンスは驚愕したのだそうだ。

この後、レオンはさらに“ハンク愛”を深めていくように、まるでライフワークのごとく以下のように続編が作られていく。それに対してセールスやチャートがどう、という野暮なことはもう言うまい。

Hank Wilson’s Back Vol. I (1973)
Hank Wilson, Vol. II (1984)
Legend in My Time: Hank Wilson Vol. III (1998)
Rhythm & Bluegrass: Hank Wilson, Vol. 4 w/ New Grass Revival (2001)

また、今や名実ともにブルーグラス界のトッププレイヤーであるサム・ブッシュ(マンドリン)、ベラ・フレック(バンジョー)擁する、当時は新進のブルーグラスバンド、ニューグラス・リヴァイバル(略称NGR)とがっぷり四つを組んだアルバム『The Live Album (Leon Russell and New Grass Revival)』(’81)を制作するなど(逆にNGRのアルバムにリオンが客演というケースもあった)、互いに認め合う関係になる。

後年はよりカントリーミュージックに接近して、レッドネック / アウトロー・カントリーの重鎮、ウィリー・ネルソンとデュオ作『ワン・フォー・ザ・ロード』(’78)を制作している。

アメリカ音楽を俯瞰する感覚

レオンのディスコグラフィーを精査してみれば、ロックンロール、R&B;、ゴスペル、ブルース、ラグタイム、ジャズ、カントリー、ブルーグラス、ケイジャン、フォーク…と様々なジャンルの音楽が散りばめられている。

リオンがあえてひとつのところにとどまらず、メインストリームから外れた音楽にさえ食指を伸ばしてみせたのも、それら全てがアメリカ音楽を構成していることをわかっていたからだろう。実は、驚くべきことに、レオンは『アメリカーナ』(’78)というアルバムを残している。今ではグラミー賞の一ジャンルにさえなっている「アメリカーナ」という定義を、こと音楽で示した最も早いアーティストかもしれない。ある意味、彼は30、40年ぶん時代を先んじていたのではないか。

レオンは2016年11月、彼が住まいを構え、本作のレコーディングが行われたテネシー州ナッシュヴィルのブラドリーズ・バーンにもほど近い、ジュリエットという町で74年の生涯を閉じている。そして今は故郷のオクラホマ州タルサの墓地で静かに眠っている。

TEXT:片山 明

アルバム『Hank Wilson’s Back Vol. I』

1973年発表作品

<収録曲>
1. ロール・イン・マイ・スウィート・ベイビーズ・アーム/Roll in My Sweet Baby’s Arms
2. シー・シンクス・アイ・スティル・ケア/She Thinks I Still Care
3. アイム・ソー・ロンサム・アイ・クッド・クライ/I’m So Lonesome I Could Cry
4. アイル・セイル・マイ・シップ・アローン/I’ll Sail My Ship Alone
5. ジャンバラヤ/Jambalaya(On the Bayou)
6. ア・シックス・パック・トゥ・ゴー/A Six Pack to Go
7. ザ・バトル・オブ・ニュー・オリンズ/The Battle of New Orleans
8. アンクル・ベン/Uncle Pen)
9. アム・アイ・ザット・イージー・トゥ・フォーゲット/Am I That Easy to Forget
10. トラック・ドライヴィン・マン/Truck Drivin’ Man
11. ウインドウ・アップ・アバヴ/The Window Up Above
12. ロスト・ハイウェイ/Lost Highway
13. グッドナイト・アイリーン/Goodnight Irene
14. ヘイ・グッド・ルッキン/Hey, Good Lookin’
15. イン・ザ・ジェイルハウス・ナウ/In the Jailhouse Now

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