早実の指導者転身は「今ではない」 斎藤佑樹氏が語る幸せな11年間からの第2の人生

「株式会社斎藤佑樹」を設立した元日本ハム・斎藤佑樹氏【写真:荒川祐史】

度重なる故障に苦しんだ現役11年間も「本当に幸せな野球人生、野球選手生活でした」

今季限りで現役引退した元日本ハム投手・斎藤佑樹氏のインタビュー後編は、11年間のプロ生活について。故障に苦しんだことから現役の高校球児へ伝えたいこと。また、日本ハム時代の恩師・栗山英樹監督との思い出や新監督に就任した新庄剛志BIGBOSSへの思いも打ち明けた。

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――改めて11年間の現役生活を振り返ってみて。
「本当に幸せな野球人生、野球選手生活でした。幸せな環境の中でプレーできたことがとてもありがたいことだなと思いますね。もちろん結果を出すために努力してきましたけど、なかなか思うようにならず。でも、その時々で全力でやってきたつもりです」

――昨季中に右肘靭帯断裂が判明。右肘のトミー・ジョン手術は行わずに今までにない治療法で再起を目指してきました。
「新しい治療法に出会って、1年でも長くできたことは、野球選手にとって本当にありがたいことです。それがこれからの野球人の未来につながるのであれば嬉しいです」

――だが、最後は思うように投げられなかった。
「(靭帯断裂した)右肘に関しては痛みもなく、違和感もなく投げられたので。そこは成功だと思うんですけど、結局、肩に(痛みが)来てしまった。どうしようもない状態ではなかったと思うんですよね。地道にリハビリをすれば、治らないことはないと思うんですけど。ただ、僕の中のケジメとして、肘を断裂して、プレーさせてもらって、この1年で結果が出なかったら区切りをつけようと。ファイターズにはたくさん迷惑をかけてきましたけど、これ以上は迷惑をかけられないというのがありました」

――故障で挫けそうなことはありませんでしたか。
「結果が出なかったのはすごく悔しかったですし、怪我をしたら大好きな野球ができない辛さはありましたけど、大好きな野球ができて楽しい思いがとても強かった。辛い気持ちよりも野球ができていることが幸せという気持ちが強かったです」

――現役時代は度重なる故障に苦しみました。
「野球選手にとって怪我は付き物だと言われますけど、それでも、もっとケアできる部分はあったと思います。日々の積み重ねだと思うので。遡れば高校生ぐらいから、もっと自分の体と向き合ってやっておけば良かったと思いますね」

――高校生からですか。
「高校に入った時点で、ですよね。自分の体が変わってきた実感はありますし、甲子園でたくさん投げたから、ではなくて。大人の体に変わっていく段階で。自分の体がどうやって変化していくのか。ちゃんと向き合って、観察しておくべきだったなと思います」

日本ハムの新庄剛志BIGBOSSは「どんな楽しいことをやってくれるんだろうと」

――現役の高校球児へ伝えたいことですか。
「そうですね。高校生は球数を投げないといけないこともある。その中で自分の体と向き合って、自分の体を知るということは、絶対に必要なことだと思います。(自身のプロでの故障は)もっと根本のところだったと思います」

――母校の早実で指導者という考えはありますか。
「指導者は今ではないと思っているんですよね。指導できる立場ではないというか。もっともっと知識とか経験とか。可能性としてはあるかもしれないですけど、僕が無責任に選手に教えるということはできないなと思います」

――栗山英樹監督も今季限りで退任となった。改めて、どんな思いがありますか。
「栗山監督にはたくさんのことを教えてもらいましたし、栗山監督がいなかったら、こんなに前を向き続けることができなかったと思うので。野球選手としてはもちろん、いろいろなアドバイスをしてもらいました」

――栗山監督との一番の思い出は何になりますか。
「やっぱり開幕投手をやらせてもらった時ですよね。その時に初めて、栗山監督の部屋に呼んでもらって、開幕投手頼むぞ、と言ってもらって。栗山監督からもらった手紙は、家にしまってあります。たくさん思い出はあります」

――その日本ハムは新監督として新庄剛志BIGBOSSが就任しました。
「ニュースは見てます。とてもワクワクしていますし、どんな楽しいことをやってくれるんだろうという期待が一番にあるので。ファイターズファンとして追っていけたらと思います」

――同じ背番号「1」をつけていました。
「元々は新庄さんが作り上げてきた番号。また1番が新庄さんに戻って、一ファンとしてはすごく楽しみです」(小谷真弥 / Masaya Kotani)

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